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運動会は、こうでなくっちゃ。

今年も運動会シーズンがやってきた。長女の通う幼稚園では2学期開始と共に、運動会の準備一色となる。

この園の指導方針は、いわゆる「昭和イズム」が色濃く、たとえば「心を燃やして頑張ろう!」「みんなで力を合わせて!」「自信を持って、諦めない!」みたいな言葉がよく使われている模様。わたしはそんな方針を好ましく思っていて、今後もこの指導を貫いて頂きたいし、熱意ある保育に心から感謝している。

そんな園なので、イベントごとへの気合いはなかなかのもの。殊更「伝統の」運動会に関しては。

この時期、園児によってはナイーブになり行き渋る事もあるらしい。まぁ色んな子がいるし、その気持ちも分からんじゃない。往々にして、「伝統」と呼ばれる事物については大人サイドのプレッシャーもあるだろうし、時間と力を注ぎ熱心に練習しているようだ。

もうかれこれ1年前になるが、昨年の運動会のことが忘れられない。

コロナ対策が緩和されて初めての運動会で、保護者もわいわい賑やかだ。ちなみにわたしは1歳半の次女を連れての参加。

入場行進、挨拶や歌など開会式が終わった。幼児たちのイベントとはいえ、なかなか緊張感がある。そして、退場のタイミングで荘厳なBGMが流れ始める。重なる先生のナレーション。

「勝つか負けるか、負けるか勝つか…赤と白のチームに分かれ、共に練習し、高め合ってきた子どもたちの運動会が、始まります!」

思わず笑ってしまった。令和とは思えぬワードチョイス。けっこうじゃないか、そうそう、運動会はこうでなくっちゃ。仰る通り、これは勝負なのだ!!勝つか負けるか、負けるか勝つか。やはりこの幼稚園に入れて良かった。さぁ園児諸君、燃やせよ、闘志を!!

ひとり勝手に沸き立つわたし。さぁ、プログラムがスタート!

特に評判なのは、年長児による「よさこい」と「リレー」らしい。事前に幼稚園ブログを見ていると、先生方の気合いが伺えたのでわたしも楽しみだった。

鳴子を持って法被姿の年長さんたち。キリリとした立ち姿で俯きがちにスタンバイ。

皆で呼吸を合わせ、口上を述べる。うーむ、カッコいい。ほとんど怒鳴り声なので何言ってるか分からんけど、中2心をくすぐられるフレーズなのは伝わる。(BLEACH京楽隊長の解号詠唱みたいだなと思ったけどこれで伝わりますか)

先生によるナレーション。
「誇り高き○○組、いざ、舞い踊れ!!」
「ヤー!」

「誇り高き○○組」のワードセンスにも、ニヤリとしてしまう。

さて、年長さんたちが鳴子を響かせながら力強く踊る姿。得意不得意はあろうが、皆一生懸命で、シンプルに感動した。隊形移動もあり見応え抜群!

ここに来るまでどれだけ練習したことか…先生方…!!

そして、クラス対抗リレー。
例年3クラスで競っていたらしいが、この年は2クラス編成のためまじのタイマンである。まさしく、勝つか負けるか、負けるか(以下略)。

この日のため、子どもたちは練習や作戦会議を重ねてきたらしい。その決着が、ついに。

リレーとは言っても年長児なので、ちゃんとバトンを渡して走ればそれでよし。細かいルールはない。よって、越しつ越されつのせめぎ合いが見事に何度も起こり、観衆(※保護者)のボルテージも上がる上がる!響く声援!!

わたしも思わず
がんばれーー!!!と叫んでいた。もちろん知らない子たちばかりだ。それでも、真剣に走る姿に応援せずにはいられない。

どっちが勝ってもおかしくない状況でバトンが繋がれていく中、アンカーまで残りひとり、というところで片方のチームがバトンパスに失敗、転がり落ちたバトンを拾う間に引き離され、もう誰が見ても巻き返しは不可能な状況に。

それでもバトンは渡される。負けが確定していても必死に走るアンカー。会場全体から送られる大きな拍手。みんな、よく頑張ったよ…。

そして退場の際、わたしは見た。負けた組のアンカー走者の子が、泣いているのを。そして、同じ組の子が、背中をさすって慰めているのを…。

悔しさ、それからきっと恥ずかしさもあっただろう。そんな中でも最後まで走り抜いたその気持ち。そして、友への優しさ、賞賛の気持ち。こんな感情を、5、6歳の子どもが経験する、その価値。

幼稚園ブログによると、これまでの練習の中で「誰のせいで負けた」「誰が遅い」など、クラスメイトを責めてしまうような場面もあったらしい。その都度、先生方は何が大切なのか伝えてきたのだという。
悔しい気持ちを持つことは、大切。でもわたしたちはチーム、仲間なのだと。互いに補っていくこと、協力することが大切なのだと。

最近の運動会では、「勝ち負けを決めない」「みんなで一緒にゴール」というような方針の学校もあるとか無いとか。そういう選択をしたのにも理由があるのだろう。しかしこうして、真剣に取り組み、はっきりとした結果を受け止めている子どもたちの姿を目の当たりにすると、やはりわたしは絶対に、こちらの方が価値あることだと確信する。

走ったり踊ったりが苦手な子も、最後までやり抜いた経験は間違いなく意味がある。

悔しくて泣いた子も慰めた子も、これまでの練習と先生方からのお話があったからこそ、あんな姿を見せたのだろう。記憶にどれだけ残るかは重要ではない。あの瞬間のあの気持ちは、絶対に彼らの心の糧になると、わたしは信じている。

そこに至るまでの努力も大事だ。そして、それには結果が伴うのだという学びも大事だ。

子ども達の豊かな感受性を育む機会を作って下さったこと、そう仕向けてくださった先生方に頭の下がる思いだった。そして何より、最後まで頑張り抜いた年長組さん達は素晴らしかった。やっぱり、運動会はこうでなくっちゃ。

さて、ここまで年長組さんたちの勇姿ばかり語っており、年少の我が子について一切触れていない。

娘は、ちゃんと走ってちゃんと踊っていた。特に心配もしていなかったものの、この「ちゃんとしていてホッとした」というのがリアルな親心。

それに結局我が子の出番って、種目全体ではなく「うちの子」しか見えないし撮影に必死だし、「目や心に焼き付ける」という面がおざなりになってしまうのだ。親あるあるでしょう。
もちろん、一生懸命取り組む姿は愛しかった。よく頑張りました!

保護者の皆さんは、ご夫婦参加や祖父母総動員のご家庭もあり、こちらにも気合いが感じられた。みんな我が子の姿を探すのに必死で、応援したり喜んだり、そんな大人たちの姿も素敵だった。ここにいる大人はみんな、「愛しい宝物」の応援に来た人たちなのだ。つまりここは「幸せに溢れた空間」なのだ、と思い至り、胸がいっぱいになった。自分がその中のひとりであることにも。

近い未来、我が娘も「誇り高き年長組さん」となり、あんなカッコいい姿を見せてくれるのかな、なんて期待してしまう。

さてそんな伝統の運動会が、今年もいよいよ迫ってきた。わたしの中で期待値が上がり過ぎている気がしないでもないが、まずは無事に開催、参加できますよう。今回は夫も一緒に見に行けるらしい。

子ども達の勇姿を心待ちにすると共に、先生の抜群ワードセンスのナレーションにも密かに期待している。

勝つか負けるか、負けるか勝つか。そうそう、運動会は、こうでなくっちゃ。

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