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『日本の歴史』を鑑賞して
舞台を見るのが好きだ。
大学生の頃に友人に誘われて行った蜷川幸雄演出の舞台を観て、すっかりはまった。
沢山の演目を見てきたなかで、最も好きなものの一つが、先日観た三谷幸喜の『日本の歴史』だ。
(”いい”ではなくあくまでも”好き”なお芝居。ベスト3のうちもう1つは井上ひさし/蜷川幸雄の『天保12年のシェイクスピア』)
今回は2018年の初演から3年ぶりの2度目の公演だったのだけれども、やっぱり2年に1回くらいコンスタントに上演してほしいくらいよかった。
ひとつひとつの言葉が刺さるのだ。
これはぜひ、キャリコンの人と意見を交換したい。
キャリアに限らず、なにかに悩んでいる人に見てほしい。
無駄に思えるものにこそ価値がある
2018年 初演
この時、いちばん刺さった歌詞は
♪ 人生で大事なことは 人生で大事じゃないこと ♪
エンタメの価値を歌ったものだ。
・目に見えるものだけが真実じゃない
・ムダと思えるものに価値がある
・役立つものと自分にとって価値あるものは違う
そう思って生きてた自分にぴったりとはまった。
この言葉は、コロナ禍で大好きなファッション業界が危機的状況になっているとき、ライブやお芝居が中止や延期になったとき、それらを政治が「不要不急」なものと扱ったときに、なんども思い出し、なんども歌った。
人間の歴史の中で幾度もの自然災害、疫病、戦争が繰り返されてきた。
その中で、廃れてしまったものもある。
それでも、芸術はなくならなかった。それは決して“不要”なものなどではなかったからではないだろうか。
なぜ、わたしは生き、働くのか
2021年 再演
今回、いちばん刺さったのは
♪ それでもこの世に生まれたからにゃ 生き抜いていくしかねえんだよ ♪
という歌詞だった。
この考え方も、自分に元々ある考え方だ。
わたしは「生まれてきてしまった」と思っている。
だから、自分が生まれことに意味があるとは思っていない。
自分にしかできない事なんて、この世にはないと思っている。
では、なぜ生きるの?なぜ働くの?
それは、生まれてしまったから。
生き抜いていくしかないから。
でも、それならば、その人生を目いっぱい楽しみたいし、自分で自分に人生に意味を持たせたい。
それがわたしの生きる理由であり、生活費のためだけでなく、自分のビジョンを持って働き続ける理由だ。
キャリコンとしての矛盾
舞台、日本の歴史はたくさん笑える。
そしてたくさん泣ける。
♪ あなたが悩んでいることはいつか誰かが悩んだ悩み ♪
わたしは、この言葉にすごく救われたし、これこそが歴史を学ぶ意味だと思っている。
でも、もしも自分が悩みを相談されたら「あぁ、そういうことで悩む人っているよね」「あなただけの悩みじゃないよ」と受け取ってはダメなのだ。
いつか誰かが悩んだことだけれど、その悩みはその人だけのものだ。
それでも、悩んでいる本人が自分で出会うことができたら、それはすごく勇気づけられると思う。
身近にロールモデルを見つけられなくても、歴史に、物語の中に、ロールモデルはいるかもしれない。
キャリコンの方で、日本の歴史を見た方がいたらぜひこの辺りについてもお話ししてみたいのだ。
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