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目標なんてなくてよかったんだ

人生を変えたいと思ってから
今の生き方になって
だんだんこれが当たり前になってきた。

昔の自分ってどう生きてたんだっけ?
と、ふと5年前の自分を思い返したら
「あーそうだったそうだった」と
ジャーナリングの手が止まらなくなった。

今日はその気づき「別に目標がなくても人生は幸せになる」というテーマにして、書いていこうと思います!

こんばんは!Kanaです。

普段はジャーナリングアドバイザーとして、ジャーナリングを使いこなして幸せに近道するアドバイスやイベント講師、コミュニティ運営、起業サポートをしています。

※この記事は我がままパーク「本音発信ゲート」のアトラクション内で書いたものです。


私は常に目標を持って生きていたいと思っていた。
頑張ってる自分が好きだったし、何かに向かって努力できる自分でいたかった。

いつからこの価値観、この生き方が形成されたのかわからないくらい小さい時からそう思って生きてきた。

現に今、人生を変えたいと思って、手に入れた理想の生き方は「目標を飛び越えて、将来の夢を持つほど志が大きい生き方」になった。

そのために頑張れる今の自分が好きだ。


でも、ふと思った。
5年前の私は家を建てようとしていて、パートに働きに出ていて、時間がある時は鳥と戯れたりゲームしたりする暮らしをしていた。

あの頃、特に目標はなかった。
こんな毎日がずっと続くんだろうな・・・と漠然と思っていた。

だからあの頃の自分は幸せじゃなかったのか?
あの頃の自分は好きじゃなかったのか?

多分答えはNO。
幸せを感じられていなかったし、自分を好きじゃなかったけど、その理由は別にあった気がする。

目標があるとかないとか、そこが重要だったんじゃないと思う。


重要だったのは「嫌なことをしている割合」だったんじゃないか。
別の言い方をしたら「ストレス指数の問題」だった気がする。


当時のストレスは

  • 旦那が家にいない(家のことは全部自分がやらなきゃいけない)

  • 心地よい人との関わりが皆無だった

  • パート先の人間関係に悩んでいた

この割合が大きくて、幸せを感じるより先に不満に目がいっていたように思う。


今はこのストレスが全て消えた。

・旦那は転職して余裕ができて家のことも一緒にやってくれる。
・オンラインでつながる心地よい人間関係がある。
・仕事の人間関係で悩むことは無くなった。


そう、嫌なことをなくして心地良くなった。

今は将来の夢もあるし、人生の計画もある。
だけど、もし「夢をぜ〜んぶ諦めて、今の生活をずっと続けて」と言われたとしても

私はギリギリ受け入れられると思う。


まあ、それもまた幸せな人生か

と納得してしまいそうになるくらい、今の生き方に満足しているらしい。


いや、そりゃ夢は叶えたいし、人生に主体的でありたい。
私は頑張っている自分が好きってゆう価値観になっちゃってるから、主体的に人生を生きていたいと願うけど

って反論は出てくる。これが今の私の中にある価値観

多分この意見が出てくるかどうかは、人それぞれの性格の差というか、大事にしている価値観の差だと思って。


つまり、
平凡で穏やかな毎日が続くことが幸せだって価値観の人なら、目標なんてなくても今を大事に生きていけばいい。

別に目標もいらないし、頑張り続けなくたっていい。


そう、私にも同じことが言えるんだ。

私だって、頑張っていたい・何かに向かって努力していたい自分と思っているだけで、その価値観を手放して「今を続けよう」ってマインドにしてもいい。


その上で・・・「私はどうしたい?」


改めて問うてみる、自分に。


人生に主体的でありたい

目標自体にこだわる必要はないと思った。

目標とは目指す先。めじるしだ。

よく「手段と目的を履き違えるな」というが、目標は手段であり、目的が本来重要なこと、という意味。

目的があるから、目印が必要になる。

だからこそ、人は「人生の目的」を考えてしまうのかもしれない。
「生きる意味」「人生の目的」そんなことを考えて、それがない人生はつまらないだとか、ダメだとか思うのかもしれない。
探してしまうのが人間の性なのかもしれない。


今回私がジャーナリングから得た気づきは、「人生に主体的であればいい」という自分の意志だった。

私は「生きている」と思いたい。これが願望。

5年前はただ生かされていた。死ねないから生きていた感覚。
それが嫌だった。
ストレスが多くて、でも死ねないし生きるしかない。
そんな受動的な生き方が嫌で、

今の自分が選んで、自分が心地よいと思うようにして、工夫して暮らせることが楽しい。
主体的に動いていることは私に「生きている」実感を持たせてくれる。

だから目標も将来の夢もあるけど、それに囚われてそれだけを大事に生きていくんじゃなくて、今ののらりくらりした生き方も「ストレス0」だからOKなのだ。

自由気ままに暮らしてる今が続いて、何かのタイミングで次のステージに行くきっかけができて、その時に行動できる自分でありたいんだと思う。

主体的で自由であれば「生きている」と思える。

人生には「意味」がわからないことも多い。
それでも意味があるのか、とか
メリットがあるのか、効果があるのか、そんな損得勘定じゃなくて、

ひょいと動ける自分でいたくて、そんな自由な自分を「生きている」と感じられる価値観を持っていると思う。


目標なんてなくてもいい。
生きる意味なんてわからなくてもいい。

自分の価値観、自分の願望。
自分が心地よいと思えることを知っている。
そのために動けている。

そっちのがよっぽど優先度が高い重要なことだ。



久しぶりになっがい記事になってしまいました〜!!笑
ちなみに最近メルマガ「かなんなか」でもこんな感じのことを熱く語っておりまして🤣

今はそういうスイッチが入ってるようです。
ジャーナリングで自分を深掘るってどんな感じ?というのも伝わるかな〜とこの記事はnoteにしてみました!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

今日の話があなたにとって何かを考えるきっかけになったり、お役に立てれば嬉しいです❤️

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