【中国語原書】三毛『雨季不再来』(雨季はもう来ない)を読んで
こんにちは、かなの中文散策です。
今年の梅雨は、本当に雨が多いですね。
今日は中国語の原書、三毛『雨季不再来』を紹介しようと思います。
三毛『雨季不再来』北京十月文芸出版社
三毛(サンマオ・1943-1991)は台湾の女性作家です。
生まれたのは重慶ですが、幼い頃に家族で台湾に移り住みました。
彼女は大学で哲学を学んでから、スペイン、ドイツに留学しています。その後、1973年にスペイン人男性と結婚して、北アフリカで生活を送り、サハラ砂漠での生活を描いた『撒哈拉的故事』(サハラ物語)で有名になりました。
しかし、1979年ダイビング事故により配偶者が亡くなったことで、台湾に帰国し、大学で教鞭をとり、数多くの作品を執筆しました。
今回ご紹介する『雨季不再来』は、主に三毛が17歳から22歳の間に書いた作品が中心となったエッセイ集です。(ちなみにこの本は中国で出版された簡体字バージョンです。)
三毛は海外生活が長く、私はすごくアクティブな印象がありました。でも、初期の頃の作品を読んでみると、彼女はとても繊細な女性だったのだと思います。
『雨季不再来』は、前半は子供の頃から少女時代、学生時代の思い出が、後半はスペインなどの留学時代の体験談が中心となっています。
これらを順に読み進めていくと、三毛の人生を辿っていけるので、とても興味深かったです。
「蓦然回首」
まずは「蓦然回首」(訳:ふと思い返す)について紹介します。
数ある作品の中で、私はこのエッセイが一番印象に残りました。
彼女の絵の恩師、顧福生先生との出会いを書いたものです。
三毛は中学に入学してから、教師による体罰などが原因で学校に行かなくなってしまいます。両親は色々と働きかけてくれたのですが、中々うまく行かず、三年以上の月日が経ちました。
ある時、姉の友人が通っている画家の先生の所に、彼女も行くことになります。そこで彼女の人生を変えた顧福生先生との出会いがありました。
最初の先生との出会いのシーンです。
那一段静静的等待,我亦是背着门的,背后纱门一响,不得不回首,看见后来改变了我一生的人。
那时的顾福生——唉——不要写他吧!有些人,对我,世上少数的几个人,是没有语言也没有文字的。
喊了一声”老师!”脸一红,低下了头。
头一日上课是空着手去,老师问了一些普通的问题:喜欢美术吗?以前有没有画过?为什么想学画……
当他知道我没有进学校念书时,表现得十分自然,没有做进一步的追问和建议。
顾福生完全不同于以往我所碰见过的任何老师,事实上他是画家,也不是教育工作者,可是在直觉上,我便接受了他——一种温柔而可能了解你的人。
(P83-84)
顧福生先生は、三毛が学校に通っていないことを知ってもとても自然で、あれこれ聞いたりしませんでした。
また(本人曰く)絵の才能のない彼女に根気強く、優しく接してくれたそうです。
ある時、先生は三毛に「文章を書いてみたらどうか?」と提案し、雑誌・月刊『現代文学』を貸してくれたことが、大きな転機となります。
彼女の文章を読んだ先生が、『現代文学』の編集をしている友人・白先勇に原稿を渡し、その才能が認められたのです。作品は『現代文学』に掲載されました。
(彼女は当時16歳、すごいですね!その後、白先勇と三毛は長い付き合いとなります。)
三毛は自分を認めてもらえて、とても喜びました。
その後、顧福生先生はフランスに行くことになり、10ヶ月ほどで先生との絵の授業は終わってしまいます。
当時、大きなショックを受けた彼女の気持ちや、20年後にようやく先生と再会を果たしたことが書かれていました。
このエッセイは、少女時代の三毛が周囲に心を閉ざしている様子や、先生と出会ってから少しずつ打ち解けていく過程が丁寧に描かれています。
当時の彼女の苦しみが伝わってきて、本当に切なかった……
後に作家として成功した三毛ですが、彼女が文章を書くようになった原点は、顧福生先生との出会いにあったことが分かりました。
「雨季不再来」
次に紹介するのは、この本のタイトルにもなっている「雨季不再来」(訳:雨季はもう来ない)です。
このエッセイの始まりと終わりの部分が、とても綺麗で大好きです。
まず冒頭はこんな感じです。
这已不知是第几日了,我总在落着雨的早晨醒来。窗外照例是一片灰蒙蒙的天空,没有黎明时的曙光,没有风,没有鸟叫。后院的小树都很寥寂地静立在雨中,无论从哪一个窗口望出去,总有雨水在冲流着。除了雨水之外,听不见其他的声音,在这时分里,一切全是静止的。(P137)
三毛は7年間学校に通っていなかったのですが、聴講生として大学で哲学を学び始めました。そして、当時、学内で付き合っていた恋人と別れてしまいます。
どんよりとした空に、夜明けの光はなく、もう何日も雨が降り続いている状態。
憂鬱な気持ちで試験を受けた後、別れた恋人を恋しく思いながら、降りしきる激しい雨に打たれて帰宅する三毛が描かれています。
私がこのエッセイを読んだのが、たまたま大雨の日だったのですが、こんな感じだったのかな……と臨場感がありました。
そして、最後の部分、全身ずぶ濡れになった三毛は「雨よ、降るなら降りなさい。いつか雨もやんで、またきらきらと日の光が照らすだろう。もう二度と雨季は来ない」という境地になり、辛いことがあっても過ぎ去っていく……という希望を感じさせる文章で締めくくっています。
このエッセイは本のタイトルにもなっていますが、何度読み返してもじんわりと染みこむような内容でした。
总有一日,我要在一个充满阳光的早晨醒来,那时我要躺在床上,静静地听听窗外如洗的鸟声,那是多么安适而又快乐的一种苏醒。到时候,我早晨起来,对着镜子,我会再度看见阳光驻留在我的脸上,我会一遍遍地告诉自己,雨季过了,雨季将不再来。我会觉得,在那一日早晨,当我出门的时候,我会穿着那双清洁干燥的黄球鞋,踏上一条充满日光的大道,那时候,我会说,看这阳光,雨季将不再来。(P146)
この本の後半に収録されているエッセイでは、長年海外生活を送っている三毛のたくましさが感じられます。
しかし、今回紹介した初期の頃の作品からは、本来彼女の持っていた繊細さや感受性の鋭さについても理解することができました。
心の深い部分に響く一冊でした。
ここまで読んで頂き、どうも有り難うございました。