“普通”って何??

こんにちは。奏です。

突然ですが、みなさんは“普通”という言葉はよく使いますか?
また、“普通”とは何か、考えたことはありますか?

私は中学生ごろから社会人になった今でも、考えることがあります。
そして、はっきり言ってしまうと“普通”という言葉が嫌いです。

では、なぜ嫌いなのに“普通”について書いているのか? と思いますよね。

それはやはり、“いわゆる普通の人”が“いわゆる普通じゃない人”に対して“普通”という言葉を向けることに対して疑問を持っているからです。

私はいわゆる発達障害の気質があり、世間一般の人がなんともなくこなせることができないことが多々あります。
そうすると、親や先生、周りの人から「普通はこうはやらない!」とか、「なんで普通にできないの!?」とか言われることがありました。
そしてそういうとき、“悲しい”というより、“なんで?”というモヤモヤを抱えることがよくありました。

だって、“普通”って何?? って思いませんか?
“普通”って誰の基準なの?
ただあなたの基準で“普通”って言葉を使っているだけでしょ??
そしたら、もしかしたらあなたも世間との“普通”の基準がずれていたらあなたも“普通”じゃないよ??

…そんなことを学生時代も今も考えています。
“普通”って、何か明確な基準があったり決まっているわけでもなく、多くの人が“普通”だと思っていることや考え方などが“普通”になるんですよね。
そうすると、少数派の人たちの個性や考え方などは無くなっていくような気がしてしまうんですよね。

人それぞれ考え方やキャパシティ、価値観や物の見方、生き方全てが違うのに、どうしてその人の基準の“普通”という言葉で責められないといけないのだろう。とモヤモヤしてしまうんです。

あとは、“変わっているね”と言われる時も同じようなことを考えちゃいます。
“変わっている”とは??
何を基準に変わっていると思ったの??って。

高校生ごろまでは“変わっている”と言われることが嫌で嫌で仕方なかったのですが、
大学時代くらいからは
“変わっている” = 個性 = 唯一無二
つまり褒められている!と多少アホにポジティブに考えられるようになりました笑笑


…脱線してしまいましたが、ここまで書いて結局何が言いたいのかというと、
“普通”というのは結局のところあなたの中だけでの“普通”なのであって、もしかしたらあなたも“普通”とずれているのかもしれないという考えも持ってほしい。
そして、“普通”という言葉を多用しないでほしいし、“普通”に縛られない世の中であってほしい。

もちろん、一般常識やマナーとしての“普通”は大事ですし私もきちんと守っています。
しかし、“個性”と“普通”を間違えることはないような世の中であってほしい、と思っています。


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