オールダーアダルト、一人ひとりの物語について
公務員以外の人は、公務員試験といえばペーパー試験をイメージするのではないだろうか。
しかし実は、公務員試験は面接が本番だ。国立の大学入試に例えるなら、ペーパー試験とはセンター試験のようなもので、センター試験後の各大学の試験が公務員試験における面接試験にあたる。
4年経った今でも面接の緊張感はいまだに覚えている。周りがみな優秀そうに見え、折れそうになる心を鼓舞するために面接の待合室に戻るたびに見ていた動画がある。
それは大学3年生の時に作った次の動画だ。
私がインターンをしていたニューヨークのSirovich Senior Center(シロビッチシニアセンター)の紹介動画だ。
Sirovich Senior Centerの運営費用の寄付を募る際に、そもそも何をしている施設なのかということを説明することが大変だという話を聞いて、動画があれば簡単に紹介できるのではないかと思い作ったものだった。
Sirovich Senior Centerについて
インターンをしていた期間は2015年12月〜2016年1月にかけての2ヶ月弱だったが、そこでの日々は強く記憶に残っている。
Sirovich Senior Centerは、高齢者向けの日本でいうカルチャーセンターのような施設で、カンフーやズンバ、陶芸、絵画、チェス、コンピューター、演劇、詩など多種多様なクラスがあり、65歳以上は無料で利用することができた。
さらに、朝食や昼食、夕食も無料で提供され、毎週センターを訪問するソーシャルワーカーや医者に相談することもできた。利用者は低中所得者が多く、缶詰などの食糧の無償提供も行なっていた。
(Sirovich Senior Centerについて知りたい方は、冒頭で紹介したセンターの紹介動画を一度ぜひ見て欲しい)
Sirovich Senior Centerのスタッフは、高齢者をお年寄り扱いやお客様扱いせず、社会の一員として対等に接し、センターの運営に必要な役割を任せることも日常的だった。
例えば、センターはマンハッタンにあるのだが、ニューヨーク市民なら誰でも通うことができたため、センターの利用者の居住地域は広範にわたっていた。そのため、「近頃顔を見ないな〜」という利用者がいると、同じ居住地域の他の利用者に家への訪問をお願いすることもあった。スタッフだけではマンパワーが足り部分も、利用者の力で補うことで、センターのサービスが成り立っている印象だった。
実際、「リタイアした高齢者」というイメージとは異なる元気で活動的な人々が集まっていた。当時は利用者である高齢者のことをolder adultsと呼んでいたが、私の中で、センターのolder adultsたちを思い出す際、単に高齢者と呼ぶことがしっくりこないため、この記事でも当時を思い出しながら、少しくどいが「オールダーアダルト」と表記することにする。
私のインターンの内容は、各クラスの受講者リストを作ったり、施設の利用者登録をしたり、オールダーアダルトたちの話し相手になることだった。
様々なバックグラウンドの方がいて、例えば、
女性で初めて海軍に入隊した方(センター利用者の中で最高齢で、確か90歳だったか100歳を超えていた)
薬物中毒で治療を繰り返している方
俳優を若い頃から目指していて、いつも自分のレジュメを持ち歩いている方
第二次世界大戦後、ホステスとして日本で働いており、日本に駐在していた米軍の方と一緒にアメリカに来た方
など、オールダーアダルトたちと話していると「過去にそんなことが!」と驚くような経歴の方も多かった。
私がセンターの紹介動画を作るにあたってインタビューをしたり、撮影をしたりしているのを見て、「ぜひ、自分たちのビデオバイオグラフィーを作って欲しい」とオールダーアダルトの一人に言われたことがある。とても魅力的な提案だと思いつつ、帰国の日が決まっていて、すでにセンターの紹介動画制作に着手していた私は泣く泣く断ざるを得なかったが、センターに来ているオールダーアダルト一人ひとりが自分たちの物語を持っていて、それを映像に収めたらきっととても素敵な作品になるだろうということは、日々のオールダーアダルトたちとの雑談をとおして確信していた。
はじめのうちは、Sirovich Senior Centerはなんでこんなに面白い方が集まっているのだろうと思っていたが、恐らくそれは誤りで、Sirovich Senior Centerに限らず、誰もがそれぞれの物語を持っているのだと思う。
一人ひとりの物語について
こんなことをインターンから6年も経った今書いているのは、ミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』をついさっき読み終わったからだ。
