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という、クセ
こんにちは。きっかけアクセサリーのお店カナ・ノワール堂、店主の音海奏乃です。
皆さんには、「これって自分だけかな」と思うようなクセはありますか? 自分だけのクセも自慢できる感じがしてとてもいいですよね。
今回は、そんなクセに関するお話を。といっても、面白いものではなく、介護を通していつの間にかクセになっていたものを淡々とご紹介します。
つい、気にする
かれこれ4年間、高次脳機能障害を持つ親族の介護をしているのですが、最初の頃はそれはもう、目が離せない状態でした。
自分で動けるのですが、何のために動き出したか、何をしに行くのかがわかっていないため、よくわからない行動にでる。入院生活が長かったため筋力がなく、おぼつかない足取りで動こうとする。熱い(暑いも)寒いを感じにくい。挙げればきりがありませんが、とにかく寝ているとき以外は細かな注意が必要でした。
今ではだいぶ変わってきて、目的をもって行動ができたり、筋力もまぁついてきたので、そこまで注意して見守ることもなくなってきました。しかし、それでも4年間の癖でつい、気にしてしまうのです。
室温や飲食物の温度は大丈夫か、足元は転ばないようになっているか、ティッシュは取れる位置にあるか、などなど。要介護者と喧嘩したときなんかは「もう面倒見ないからね!」と宣言するのですが、結局、つい気にしてしまうんですよね。クセって、恐ろしい。
つい、心配になる
私が外出するときは、家族でほかに面倒を見てくれる人がいるとき、と決まっています。そのチャンスはめったにないので、外出して時間を自由に使えるときはとてもうれしくなります。
最初は、ね……。
というのも、前日や当日の出発前は、何をしようか、どこへ行こうか、あれこれ考えてワクワクしているんです。そこまでは、楽しい。あ、正確に言うとすぐにご飯を食べてもらえるようにと作り置きをしていかなくてはならないのが若干の手間ではあります。
話がそれましたが、問題は出発してからです。街中で時報を聞くタイミングや時計を見るタイミングがあると、「ご飯は食べられたかな」とか「着替えが置いてある場所はわかったかな」とかとか「いつものお茶を用意していくの忘れちゃったわ……。」なんて、心配になってくるのです。よく、子育てをしている方が、子供を預けての外出は結局気が休まらない、という話を聞いていたのですが、「本当だ!」と心から感じました。
で、自由に使える時間はたっぷりあったはずなのに、早めに切り上げて帰っちゃうんですよね、これが。家族のことを信用していないわけではありません。が、いつも私のやりやすいように物などを配置しているので「わかったかな」「できたかな」と不安になってしまいます。こればっかりはもう、できていなくても違っていても「それがその人のやり方だ!」と割り切るしかないのでしょうが、心配になるんですよね……。
だから、そんなに手がかからなくなったはずの今でも、外出を1日中楽しんだことはありません。外出が嫌いではないのですが、どうも気になってしまって、楽しめない。それだと、一緒に過ごす人がいる場合は申し訳なさもあって、あまり友人とも会わなくなってしまいました。
私が気にしすぎなだけかもしれないんですけどね。
つい、優先する
外出の計画を立てるとき、ご飯を配膳するとき、介護サービスを受けるとき。ついつい、自分の予定や事よりも、要介護者のことを優先してしまいます。
例えば、出かけるとき。あそこも行きたい、ここも行きたい、とは思うのですが、要介護者の体力を考えるとそんなに多くの予定はこなせません。先述のとおり、私が外出できるタイミングはめったにないので、あれこれとついでに寄りたいところなどを思い浮かべてしまうのですが、はっ、と我に返って、取り消します。
ご飯を配膳するときも、要介護者が優先です。食事のタイミングはほかの家族と同時なので、配膳の順番を工夫しています。要介護者は熱さに鈍く、そのまま口に入れてしまう傾向があるので、口内のやけどを防ぐため、一番先に盛り付けます。そうすると、全員の分が盛り付け終わったタイミングで、ちょうどいい温度になるからです。小さく切るとか、お皿を別にするとか(食べたことに関する記憶がなく、ほかの人の分をとってケンカになるため)言われる前に、そういう工夫もしているのですが、それが終わるまで自分も食べられないので、少し悲しい気持ちになります。
それから、介護サービスを受けるとき。さすがに、私自身の体調がすぐれないときは別ですが、それ以外の場合は介護サービスが優先です。出かけたいな、と思っても、サービスが先。この日はこういうことをしようかな、と思っても、サービスが入ってしまえば変更……。自分に決定権があるサービスのほうはいいのですが、家族の都合で決まる方のサービスは変更が効かないため、予定が非常に立てにくいか、いっそ立てないか悩むくらいです。おかげさまでナマコレベルの予定変更に関する柔軟性を身に着けたといえば聞こえはいいですが、実際はただ、自分の予定が介護で埋まっていくだけなのです……。
と、いう具合に、介護を始めてからは自分ではなく要介護者や家族が優先の状態で生きています。普通かなと思っていましたが、冷静に文章にしてみるとそうでもないのかも……? 介護って、どうしても自分を犠牲にするイメージがありますが、半分その通りで、半分違うんですよね。なんとも形容しがたい、介護の奥が深すぎる世界……。
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ということで、今回は介護を通していつの間にかそうなっていたという、クセのお話でした。子育てと介護は似ているような部分があるなと思いながらも、本質的には違うよな、なんて考えながら、毎日ちょっとした憂鬱から気をそらしています。
4年たってようやく冷静に自分の環境を客観視できるようになったのですが、書いていると不思議な気分ですね。みなさんも、精神的に余裕を持てる時期になったら、客観視してみると新たな発見があるかもしれませんね。
きっかけアクセサリーのお店カナ・ノワール堂
音海奏乃
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