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怒りはチェックポイント?

今回は、いつもの整体関係の文章とは違い、私の心の問題を紹介したいと思います。


先日、ある友人と喧嘩状態になりました。
その友人には、インドのラマナマハルシから続く考え方を教えてもらっているような間柄でもう数年以上の付き合いです。

いつものように、私たちの先生のセミナーの広報をお手伝いしている時に、次のセミナーはより多くの方に参加していただきやすいように無料にしようと、彼が決めて、私はそのお知らせ文を書きました。

私達は、この素晴らしい教えと、素晴らしい先生を必要としている方々に紹介していきたいと考えているのです。

そこで私は『今まで興味はあったけど、参加できなかった方に大チャンス!
先生のオンラインセミナーに無料で参加できます』と言うような文章を書いたのです。

すると彼が「チャンスと言う言葉が引っかかるな~。このセミナーに合わないと思う」と言うので、私は「チャンスと言う言葉は、機会と言うニュアンスだから、じゃー、『今まで参加出来なかった方に良い機会です』でどう?」と答えました。

彼はまた「うーん。あと文中の先生の紹介にスピリチュアル・ティーチャーとあるけど、これもひっかかるな~」と。

「でも、他に言い方ある?みんなに分かるような言葉選ばないと、見てもらえないんじゃない?」と返すと、彼が「何だか、商売っぽくて、いやだな。俺もう降りますわ」と言いました。

そもそも、この集まりは彼が始めたもので、私は少しお手伝いをするぐらいの立場ですから、彼が降りる、はあり得ないことなので「そんなに言うなら、俺が辞めるよ」と言うような会話をした後、彼からの連絡がぷつんと来なくなったのです。

私は、だんだんと怒りがこみ上げてきました。

まず、ダメならどうダメかは、きちんとコミュニケーションをとれば解決すればいいのにそれを放棄した事。

もう、数年も付き合いがあり、私もこのお手伝いを商売にしようなどとは考えていないのに、私を信用していなかった事。

考えるとどんどん怒りが沸き起こってきました。

そこで、私もこの教えをここ数年学んでいますから自分の思考を観察しました。

なぜ、自分はこんなに怒っているのだろう?

不用意な発言で私に謝罪するべきなのに、それを行わない彼の態度は間違っている!!
私は自分が正しいと信じて、確信しているのですが、その思考を観察していると、いつものパターンを発見しました。

それはエニアグラムと言う自己探求のツールなのですが、すべての人の思考のパターンを9つに分けて、そのパターンで自分の思考を理解して、思考に巻き込まれないようにするという考え方なのですが、私はその1番なのです。

1番の特徴は、固定観念により自分を縛りやすい それによりジャッジが好きなどの特徴が有ります。

ですから、今回の怒りも、彼は間違ったことを言ったのだから謝るべきである、とかたくなに信じて、思考によりストーリーを作っているのです。

ここまでわかったからと言って、怒りがすぐ収まるほど人間が出来ていない私は又すぐに怒りの感情と思考に巻き込まれていくという事を繰り返していました。

そこに、私たちの先生から英語のメールが届きました。(後で分かったのですが、今回の喧嘩は私だけではなく彼にとっても自分を見つめる非常にいい機会だったそうなのです)彼が先生に話して、先生が私のことも心配してくれてくれた内容でした。

その中で、私の心に非常に響いたのは・・
Sometimes the test is to surrender being right; surrender “knowing” what is right and what is wrong. Ultimately it is to surrender the one who thinks they are right. After this surrender, compromise and peace is possible. Without surrender, there is only ego fighting with ego.

時々、試練は正しさを放棄することです。 何が正しくて何が間違っているかを「知る」ことを放棄します。 結局のところ、それは自分が正しいと思う人を降伏させることです。 この降伏の後、妥協と平和が可能になります。 降伏しなければ、エゴがエゴと戦うだけです。

正しい、正しくないというのも思考だから、それを放棄しなさい、と教えてくれたのです。

そんなこと言ったってと思いましたが、確かに私が彼に自分の間違いを認めさせ、謝罪させたとして、それにより自分はどう感じるだろう?と自問してみると、一瞬は思い通りになって満足かもしれないけれど、その後でそこまで人を許容しない自分にむなしくなったり、恥ずかしくなったり、大切な友人である彼との人間関係を壊したりするのではないかなと思いました。

そこで、先生にその旨をまたメールしました。

先生は親切に丁寧にアドバイスをくれました。
Many people find apologies difficult, because it can feel like your ego is going to die if you admit you are wrong. Both Eli and Gangaji have done things that make people feel uncomfortable, and they have apologised. And sometimes even their apology was not perfect. We are all human beings, and we all make mistakes. Awakening includes the imperfect human in the totality, in love.

多くの人は、自分が間違っていたことを認めると、自分のエゴが死んでしまうように感じてしまうため、謝罪するのが難しいと感じています。 イーライもガンガジも人々を不快にさせる行為をしており、謝罪した。 そして、時には彼らの謝罪さえも完璧ではありませんでした。 私たちは皆人間であり、間違いを犯します。 目覚めには、愛において不完全な人間が全体として含まれます。

イーライとガンガジと言うのは先生の先生たちです。
その人たちでさえ、間違いは犯すし、謝罪も完ぺきではないというのです。

そう、私たちはみんな不完全なので、それを現実の事として認めてしまえば、アイダミツオさんの『だって、人間だもの』の心境になるんですね。

そうすると、これだけ固執している自分の怒りとは結局、自分のエゴを満足させるためだけのものだと思いました。

すると、それまで煮えたぎっていた感情が、スーッと静かになりました。

よく宗教でも言われる『明け渡す』と言うのは、こういうものかな?と思いましたが、自分をすべて明け渡すと静寂が訪れます。

そして、先生は
Let your heart take control and see what it wants to do.

心をコントロールして、自分が何をしたいのかを見てみましょう。

と最後にアドバイスしてくれました。

私が本当に欲しいものは『心の静寂』です。

なら、自分で自分の静寂を破るのはばかげてる!
そう考えれるようになっていきました。

そして、いつの間にか怒りの感情を手放せました。


今回の怒りで、私はこの様な自己探求を行いました。

そして、今は静寂の中でこの文章を書いています。

先生はメールの中で、この様な機会をテストと表現されていましたが、私の実感としては『チェックポイント』と言った方がピンと来るなと感じています。

テストと言うと、受かる受からない、と言うようにイメージが有りますが、別に成功も失敗もなく、うまくその機会を使えれば自分が楽になるよ、言うチャンスと捉えればいいのではないかなと感じたからです。

日々、いろいろなことが起こり心はそれに応じて一喜一憂、揺れ動きますが、最終的には心の働きに巻き込まれることなく、静かに存在したいとまた改めて思いました。

(写真は、メールをくれたジャレッド先生です)

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