「男と女は補い合うべき」という思い込みから自由になろう。
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先日読み終えた本「神との対話2」の中で気づいた、
私にとって衝撃的とも言える視点が
「人との関係性において一番大切なのは、相手に必要とされないこと。」
という考え方である。
なぜなら(これは読書感想文にも書いたのだが)、私はずっと「人に必要とされるために頑張ってきた」からだ。
【読書感想文はこちら👇】
しかし、このことについて考えれば考えるほど、過去に起こったすべてのことが「なるべくしてなったのだ」と理解できるようになってきた。
それにしても・・・
なぜ、今までの世界では男女の関係について
「男と女は補い合う存在」とか「2人でひとつ」などと、男女それぞれが単体では「完全ではない」と思わせようとしてきたのだろうか。
その上、なぜ世界は映画や文学、TVなどのメディアを通じて男女間で交わされる
「あなたなしには生きていけない」とか「あなたのためならどんなことだってする」といった(今となっては)脅迫じみたセリフをまるで「美しいもの✨」であるかのように伝えてきたのだろうか。
*
私が思うに、今までの世界では「不完全な存在としての自分」を経験するために「人は一人では生きられない」と思い込ませる必要があり、そのために「自己犠牲を伴う男女の愛」や「互いに必要とされること」が素晴らしいことであるという観念を創り上げたのではないだろうか。
私たち人間は、一人一人がすでにそのままで完璧なのだ。
だから「○○がなければ生きていけない」などということはない。
だからと言って、過去のさまざまな恋愛経験を恥じることも、後悔することもない。
なぜなら私は、その経験をするためにそこに生きていたからだ。
「あなたなしには生きられない」という感情を。
「他の人よりも必要とされるために、どんなことでもする」という自己犠牲と究極のエゴに支配された経験を。
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この感情は「究極のエゴ」というだけあって、「これ以上ない」というところまで完全に振り切っていた。しかも自分ではそれこそが「究極の愛」だと思っているから、何の罪悪感もないどころか、「誇り」にさえ感じていたのだ。
「究極のエゴ」に支配された私にとって「あなたと私」は一つの存在であり、その割合は「あなた100%、私0%」なのだ。
私が0%って一体・・・?
そして、そういう状態である時に私は相手にもそれを求めていたのだ。
そうすれば当時の私の計算では
「あなた100%、私100%、合わせて200%」になるはずだった。
ところが、私が相手に与えたはずの「100%」はまったく実体のないものであり、完全なる「押しつけ」であったことに今になって気づいた。
ということは、私が命がけで行ったはずの「愛」が「あなたも私も0%」という悲劇的ともとれる結果をもたらしたのは、何の疑いの余地もないくらいに当然のことだったのだ。
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私は今までずっとこのことが理解できず、「忘れ去りたい過去」としてブラックボックスにただしまい込んできた。いつかそのまま廃棄処分できる日がくると信じて。
たしかに、そのことがどうしてそうなったのかわからなければ「ゴミ同然」だったのかもしれない。でも、理解できる日がついにきたのだ。
それを経験した意味を、やっと私は理解できたのだ。
以下、「忘れ去りたい過去」との感動の再会である。
私:“こんな暗くて狭いところにずっと閉じ込めてしまって、ごめんなさい。
あなたを「恥ずかしいもの」「悪いもの」として責めてしまって、ごめんなさい。
あなたは私が望んでした「実は楽しい経験」であり、「真の自分を知るために必要な経験」でもあったのですね。ありがとう。どうぞ、シャワーを浴びてこのシルクのパジャマに着替えてくつろいでください。チョコレートもあります。マシュマロもあります。
ささ、どうぞどうぞ。“
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そういえば、思い出してみると不思議な感覚がある。
私はその時どこかで「こんなはずがない」と知っている気がしたのだ。
でも「今はこうするしかない」と。
そして、その「何かに逆らう感じ」をむしろ楽しんでもいたのだ。
なるほど。「楽しんでいた」わけだ。
苦しみを。悲しみを。裏切られる悔しさを。自己犠牲を。捨てられる痛みを。
そして「これでもか」というところまでやれば、何かしらの答えが出るに違いないと心のどこかで思っていたのだ。
しかし、まさかその答えが今頃になってわかるとは。
🌈
私はこれからの人生を「一つの完璧な存在」として生きていこう。
人との関係性が人生にもたらす喜びに感謝しつつ。
*
男女の性の違いは、個性の違いと同じである。
だから「男っぽい女性」や「女っぽい男性」がいるのは当然のことだし、一人一人がその時々で「男っぽくなったり女っぽくなったり」もするわけだ。
それを「おかしい」などと非難するのは無意味なことだし、これからは誰もそう思わなくなるだろう。男も女も関係なく、すべての人がしたいようにすればいいのだ。
その瞬間に、ありたいように在ればいいのだ。
男と女に決まった役割を持たせる時代は、もう終わった。
だから「お互いに補い合うべきもの」もない。
なぜなら、すべての人はその一人一人が「男であり、女である」からだ。
すべての人はそのままで完璧な存在である。
私は「誰かに必要とされるために頑張る人生」ではなく、
「完璧な真の自分を実現するための人生」を選ぶ。
完璧な真の自分に補うべきものは何もない。
すでに持っている力を、好きなように選んで実現していくだけでいいのだ。
♡♡♡最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの幸せのヒントが見つかると嬉しいです^^!
いっっぱいの愛をこめて。♡♡♡
桑田華名
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