この本は、作者である映画監督のミランダ・ジュライが、映画『ザ・フューチャー』の登場人物を描くにあたって息詰まった際に、様々な人物に会ってその人の日々の暮らしや抱える不安、今後の夢などについてインタビューした記録をまとめたものだ。
インタビューの対象は、有名人ではなく、「ペニーセイバー」というフリーペーパーに「〇〇を売ります」という広告を出している一般の人々。
オタマジャクシを売る高校生から、クリスマスカードを売る80歳まで様々な人々の“生の人生”に触れることが出来る。
ミランダ・ジュライがインタビューした一人ひとりには、「この人のことをもっと知りたい」と惹きつけられるようなそれぞれの人生の物語があった。
フレデリック・ワイズマンのジャクソンハイツに住む人々に焦点をあてたドキュメンタリー映画『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』も、フィクションにおける作り出した人物像ではない、他者の暮らしそのものが、映画における「物語」足り得るものだった。
ごく普通の他人の人生に触れるような作品に出会うと、Sirovich Senior Centerを思い出し、どうしようもなく懐かしい気持ちになってしまう。
きっと、私が6年前にオールダーアダルトたちのビデオバイオグラフィーを作っていたら、そこでも一人ひとりの物語に出会うことができたのではないだろうか。
懐かしく思うと同時に、記憶が薄れかかっている部分があること、とりわけオールダーアダルトたちの名前や日々の雑談内容を忘れかけている自分がいることに愕然とした。
社会人になってからの忙しい日々の中で、他者の一人ひとりの物語に思いを馳せることを忘れ、一人ひとりに物語があるということや自分にも自分の物語があるということ、そんな当たり前のこと自体も忘れてしまう。そんな日々から抜け出せなくなる前に、記録しておく。
公務員になった原点
Sirovich Senior Centerのことを記録に残しておきたいと思った理由はもう一つある。私にとってセンターで出会ったオールダーアダルトたちは、今、公務員をしている原点でもあるからだ。
センターには、日本から移住した方もいた。その中に、私にとって忘れられない一言をくれた方がいる。
私が何の気なしに「日本には帰らないんですか?」と尋ねたときの一言だった。
日本の方が治安も良いしご飯もおいしいし親戚もいるけれど、それでもニューヨークに残る理由は、ニューヨークにはSirovich Senior Centerをはじめ必要とされる役割がある一方で、「日本には高齢者の居場所がないから」ということだった。
その人も何の気なしに言った言葉かもしれないが、その言葉は今も心に残っている。
今振り返れば、机の上の勉強しか知らない学生だった私が初めて「社会」というものを意識的に捉え、向き合った瞬間だったかもしれない。多分この時から、社会をより面白くする手立ての1つとして、なんとなく公務員という道が選択肢に入った気がする。
そのことは覚えているのに、6年前にそのことを言ってくれた人の名前が思い出せなくなった。こんな大切な出来事を思い出せなくなる日が来るなんて思わなかった。
色んな人との出会いによって心が動いた瞬間の積み重ねが、私を公務員にさせたのだと思う。
そのことを思い出すために、そして、公務員になった今、心が動く仕事をしていくために、4年前、面接の待合室で自分を鼓舞したように、時々はSirovich Senior Centerの動画を見返したいと思う。
「時間」と「老いること」について
ミランダ・ジュライは、ペニーセイバーに広告を掲載した人びとへのインタビューをとおして、時間への向き合い方が変わっていった。
最初は時間に追われていた35歳のミランダ・ジュライ。『あなたを選んでくれるもの』の中では下記のように、その恐怖感や切迫感が伝わってくる箇所がある。
しかし、インタビューを重ねるうちに時間の捉え方が変わり、最後には下記のように時間や老いに対する恐怖が消えている。
私もまさに、Sirovich Senior Centerのインターンによって、老いることに対する考えが変わった。私だけではなく、センターのスタッフ誰もが、日々、オールダーアダルトたちと接する中で老いへの考えが変わったという。
最後にSirovich Senior Centerの動画からスタッフのコメントを抜粋してこの記事を終わりにしたいと思う。
Elice(3:08-)
Kevin (4:20-)
Minh (4:26-)
Xiomara (4:40-)
Mariely (5:17-)