上久保ゼミのクリティカルアナリティクス(CA):「解雇規制緩和の是非」
2024年12月5日(木)1限:競争力養成プログラム
学生の議論はこちら。
上久保のコメント。
「解雇規制緩和」は、自民党総裁選の時に注目された。総裁候補の小泉進次郎や河野太郎が主張し、「会社が社員をクビにしやすくなる」などと批判された。小泉進次郎の敗北の一因にもなった。
これは、訴え方が下手だと思うし、そもそも問題の本質が何かを伝えられた内容に思った。要するにこれは、「雇用の流動性を高めて、経済を活性化する」というのが、政策の本質的な目的のはずだ。
「解雇規制緩和」とは、その目的のための手段の1つのはずだ。
「雇用の流動性」を訴えることには、なんら問題はない。世の中、終身雇用・年功序列はすでに崩れつつあり、「ジョブ型雇用」に移りつつある。そんなことは、誰でもわかっている。
ところが、「解雇規制緩和」を前面に押し出してしまった。これでは勝てるわけがない。選挙戦術として、間違っていたと言わざるを得ない。
それでは、どうして小泉や河野は「解雇規制緩和」を前面に出したのか。おそらく、小泉純一郎の「幻想」があったと思われる。
国民に「痛み」を求める、不人気な政策をあえて訴えて、「改革者」のイメージを出そうとしたのだろう。しかし、今はもうそんな時代じゃない。「新自由主義」の負の側面が顕在化し、多くの国民がそれに不満を持っている。
もう1つの問題は、政治家の政策立案の能力の低下というかね。今の政治家は、1つの問題について、1つの対応策を考えるだけというかね。「対症療法」を出すだけで、問題の本質を理解し、本質を元から正すような政策を打ち出せなくなっているように思う。
だから、10の問題に対して、10の対策を打ち出す。そんな感じだよね。その結果が先進国最悪といわれる財政赤字の拡大ではないのか。
いい政策というのは、1つの対策で、多くの問題が次々と連鎖的に解決していくものだと思う。
そういう政策がない。なんか、総裁選も代表戦も、総選挙も、どの政党もぶつ切りの政策を並べるだけ。
まあ、国民の側も、問題があるんだろうな。「日本の将来はどんな国であるべきか」「それには、どんな問題を解決しないといけないか」とか、考える人は少なくなっているように思う。
みんな自分の身近な問題を政治が解決してくれればいい。それだけになっているような気がする。
「手取りを増やす」に、拍手喝さいするのも、そういうことだよね。