さらば我が暗黒の中学時代
この文章は2024年7月に書いたものです。
【我が第一期青春時代】
二◯二四年も七月になり、外はとっくに夏らしい。いかんせん外に出ていないものだから「らしい」としか言えない。東京に負けて大阪の実家へ帰ってきて早四ヶ月半程が経ったものの、俺は未だにバイトもせず、そもそも探しもせず、ライブにも出ず、そもそもネタを書かず、趣味の小説を書いたり曲を作ったりするばかりで、やらなければいけないことはもうずっと押し入れの奥である。昨日はテレビ番組『逃走中』の理想の出演者二十人を考えているだけで一日が終わってしまった。そんな中学時代と同じ引きこもり生活を送っているからか、それとも、爪切男さん原作の『クラスメイトの女子、全員好きでした』を観たからか、最近は無性にその不登校の期間が多かった暗黒の中学時代のことを思い出す。
中学入学直後、本名の下の名前が「のぶや」であることと、眼鏡をかけていることから、中学から一緒の学校になったいじめっ子たちに『のび太』というあだ名をつけられたものの、それはもう小学生時代に既に散々言われまくっていてこちらが飽き果てていたことで、「お前らまだそこかよ、やれやれ」と思ったことや、当時坊主で太っていたことから、今度は『じゃがいも』というあだ名をつけられ、その捻りのなさに首を傾げつつも、いじめっ子たちに対してなにも言えずにヘラヘラしていたこと。
小学校の頃からの友達が体育の怖い教師に「ポケットに手突っ込むな」と注意されているのを横で見ながら、「いやお前もこの前体育の授業の時にポケットに手突っ込みながら俺らに喋ってたやんけ」と言えなかったことや、社会かなにかの係をやっている時期に、「教科書運ぶのを手伝うために、休憩時間に職員室来て」とその社会かなにかの無駄にガタイのゴツい教師に言われ、その言葉通り職員室に行ったものの、一向にその教師が現れず、仕方なく教室に戻って座っていたら、少ししてその教師が教室へ来て、「お前来いって言ったやろ!!」と怒鳴ってきたので、「いやいなかったんで...。」と消え入りそうな声で反論したら、「それでも待っとけ!!」と理不尽にキレられた挙句、めちゃくちゃ重たい大量の教科書を一人で運ばされたこと。
お気に入りだったウソップの筆箱を壊され、さらに二階の教室の窓から一階との間にある行くことのできない段差のようなところに投げ捨てられたことや、窓からその段差の部分に降りて筆箱を取りに行ってくれた奴がいたが、その窓から降りる光景だけを目撃していたなにも知らない前述の社会かなにかの教師によって何故かその取りに行ってくれた奴が怒られてしまうという理不尽且つ悲しい結末を迎えたこと。その取りに行ってくれた優しい奴に数年後、SNS上でその件とは全く関係のないことで理不尽に嫌なことを言われ、「結局こいつもかよ」って思ったことや、俺は今現在も童貞を引き摺っているどころか、おなごと小学校の遠足など以外で手を繋いだこともないのに、そいつらみんな揃って彼女ができていたこと。
無理矢理肩パンをされて肩に大痣ができたことや、無理矢理やってきたくせに「平等性を保つため」とかいう理由で仕返しの肩パンを強制され、いざ殴ってみたら、それまで人を殴ったことなんてほとんどなかったものだから変なところに当ててしまってキレられたこと。
数学かなにかの授業中に腹痛でトイレへ行きたいと申し出るも、仏頂面の老害教師に「あかん」と言われ断念し、その様子を見ていたいじめっ子たちに笑われたことや、その後の休憩時間にトイレへ駆け込むも、いじめっ子たちに見つかって個室の上から覗かれたり、少量の水をかけられたり、ドアを無理矢理開けられそうになったこと。その後休憩時間が終わっていじめっ子たちが去り、息をついて用を足し、少し遅れて次の授業へ行って、遅刻の理由として上記のことを教師に告げようとしたものの、「はよ座れ」と言われてなにも言えなかったことや、仕方なくそのまま席に座り、ノートを開いてシャーペンを握ったものの、先程いじめっ子たちに個室のドアを開けられそうになった際、開けられないよう、『SASUKE』のクリフハンガーみたいな感じでドアの取っ手の部分を指先でおさえて変な力を入れていたせいか、シャーペンを持つ手がぷるぷる震えて文字が上手く書けなかったこと。
美術の授業終わり、窓際にある水道で使い終わったパレットやバケツを洗っていると、いつも必ず後ろからいじめっ子にケツを蹴られるので、蹴られた時に避けられるように何度も後ろを振り返りながら長い時間をかけて絵の具を水に流したことや、体育の授業終わり、汗だくで教室に戻って着替えていると、いじめっ子たちに大声で「臭い」コールをされたこと。
一年の途中でそのいじめと自分自身のサボり癖が原因で不登校になったのち、二年に上がったタイミングで勇気を出して半年ぶりくらいに登校したら、いろんな奴から「休んでる間なにしてたん?」と訊かれ、思い返してみるとマジでなにもしてなくて返しに困ったことや、クラスが変わってほとんどなくなったものの、余韻のように時折されるいじめに面倒臭さを感じていたこと。
一年の頃に俺をいじめてきていた奴らのうちの一人が、そのことをすっかり忘れて普通に友達みたいな感じで話しかけてきたことや、小学二年生の頃からずっと好きだった初恋のあの子がそいつと付き合ったこと。
