見出し画像

私の母は、何も言わない人だった

別の記事を書いていた時、「母親は〜と言った」とか「親にこう言われたから」と書いて、ふと【本当にそうだったかな】と考えて思い返してみたら、

本当は何も言っていなかった、と気づいた。

しかし私は母親の態度から「そう言われた」と勝手に解釈していた

記憶が改竄されているかもしれないと気づいたら、なんだかなんとも言えない気持ちになった。

今日はこの気持ちを残していきたいと思ったので、書いていきます。
(重い話ではないですが、明るい話でもないです。母親への不満や関係を語っています。)

こんにちは!Kanaです。

普段はジャーナリングアドバイザーとして、ジャーナリングを使いこなして幸せに近道するアドバイスやイベント講師、コミュニティ運営、起業サポートをしています。

私はずっと親に愛されていないと思って育ってきた。

両親は私に無関心だった。(と思っていた)

父親はそもそも仕事ばかりで話す時間がなかったし、自営業だから3食を家で食べていたけど、ご飯の時間はテレビの時間だったから会話をした記憶はあんまりない。

ただ年に1回、夏休みになると必ず家族旅行に連れて行ってくれること、自営業の合宿や遠足に一緒に連れて行ってくれたことは今でも鮮明に覚えていて、あれが父親なりの子育てだったんだと思う。

家族のために働いて、たまにはどこかに連れて行ってくれる、くらいだったけど、父親に対して不満はない。

母親には不満がたくさんある。
専業主婦で”良い母親”をしている自分を見せるために使われている感覚だった。

”あなたを産んでおいてよかった”が口癖だった。

ネグレクト、とはまた違う。
完全に無関心なわけじゃなくて、どんな話をしても「あなたがそうしたいなら、そうすればいい」という態度なのだ。

大人になった今なら、それは私を信じて尊重してくれていたのかもしれない、と分かる。

でも、子供の時は私はどうなっても良いんだと思っていた。
だって、どんなに危険なことをしようとしても、どんなに悲しくて苦しんでいても、何もしてくれなかった。

お願いすれば、動いてくれた。
例えば、小学校で不登校になった時、「クラスにいるあの男の子がいじめてきて嫌だから、今度のクラス替えで彼とは違うクラスがいい、と学校に言って欲しい」とお願いしたことがある。

ちゃんと母親は学校に連絡してくれた。

そんなことをしても大丈夫だったのか、私は不安だった。それでよかったのかわからなかった。
全てを自分で選ばなければいけなかったから。

子供には責任が重すぎた。
守ってくれる存在はいないと思っていた。
もし間違えたら死んでしまうかもしれないと怖かった。
愛情は当然感じられなかった。

それからも何を基準に、何を信じて選べばいいかわからないままだったから、「母親に話してみた時の反応」を参考にしたんだと思う。

「あ、これはきっと心の中ではよく思ってない反応」
「これは何も言わないけど、やってほしい反応」

そうやって顔色と態度と発言を考慮して選択してきたように思う。


やっぱり母は何も言っていなかった。

いや、「あなたがしたいようにしなさい」はよく言われた(気がする)。


私がしたいようにしてきた人生は散々だったよ。そりゃあもう酷いもんだった。ぐっちゃぐっちゃだった。

だけど、あなたがそう育てただけあって、私は大人になった今もわがままにしたいように生きている。


今はようやく”したいようにする”の正体がわかったし、それを許せるようになったし、大人になって色々わかったからね。

訓練され続けた結果、と思って良いよね。

いまでは感謝しているよ。

勝手に解釈した母親の思いがどこまで本当だったかを確認することもない。

きっと子供って多かれ少なかれそんなふうに親を見て育っていると思うしね。

無事に自立した自分で考えられる大人に育ちました。
これからももしかしたら言ってない言葉を言われた言葉だと思って、無意識に引用しちゃうかもしれないけど、許してね。


最後まで読んでいただきありがとうございます!
スキとフォローが励みになります♪

▼Kanaと話してみたい!と思ってくださったらLINEから

▼一番Kanaのことを知ることができるのはここ!

▼Kanaのホームページ



いいなと思ったら応援しよう!

Kana | じぶん物語を紡ぐ人
いただいたお気持ちはひとり時間を優雅にしてくれるほうじ茶ラテに使わせていただきます✨