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今だに、大人のせいにしたくなりますか?

子供の頃になりたかったもの。なれると信じていた甘い日々。いや、本当はなりたくなんてなかったのかもしれない。ただ私は、そのことだけ考えていたかった。その甘い夢を、周りの大人が勝手に現実や未来と関係づけたかったのだろう。

大人は自分勝手だ。

その自分勝手さを学び、私達は大人になってゆく。

唐揚げにレモンをかけることを学んでいくのだ。


子供の頃に感じた大人の自分勝手さは、きっと自己責任くらい心寂しいものなのだろう。今なら少しわかる気がする。本当に自分勝手でいれたのは子供の私で、大人はいつも過去と未来に縛られていただけなのだと。彼らのあみだくじはもうとっくに始まってしまっていた。

私は子供の頃、沢山のことを挑戦させてもらった。水泳、ピアノ、英会話、バレーボール、ダンスに韓国語。唯一親に勧められて始めた英語で今の生活をしているのは、とても皮肉なものだ。彼らは私の未来が見えていたのだろうか。

ただ、自信を持って言えるのは、小さい頃から自主的にやりたいことを主張出来る環境を作ってくれたことが、私の中でとても良い影響がを与えたのだということ。

続けることも、諦めることも、自分が決めたという事実がいつも私を後押ししてくれたように思う。

フライトアテンダントになりたいと言ったり、突然K-popアイドルのオーディションに応募したり、一貫性のない子供の私をいつも応援してくれた。そうして私は自分で考え、夢見て、時には悲しくなって、それでも自分の足で立ち上がって、人生を進んでいきたいと思えたのだと思う。

貴方には夢がありましたか?

今でもその夢をまだ見ていますか?

今だに、大人のせいにしたくなりますか?

近年、親ガチャなんて言葉が使われているけれど、人生のあみだくじはきっと生まれた時から始まっているのだと思う。でもその可能性の否定は、親ガチャという言葉なんかで片付けてしまえるほど単純なものではないはずだ。

貴方が今日の夕飯を決める。それは貴方の今までの生き方の一つの結果。まるで過去の自分に現在を決定されているようにも感じる。もしそうだとしたら、明日はどんな夕食を口にする為に何を変えて明日を過ごすことが出来るか、可能性は無限だと思う。

自分の人生が、自分の手に渡ることはとても怖いことだ。暗くて、心細くて、まるでお化け屋敷だ。

少なくとも親ガチャがどうであれ、その初期設定をどう活用するかは自分次第なのだということ、私自身も忘れたくないし、どんな辛い過去がある人にもそのことは忘れてほしくはない。そのリマインダーは私にとって(ドラクエの世界樹の葉的な)人生の万能アイテムなのだから。

さて、明日の夕食は何にしますか?


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