思い返してみるとやはり暗黒時代という自らつけた名にふさわしい地獄の出来事ばかりである。当時は俺自身、本当になにも考えずに生きていたから面倒臭いなあと思うばかりで、そもそもすごく酷いレベルのものではなかったというのもあって、大して傷ついたりはしなかったし、いじめかどうかは相手の判断次第になるものの、俺だって小学生の頃に誰かをおちょくったりしたことはあるし、なのであまり言える立場ではないのかもしれないが、受けたいじめに関しては今になってみるとやはり改めて許すことはできないし、今後許すつもりもない。そして俺が受けたいじりの延長線上と思われるいじめはどれもクソしょうもなく、面白みの欠けたものばかりで、それに対しても腹が立つ。てめえらのせいで俺の笑いの才能が削られたんじゃないかこの野郎!と言いたくなるがそれはさすがに無理がある。ただ唯一、いじめっ子に貸した鉛筆が謎に細くなって返ってきたいじめなのかもよくわからんことだけは、意味がわからなさすぎて今思い出しても少し面白く感じてしまう。相場は折るとかやろ。なんやねん削って細くするて。
それに色々思い返してみると、経験できずに終わったと思っていた“中学生の青春”というのを、意外と俺も経験していたことがわかった。
俺が友人の言うことで爆笑していると、その笑い方が変で面白かったらしく、遠くの席に座っていた、当時気になっていた女子が笑ってくれたり、京都か何処かへ行く遠足かなにかでバスに乗っている際に、後ろからその女子がちょっとしたちょっかいを出してきて、勿論結局好きになった中二の夏頃や、不登校だったのにも関わらず、勿体無いから行っておこうという下品な考えのもと行った修学旅行でディズニーランドを訪れ、アトラクションの列に並んでいる時に、偶然初恋のあの子が少し前に並んでおり、こちらが変態の如くずっと見つめていると、ふと目が合い、彼女が微笑みかけてくれた中三の修学旅行。
不登校だったのにも関わらず、長期休みだからといって自分で髪を田舎のヤンキー色に染めたり、不登校でしばらくみんなに会っていなかったのにも関わらず、行動力だけは今よりも謎にあったため、クラスのグループLINEで募集がかけられていた公園で花火をしようという誘いにのって、少し遠くの公園でクラスの一軍たちに紛れて花火をしたり、その時にみんな恋人がいるのだと知って、居ても立っても居られず、思春期の象徴ともいえよう無計画な衝動に身を任せて自転車を漕いで家へ帰ったのち、不登校だったのにも関わらず、LINEで初恋のあの子に「告白してもいい?」という意味不明な確認の文言を送ったのち、はじめて告白した中三の夏休みや、その後好きになった別の女子にしつこくメッセージを送っていたら、「卒業式の予行練習と卒業式当日の二日間、もしどっちも学校来たらデートしてあげる」とLINEで言われ、全く行く予定のなかった卒業式の予行練習に勇気を出して行った俺にとって中学生最後の日。
色々な青春が俺にもあったのだと、ようやく思い出すことができた。数は少ないし控えめではあるが、不登校でぎゅっとしたら一年分も学校に行っていなかったであろう俺にしては青春している方であろう。ただ勿論それは苦い思い出の合間の出来事に過ぎず、ちょっかいを出してくれて好きになった女子とはその後全然喋れなかったし、そもそもその後またすぐにサボり癖が高じて学校へ行かなくなったし、修学旅行では慣れない生活のせいか初日から微熱を出したし、その微笑みかけてくれた初恋の子は先程の彼氏とはすぐに別れてまた違う彼氏を作っていたし、その子に告白した時は、俺の「告白してもいい?」という意味不明な質問に対して、「断ると思うけどいいよ」と返され、告白する前からフラれたし、卒業式前日の予行練習に行った時は、卒業アルバムが配られ、最後の白いページにみんなが寄せ書きを書いている間、俺は誰にも書いてもらえず、ようやく声をかけてくれたと思ったらペンを借りにきただけの奴で、しかもそのペンはそのまま借りパクされたし、結局アルバムの最後のページは真っ白なままだったし、「デートしてあげる」って言ってきていた張本人である女子に、学校から帰って意気揚々と「明日行ったらデートやからね!」とメッセージを送ったら、「なんのこと?」ってとぼけられたうえ、しつこく粘っていたら告白してもないのにフラれて結局翌日の卒業式には行かなかったし、そのペンを借りパクした奴とその女子は昔付き合っていたらしかった。
ただそれでも、苦くあれど、青春だったと今になって思う。あの頃の教室に充満していた弁当やパンの匂いと似たような匂いを嗅ぐと今でもあの教室での出来事や空気感を思い出して吐き気がするし、結局成就した恋はひとつもなかったし、正直良いことなんてほとんどなかったし、今の俺と同じようにほとんどの時間をカーテンの閉め切った暗い部屋でなにもせずに過ごしていたし、まさに地獄だったと思うけれども、それでも、いじめっ子と怠惰な己によって失われたと思っていた我が第一期青春時代は、地獄の合間にほんの少しだけではあるが、あの嫌な空気の漂う中学校の校舎と我が心中に確かにあって、それもまた地獄と同様に決して綺麗なものではないけれど、暗い部屋で独り、携帯に文字を打ち込む二十二歳の今現在の俺からしたらなんだか光って見えた。今は光が見えないけれど、いつか今のこともこういう風に思える時が来るのだろうか。
これにて暗黒の中学時代こと、我が第一期青春時代の精査を終え、この文章をその総括とする。