司馬遼太郎「菜の花の沖」(30年ぶりの再読)
司馬遼太郎の小説は初期の小品を除いて ほぼ読んでいます。
一番好きな作品を聞かれた時に「燃えよ剣」をあげるか、「菜の花の沖」をあげるか、いつも迷います。
「燃えよ剣」の方は、裏方でひたすら新撰組の組織を練り上げている土方歳三像が個人的にシンパシーを感じすぎて大好きすぎて贔屓目がありますので作品として一番すきな小説をあげるなら「菜の花の沖」の方になりますね。
大体30年ぶり位の再読です。
記憶力がアレなので初読のごとく楽しめました。
(以下ネタバレあります、回避したい方はここでリターンです)
「菜の花の沖」の話にもどります。
事実は小説よりも奇なりといいますが、高田屋嘉兵衛の人生は まさしく奇跡の連続で、郷里でいじめぬかれ 弾き出されるように海に出た嘉兵衛が、航海の腕をてこに海商で身を起こし 押しも押されぬ大店を組織し、遂には幕府の蝦夷政策の運営を一人請け負い、日本と露西亜の国家間の軋轢の狭間に捕虜となる運命を辿ります。
江戸身分制の中では考えられない飛躍ですが、ここから嘉兵衛の精神はさらに飛躍し、両国の和平のための交渉を行う事を一個人として決意します。
鎖国下の一商人が、両国の橋渡しを独力でしようと思ったその源泉は郷里でつまはじきにされても、商人間の権益に悩まされても、武家社会の不合理に屈せられても、たわむ事なく持ち続けた「同じ人間」に対する理解と愛情であり、誠意一つを武器に自分を捕らえたリコルド少佐と友情を結び両国の緊張緩和に成功します。
存在自体が奇跡のように美しい。
本当にこんな人間が かつての日本には居たのだという事実に驚愕します。
今回読み直したのは 最近調べている車石の整備されたのがちょうど嘉兵衛の時代であり、関西の土木遺産探訪(関西の公共事業・土木遺産探訪)でも当時の国際情勢とからめて紹介されていたので、落ち着いたら読み直したい思っていたのですが、なぜだか田辺朔郎の小説を書き始めて、年末でひと段落ついたのでようやく読めたという訳です。
いやーもう、自分のあれは小説ではないなあ、などと改めて思った事は一旦置いておいて(笑)
元々江戸時代の物流に興味を持ったのが この小説がきっかけなのですが、ここで描かれている北前船が主に扱う荷は「鰊粕 にしんかす」という実に不思議な商品です。
これは当時行燈の油に使われていた魚油を絞った後のニシンの身を干したもので、北海道で獲れたニシンの搾りかすが西日本に運ばれ、畑に鋤き込まれて綿花やミカンなど肥料を要求する作物の栽培に用いられていました。米に使うと収量が2倍になったそうで、鰯の搾りかすなど他の魚肥と比べても効果が高く特上の物だったようです。
遥か北海道から田畑の肥料を輸入する。当時そんな奇妙な国が世界にあっただろうか?
肥料の歴史ja (jst.go.jp)
上記論文によると、西洋で商品としての肥料が登場するのは18世紀産業革命後であり、刃物の柄として使用された動物の骨の削りかすに肥効が有る事がたまたま発見された事により、それを近所に販売したというもので、同時代の日本が油粕・魚粕を利用し、更に肥効の高い鰊粕を求め、北海道から持ってくると飛ぶように売れたという事情を比べると、市場の洗練度において雲泥の差があったと言えるでしょう。
日本の商品経済と農業生産技術は、他の追随を許さないレベルで世界の最高峰であったのではないか?とすら思います。
北海道の鰊が河内の畑に潜り綿花となる。
「菜の花の沖」でその記述を初めて見た時は、停滞と身分制の社会と思っていた江戸時代にこんな活発な「商品経済」が存在し、日本中を品物が飛び回っていた事に目が覚めるような思いがしました。
その文脈の中で車石を捉え直すために、読み直してみた訳ですが、当時大阪府民であったため気にしていませんでしたが、その経済活動に「近江商人」が大きく関わっていた事が改めて確認できました。残念ながらこの小説での近江商人は、貨幣経済すら存在しない東北の寒村で高利貸として君臨したり、松前藩と結託してアイヌを酷使する存在として描かれており、「三方良し」とはほど遠い存在で滋賀県民として残念ですが、江戸期における近江商人の存在感は思っていたより大きかったようです。
30年経って読んでみた感想としては
・当時と比べ日本地理への解像度が上がっており風景描写が目に浮かぶ部分が多くなっていること。
・日本史に関する解像度も上がっているのでより内容が分かるようになっていること。
・昨年自分なりに小説を書いてみて、改めて司馬遼太郎の偉大さが骨身に染みたこと。
(資料集めの綿密さ、どれだけ資料を読み込めばここまで描写できるのかと考えるとしばしば震撼しました。)(ドラマ作りの上手さも、さすが国民作家と言うほかはないです。比べるのもおこがましいですが)まあ、彼我の差が分かるようになっただけでも書いた甲斐があると自分を慰めておこう!
そして最後にはやっぱり自分の耳にも「ウラァ、タイショウ」と聞こえる気持ちがしました。
(最後に言い訳)拙書について
【小説】「朔に穿つ」田辺朔郎の琵琶湖疏水記|鴨東|note
もっと小説的な書き方もできたとは思うのですが、それだと長くなりすぎるんですよね、さくっと読めて田辺朔郎について理解できる事を目指して、要素を削りに削ったわけで、説明的な文章が多くなってしまいましたが、明治初頭の工学熱の勃興とその一つの帰結として琵琶湖疏水ができるまでの時代を描写する事はできていると自負しています。