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母になりたい気持ちがわからない妊婦の永い言い訳
母親になりたいという気持ちがよくわからない。不妊治療をしていたときも、妊娠31週を終えようとしている今でもわからなくて、申し訳なさを抱えている。
もっとも、1年前の、いや31週間前のわたしに妊娠する予定はなかった。不妊治療は諦めるための治療だったから。あと1回移殖が失敗したら、心残りなく子どものいない人生を歩める。あのころのわたしはそれを望んでいた。
実を言うと2020年にも不妊治療の病院に通ったことはある。当時今よりアルコールに溺れていた夫が不妊治療を勧めてきたのに全然協力的ではないことを悟ったわたしは、不妊治療をやめると同時に子どものいる人生を諦める決断をした。別に熱望していたわけではないので、あっさり引き下がった感じ。同時に、夫の体も長く持たないだろうと推察した。だからフリーランスをやめて会社員になったし、その就職に伴って会社の近くに、自分ひとりでも払える家賃の家に夫と引っ越すことにした。
しかし人生はうまくいかない。
2022年、アルコールに溺れていた夫は引っ越しから2ヶ月で死の淵から生還する。そしてアルコールをやめて元気になった夫に改めて不妊治療と向き合うことを提案された。今さらかよ、と思いながら夫の健康が戻ったなら多少意味がありそうな気がしたしアルコールの抜けた夫なら健全な判断をしてくれそうでもあった。「これで無理なら諦めよう」と言われたわたしは内心「これで諦めてもらえるなら」と頷いた。
このころのわたしはもう子どもはいらないと思っていた。何かに縛られずに生きたかったし、自分の生い立ちによるトラウマとも向き合いたかった。なのに、諦めるために再び妊活。採卵が痛すぎて少し休んだけれど、結局保険適応回数ギリギリの顕微授精5回目で妊娠した。
2024年、妊娠がわかる直前のわたしは再び自分ひとりで払いきれない家賃の家に引越を済ませていた。家賃は高いけれど、再びアルコールを摂取し始めた夫との共働きなら問題なくて、自分らしくいられる好きな街に帰ってきたばかり。仕事もリモートで続けられる。会社に通えなくはないギリギリの距離。子どもは望めないだろうから、仕事より自分の生活やライフワークを優先して、書きながら生きると決意して、トラウマ治療のために時間を使おうと前向きに思っていた。子どもがいなければ夫がアルコールにまた溺れてもまあなんとかなると覚悟できていたし、ピラティスか何かで体力をつけながらわたしは40代を迎えるために準備をしていこうとしていた矢先に妊娠。
医師から妊娠を告げられたとき、素直に喜べなかった。妊娠が継続する確率の方が低いだろうと思っていたのは、高齢出産になるからだ。
それが気づけば妊娠8ヶ月。あと60日もしないで出産を迎える。しかも、完全想定外の地元へのUターン移住も実行した。無職になった夫に代わって、すべてわたし名義での契約。夫の仕事は見つけようと思えばすぐ見つかるだろうから心配はしていないけれど、貯金はどんどん減っていく。
こんなはずではなかった。
何回思い返しても、本当にこんなはずじゃなかった。1年前にわたしの思い描いていた未来とは違う方向に進んでいる。でも、2024年のわたしにはこれ以外の選択もできなかった。
妊娠31週目の今も子どもを迎える覚悟みたいなものはできていない。「子どもに会いたいという気持ちでお産に臨みましょう」という助産師のアドバイスを聞いてポカンとしてしまった。母になる実感もないのだから「子どもに会いたい」なんて気持ちもよくわからない。友達が話す「子ども服がかわいくて選べない」もわからない。母の日というイベントを素直に受け入れられない。典型的なジャパニーズマザーを思い描く人からすれば、最低な母親だと言われてもおかしくないんだろう。この1ヶ月でそんな雰囲気を感じる場面に何度か出会った。
わたしはきっと、一般的に描かれるような母親にはなれない。
理由はある程度見えている。機能不全な家庭で育ったから。家族という社会の最小単位を信じきることができないから。自分の中の幼児を救えていないから。一般論としての「そんなの大丈夫だよ、子どもと一緒に成長して親になればいいんだから」というアドバイスを安易に信じることもできないのは、そういう理由がある。
親として、大人として、必要で大事なパーツが絶対的にわたしには欠けている。
***
妊娠する前のわたしは、母親として生きる人や母親になりたいと切望する人と自分の間に明確に線を引いていた。わたしの「母親になりたいと思えない」という感覚を理解してもらえないと思っていたから。
同じく「母になりたくない」という思いを持つ人が意外といるのだと書籍やnoteで知ったのは、妊娠がわかる直前。やっと同志と出会えたと思った矢先に、その人たちともまた違う道をわたしは行くことになってしまった。それでも、自分の腹の中で細胞分裂を続ける命を捨てることができなかったのは、単純に怖かったからなんだと思う。それは蚊も殺せないわたしが、自分の腹の中の生命体を差し出すことができなかっただけのこと。
「母親になりたい」と思う人にわたしの生い立ちや複雑すぎる思いを理解してもらえるとは思えないし、「子どもはいらない」と言える人の気持ちはわかってもわたしの状況は少し違ってしまう。どっちつかずの宙ぶらりんの存在。こうして一般論のどこにも属せないまま、わたしは今日もふわふわと漂っている。
まもなく子どもは否応なしにこの世に出てくる。でも自分の幼少期の気持ちを消化できていない。だから、こんなに長い言い訳の文章をしたためてしまった。
結局この文章で何が言いたかったのかというと、母になりたい気持ちがわからない、妊娠がめでたいと言われてもピンと来ない、それでも子を産もうとしている人がこの世にはいる。そのことを、だれかの心の片隅に覚えてもらえたらと願ってしまっているということ。
そんな自分勝手な長い言い訳。