アタシというHSP【4】根拠のない自信
<余力を守り抜く>
ウチの両親の圧倒的な『昭和の子育て』により、私は『黙る』ことにしたのだけど、黙ったところでずっと頭の中で喋っていた。
…というか、常に何かを考えてるって普通だと思っていたし、疑問に思ったことだけ聞いているのでむしろ遠慮気味だったはずが、うるさがれて心外だった。
頭の中ではどんな暴言を吐こうが誰も怒らない。
洞察系の子供を黙らせたらみんなやさぐれるのかと思ったらそうではないと知って驚いた。
みんな素直で傷つきやすいHSCのまま育ってきたのなら、とんでもない奇跡だと思うし、本当に生きていてくれてありがとうと大袈裟でなく思う。
時としてふっとうずくまるような重たい感情が来る。
悲しいのか辛いのか悔しいのかわからないような。
ため息をつき、ここじゃないと思う。
私の居場所はここじゃない。
でも、ここが私の家。
泣くほどでもなく、でもなんとなーくシンミリしたいような、ただただ重たい、
『うーん、なんか違ーーーーう!』
という違和感。
そういう感情が面倒くさいとも思った。
面倒だからよくよくその感情を味わうこともなく、『また来たか、はー、面倒!』と思って諦める。
常に本質と正義でモノを見がちだった私は、あらゆる場面で驚き、疑問に思い、傷つき、その傷ついたのが悔しく悲しかった。
そして、
(傷つかなくていいんだ、この人たちは何も分からないんだから!)
と心で思い直す。
『黙って相手を傷つけない自分』と、『無作為に傷つけて来る相手』なら、自分の方が偉いと思っていた。
自分の方が偉いんだから悲しむことなんかない…と思って、
(こっちから願い下げじゃボケ!)
と心で言い放って自分を守る。
言い合いになったら更に傷つけられるかもしれないのでダメージを最小限にするために黙る。そして心の中で相手をディスるという方法。
…健全な自分の守り方だと思っていたが、こうして書いてみるとかなりやさぐれている。
でも全然後悔はない。
すんごい内弁慶で滑稽だし、反省はしないのかって話しだけど、自分が間違ってるかもとか、自分は言ってはいけない存在だとかは思わないようにしていた。
もちろんそっち寄りの重苦しい暗さや、自分なんてという想いもあるのだけど、それを認めてしまうと、どんどん自分が小さく固くなって行きそうで怖かった。
実は周りとの温度差にはとっくに気づいてはいて、でもそれを認めたら生きては行けないくらい自分が傷つきやすいとも知っていた。
親の言う『普通』で居るためには強くなくては生きられないと、アタマではなく、心の奥底なのか、体感なのか分からないけど知っていて、これは自分を守らねばと率先してやさぐれたのではと思っている。
何しろ、親が分かってくれないのだから、他人にも分かるまいと思っていて、他人に期待するくらいなら自分に期待した方が早い。
自分ならこうする、自分ならこう答える、自分ならこうしてあげられると、思考を巡らせて自分に期待する。
そして自分に期待した方が『早い』と言う発想も、結局は自分を守るため。
『人に話す→分かって貰えない上に否定されて傷つく→自分で考え直す→この件も人には分からないらしいと気づく→自分の複雑さに落ち込む→まぁしょうがないよと自分を励ます→あー相談なんかしなきゃよかったと後悔する→立ち上がる』
この一連の行動がものすごく自分を疲れさせるし、期待してがっかりするのも面倒だし、そもそも人に相談する段階で人に言いたいほど悩んでいるのか、ちょっと同情して欲しいとか背中押して欲しい程度なら言わなくてもいいんじゃないかと迷った末に話すので、『もう本当に相談無駄!相談なんかしなくていい、自分のことなら自分で結論出せる!』と思うようになる。
なので人に相談はしないのだけど、なぜか相談はされる。
なんでーーーーーと思っていた。
…ら、強みだったんだと知る(→存在系の強みの記事へ)。
うんうんありがとう、強み。
おかげでたくさんの人の話を聴き、自分の事のように味わい励まし、生き抜くことが出来ましたと思う。
そんな私が親になった。
20歳で結婚を決め、とっとと家を出た。
たまたま知り合ったが同じ歳で家も遠くはなくて色んな意味でちょうど良い人だった。
同棲なんてとんでもないし、女のひとり暮らしなんかダメだという親だったので(時代もそっち寄り)、結婚が1番無難に家を出る方法だったのだが、よくもまぁ20歳でと周りは驚いていた。
「もっと遊べばいいのに」と友達に言われても、お酒も飲めない、当時流行ってた『ディスコ』なんてうるさくて行きたくない(2回くらい行ったが音質も、ヘラつく人間も、舐められないようにスカすのも無理だった)、旅行も面倒だし、あと何すればいいのか分からなかった。
