
頑張るのが恥ずかしい。そんなふうにいつの間にか思ってた〜あの頃の私を癒すRUN〜
ランニングを始めて
過去の私がむくむくと現れております。
私は、小学校の1年生までは、足が決して遅い方ではなかったと記憶しています。
なんなら、小学校の1年生の時は、クラス対抗リレーの選手に選ばれたくらいなので、きっと、速かったのでしょう。
それが、なぜか、その記憶を最後に、私は「足が遅い」が刷り込まれて、実際に、私は、走ることが苦手になってしまったんです。
思い出してみると
・1年生の時、50m走で膝に怪我をしてすごく辛かった。
・リレーの選手で走ったけど、思うように走れなかった。
・走ると顔が真っ赤になりクラスメイトや先生に心配されて恥ずかしかった。
そして、私の走り嫌いを決定づけたのは
小学4年生のとき、半年でやめたバスケ部。
私は、私なりに走りが上手になって、マラソン大会でも、それまで後ろから数えた方が断然早かった順位が、学年の真ん中くらいまで順位を上げれたのです。
密かに嬉しく得意げになっていた私ですが、
他の部員は、一桁を目指す人ばかり。
私だけレベルが違いすぎる・・・。
頑張っても、辿り着けない「壁」をはじめて感じました。
その時、「頑張っても無駄なことがある」って思ってしまったんですね。
本当は、自分の中で、順位をあげれたこと、走りが上手くなっていたこと、それを自分で自分に丸をつけてあげれればそれで良かったのですが
周りと比べることで、自分の達成感を無きものにしてしまった。
自分で自分を殺してしまったんです。
本当はあの当時、私は、走りが上達している自分がすごく楽しかったんです。
このまま、誰のためでもなく、順位なんてどうでもよく
とにかく走っていたいって思っていた
でも、それを、「頑張ってるのに成果を出せないやつ」と思われるのが恥ずかしくて、失敗するのが怖くなってしまって
走ることをやめてしまったんです。
今、急に走ろうって思ったのは、
当時の自分を癒すため なのかもしれません。
顔は真っ赤になります。
赤い顔ほど、足はろくに進んでいません。
それを恥ずかしいと思う瞬間もあります。
でも、今は、誰になんて思われるかなんてどうでもいいんです。
私が、楽しく走る。
その感覚を味わっているだけです。
自分にとことん集中してRUN。
あの頃の私と一緒に 今は enjoy runです✨
今日も、RUNを25分。
呼吸に意識しながら途中で歩くことなく
走り続けられました。
止まりたくない🏃♂️そんな感覚を楽しんでいます✨
今日も、ありがとうございます⸜(*ˊᗜˋ*)⸝