「蟲師」を観てから人生が少し変わった話。
10月に入り、2022年も終わりに近づいてきました。
外は肌寒さを感じ始め、徐々に冬へと気持ちが切り替わるのを感じます。
札幌から東京へ戻る日、外に出ると雪虫が飛んでいて、
少し歩くたびに服に虫がついてしまい、そんなところからも冬の足音を感じました。
雪虫の寿命は1週間程だそうです。カゲロウなどを見た時も感じますが、虫の一生は本当に短くて、とても儚い。
その貴重な一瞬を私のコートの上で過ごしているのかと思うと、なんだか切なくなり、せめて無事にまた飛び立てるよう手を貸したい気持ちになります。
ふと思い出したのですが、
この切なさを感じるようになったきっかけが私にはありまして、
みなさん「蟲師」という作品をご存じでしょうか。
月刊アフタヌーンで連載されていた漫画が原作で、私はアニメからこの作品と出会いました。
美しい自然の描写と音楽が印象的な、不思議で少し怪しい世界観の物語が、静かな流れでたんたんと進みます。心の機微に触れる繊細なお話が多く、とても好きな作品です。
(時代背景が「江戸と明治の間にある架空の時代」というノスタルジックな雰囲気も魅力の一つ。)
この中でも一番印象的だったのが、第6話の「露を吸う群」で、
これを視聴した後、私はとても影響を受け、外を見る視点が大きく変化しました。
※ここから物語のネタバレを多分に含みます。
この生き神として登場する少女は、寄生されたことで「蟲の時間感覚での生死を毎日繰り返していた」というお話で、
簡単に言いますと「生まれてから死ぬまでを一日で体験し続けていた」というお話。
少女は人間の時間に戻った時、
膨大な時間に足がすくむようで、とても恐ろしいと話していて、蟲の時間で生きていた時は自我が失われても、ひどく満たされたような感覚があったと話します。
そして最終的には自ら蟲に寄生され、再び蟲の時間で生き続けることを選ぶという結末。
私はこの話と出会ってから、
世界の感じ方は時間の密度によって大きく異なるのではないかと、周りのものでも想像するようになりました。
もし、一生が24時間だったら。
太陽のきらめき、風の冷たさ、空気の匂い、その全てがひどく新鮮で、
きっと雨でも曇りでも、人生ではじめて感じる天気はひどく美しい。
思考が入り込む余地もないほどの外界からの刺激を受け、ただただ感動して一生を終える。
そんな想像をすると胸がどきどきしてきます。
そして、身近にいる犬や猫、道端の小鳥や、小さな虫、さらには私より長く生きる大きな木など、
視界に入る生命のどれもがそれぞれの異なる時間の中で生きていて、同じ世界にいても想像もつかない感覚なのだと思うと、自分と共存し触れ合えることがすごく尊いことのように感じるようになりました。
(そして自分より短い一生を想うと、切なさと同時に、このひと時の触れ合いの重大さを想像するようになり、真摯に対応したい気持ちがわくようになりました。)
そしてそれは人も同じ。
自分も他人も、異なる時間の密度、異なる環境で人生を構成しているので、自分と全く同じ認識を共有することはきっとできません。
それを少し意識すると、人と違うことは前より気にならなくなり、
共感できた時は小さなことでも感動できるようになって、
なんだか周りにも優しく接せるようになった気がします。
(まだまだ未熟故、ままならない時もたくさんありますが。)
学生時代何となく観始めた「蟲師」との出会いは、
その後の人生に大きく影響を与えてくれました。
人生を豊かにしてくれた、大切な作品。
今日はそんな「蟲師」について書いてみました。
少し長くなってしまったので、今日はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。