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ヘンリー・ダイア―と工部大学校と田辺朔郎 〈前回からつづく〉 岩倉遣欧使節団派遣前の明…
琵琶湖畔に住んで30年近くになりますが、初めて比叡山ドライブウェイを走りました。 な…
田辺朔郎周辺の人物相関図をまとめてみました。 色々と思ったところを綴ってみます。 (旧幕…
「車石 くるまいし」というのは、京都周辺の街道に牛が引く荷車「牛車 うしぐるま」の通行の…
琵琶湖疏水の工事費は今の価値でいくらか?琵琶湖疏水の工事費は当時のお金で125万円でし…
琵琶湖疏水最大の難工事「長等山トンネル(第一トンネル)」の進行表は各種文献に収録されてい…
今更ながら田辺朔郎の紹介 延々と「田辺朔郎 たなべさくろう」に関する記事を書いてきてなんですが、あらためまして田辺朔郎について簡単に紹介します。 田辺朔郎は、工部大学(後の東京大学工学部)在学中に当時の工部大学校長「大鳥圭介」により、第三代京都府知事「北垣国通 きたがきくにみち」に紹介され、大学を卒業後、琵琶湖から京都に湖水を導く「琵琶湖疏水」の設計を行い、工事に関する最高責任者として4年10か月をかけて見事工事を完成させました。 建設途上において世界初の水力発電所
田辺朔郎が右手を負傷し、左手だけで論文「琵琶湖疏水の計画について」を作成し提出したという…