スキーは寒いし、海は暑いし、親はいちいち説得しないといけないしと、とにかく早く家を出て、好きな動物を飼いたいと思った(←何その目的)。
当時の夫は飲食店勤務なので朝から出て夜遅くまで帰らない。
私にとってはラッキー。人にとやかく言われると混乱するのでひとり育児が大変ではなかった。
ドタバタなんだけど初めての育児だからこういうものなのかと思っていた。
職場の先輩が最初は奥さんだけが大変なんだから余計な口出しもせず全て我慢しろと教えてくれたそうで、朝起きられなくても何も言われず、私は不眠気味なので夜は起きているので帰って来るまで起きてるのは楽勝だったし。
娘2人はとても分かりやすく(HSCだから自分と感性が似ているので分かるんだけど)、同志のようだった。
なので、幼稚園で
「ひとりで棒を持って歩いていて、みんなで遊ぼうと言っても冒険して来ると言って一緒に遊ばないんです」
と先生に心配されても、私は心配しなかったし、好きにさせておいて大丈夫ですと伝えていた。
とにかくおしゃべりでずっと何か言っている。
1人が喋るとそこから発想が広がってとめどなく壮大な『どうでもいい話し』になって行くのが面白かった。
ただ自分と同じ想いはさせまいと、聞かれたら全部答えていたことで弊害もあった。
ある時、博物館で娘が「本物のクマちゃんだね!」と大きなシロクマの剥製を指差した時、
「あれは本物のシロクマなんだけど、もう死んでいて、皮を剥がしてみんなに知ってもらうためにここに置いてるんだよ」
と、ペラっと言ってしまい、まだ幼稚園児の娘たちが
『かわいそうーー』
と涙目になっていた。
しまった、正確に伝え過ぎた!と反省した。
洞察系あるある、事実を正確に伝え過ぎてショックを与えるの図。
すまない…。
人間関係についても、
「人ってこういう時にこういう態度や言動があるけど、実際にはこう思って、ここに傷ついたから怒り出すってことがあるよ」
という風に具体的に説明してしまう。
宇宙人が地球に馴染むための教えのように、人間てこんなこと言い出すよという話はよくしていた。
こう思われると面倒だからこう言っておけばいいよとか、実践的な回答なので刷り込みみたいでちょっと良くなかったかもと反省する。
いじめも複雑化して陰湿にもなっているので私が自分の子供たちに言っていたのは、
『媚びたり頭下げないと友達でいられないなら、そんなもん、友達とは言えないから付き合わなくていい』
って事と、
『学校で嫌な事があったら余力のあるうちに言ってね。次の場所に行って挨拶出来る程度の余力はあるけどここではダメだと思った時は引っ越せばいいんだから』
って。
親としてどうなのコレ?
イヤな思いをする前提で話しちゃってるけど…。
ねっ、刷り込んでるよねー、ダメだわこれも。
HSPの危機回避能力使い過ぎで先回りして子供に『友達関係って難しい』って刷り込んじゃった感。
これまた親として反省すべき点です。
もちろん相手に対して嫌だと伝える、話し合うとかひと通りの対処をした上で、『ダメだこりゃ』ならその学校じゃなくていいよという意味だし、大人は大体が、
「どこに行っても嫌な人はいるんだからそこで頑張らないと…」
と言うけれど、次の場所にまた嫌なヤツがいるかなんて、行って見なけりゃわからない。
エネルギーゲージがゼロになってからじゃ動けないじゃん、手遅れになるじゃん…と思っていた。
もう本当に『我慢は美徳じゃない』と常々言っていて、『相手を観察する、どこがおかしいか冷静に見極める、伝える、様子を見る』をやってダメならそれはもう自分がどうこう出来る事では無いと思っているので子供たちにもそう言っていた。
なんとでもなる、してやるという根拠のない自信もあった。
多分、娘たちが仲間で、守るべき存在だったから覚悟があったって事だと思う。
子供のうちからそんなこと言ったら逃げる事ばかり考える子になると心配されるかもしれないが、大丈夫、うちの娘たちもド根性ガエルなのでギリギリまでやりがち。
「早く言ってよ…」といいたくなる事、山の如し。
それを知ってのアドバイスだったりもします。
『我慢は美徳ではない
潰されそうなら逃げろ!!
我慢と頑張りを間違うな!
頑張るなとは言ってない。
頑張るべき場所なのかが大事!』
…ってことでしょうか。
が、しかし、ここまで書いて思うのは、
アタシ、全然成長してなくない???
子供の感情のまま大人になってんじゃん!
もう驚愕!!
知識とか知恵の部分では一応大人な対応とかわかってるけど、内面がやはり
「なんだこのニンゲン…」
と思った時の心の反応がね…。
大人な対応しながら内心ボロクソだからな…。
でも顔に出ないし黙ってれば分からないからいいかと思う…(小声)。
自分に合った励まし方、持っているといいかも!
では、またね!
親らしさじゃなくてもいいから、
自分を守り、楽しんで!