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アートや音楽、本のこと

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アートや音楽、本について書いたことを随時、発信します。 マガジン画像の詩集『きみは転がりこんできたね、マイボーイ』は、川畑battie克行氏の作品です。
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記事一覧

塩田武士著『存在のすべてを』

昨年の10月に藤岡市立図書館の新刊棚で見つけ、借りて読み、印象的だった場面をPCにメモしてお…

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群馬県立近代美術館ライトアップ

高崎市の「群馬の森」という公園に建つ群馬県立近代美術館は、ちょうど50年前の今日、1974年10…

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中嶋中春『White, White, White』を読みはじめる前に

詩人の峯澤典子さんをはじめ、何人かの方がX(旧Twitter)で紹介されていて、ネットで注文、昨…

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火を鎮/沈める——蔡國強展を観て

この文章は、昨年7月1日(土)に、青森在住の友人で、詩人・SSW(singer-songwriter)の川畑ba…

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《若林奮 森のはずれ》展

この文章は、昨年7月1日(土)、青森在住の友人で、詩人・SSW(singer-songwriter)の川畑batt…

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内藤礼——minima aethetica

「内藤礼 生まれておいで/生きておいで」展を観て 東京国立博物館 6月25日(火)〜9月23日…

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監督・脚本・撮影 上田義彦『椿の庭』(後編)

掃除機をかける渚に、絹子が「渚、玄関もお願いね」と声を張る。姿見の前で白い夏の着物に薄緑の帯を締める絹子とそれを笑顔で眺める渚。玄関のチャイムが鳴り、「は~い」と階段を降りる絹子と渚。もう一度、絹子の「は~い」。玄関には白いシャツにベージュの上着を着て、パナマ帽を被った男性が。絹子の夫の友人(絹子の友人でもあった)幸三(こうぞう=清水紘治さん)。(絹子がめかしこんで浮き浮きしていたのは、この人の来訪を心待ちにしていたから)。昔を懐かしむふたりの会話。「たしか後楽園に遊園地がで

監督・脚本・撮影 上田義彦『椿の庭』(前編)

冒頭、何か赤い炎のようなものが揺れ、それがしだいに水草の浮いた水の中を泳ぐ金魚だとわかる…

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《宇佐美圭司「大洪水」》展

昨年7月28日(土)に、高崎市の「ガトーフェスタハラダ 本社ギャラリー」で観覧した《宇佐美圭…

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「電子の森」と「彫刻の森」

昨年5月13日(土)、東京のアーティゾン美術館で《DUMP TYPE 2022:remap》展を観た後、帰路の…

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加納光於さんからの手紙

2008年1月11日、48歳の誕生日の日付で、第一詩集『干/潟へ』を上梓した際、版元の思潮社様を…

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Summer Solstice and Major Lunar Standstill

布施英利さんの『美術でよみとく京都の庭園』(株式会社エクスナレッジ、2024年2月26日 初版第…

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ほしおさなえ『まぼろしを織る』

表紙写真は染織ブランドatelier shimuraと服飾ブランドmatohuによる植物染・手織の共同ブラン…

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賢治と嘉内(後編)

鞍掛山、とし子の死 大正11年5月21日、賢治は盛岡から西へ12kmの小岩井駅に降り立ち、小岩井農場へ向かう。このとき書かれた詩が「小岩井農場」。小岩井駅から小岩井農場へ、さらに賢治が歩みを進めたのは20km先の鞍掛山の麓だった。そこで賢治は「恋愛から宗教的情操の高み」を目指す転身の試みを吐露しているという。 日本女子大学を卒業し、花巻女学校の教師をしていた妹のとし子(本名トシ)が、大正11年11月、24歳の若さで病没。賢治はとし子の魂との交信を求めて、樺太への旅に出る。