建部巣兆なる人物をご存じですか?
江戸時代後期の絵師・俳人、建部巣兆(たけべ そうちょう)
千住関屋の地に「秋香庵」という庵(小さな家)をかまえて、千住足立の俳諧グループ「千住連(せんじゅれん)」を率いていました。
名前はマイナーですが、江戸琳派 を確立した酒井抱一(さかい ほういつ) 、儒学者・書家で文人の亀田鵬斎(かめだ ほうさい)、狂歌師の大家大田南畝(おおた なんぽ) など、江戸時代の名だたる 「文人(ぶんじん)」 と呼ばれる文化人・知識人たちと活発に交流した人物なのです。
上記の文人たちは、前回のこぼれ話で紹介した「千住の酒合戦」にも参加しており、
※大田南畝は当日は欠席し、『高陽闘飲図巻』という記録絵巻に参加。
更に、巣兆が率いた「千住連」のメンバーの一人、坂川屋鯉隠(さかがわや りいん)は、「千住の酒合戦」の幹事を務めているのです!
巣兆自身は、「千住の酒合戦」が行われた文化十二年(1815)時点では既に亡くなっていたので、「千住の酒合戦」に参加はかないませんでしたが、
巣兆の築いた文人ネットワークは死後も生き続け、「千住の酒合戦」という一大文化イベントに繋がったといっても過言ではないでしょう。
そんな巣兆は、頭の大きいというチャームポイント(?)があったそうです。
巣兆の一句
「大あたま 御慶(ぎょけい)と来けり 初日影(はつひかげ)」
これは、巣兆の句集「曽波可理(そばかり)」の一番最初に登場する句なんです。
意味は「頭の大きい自分が、新年の挨拶にやってきたよ」ということですが、同時にこんな意味も含んでいた……かもしれません……
ユーモア―センス溢れる一句ですね。
巣兆は、句だけではなく、そこに付される絵もとっても魅力的。
句は「蠅追ふて ひやうたん町(瓢箪町)に 入にけり」とあり、その傍には大人の男性二人が描かれています。
この瓢箪町(ひょうたんまち)とは、江戸時代にかつて大坂にあった幕府公認の遊郭新町にある町名のこと。描かれる男性二人は、そのお客といったところでしょう。
ハエを追ってたらつい遊郭に入っちゃったよ~という感じでしょうか。
ちなみに、この句も『曽波可理』の「旅中」という項目に掲載されています。旅中で遊んだ思い出を、ユーモア溢れる(ちょっと言い訳めいた)俳諧と、軽妙洒脱な人物図でもってあらわしたものと考えられます。
更にさらに、巣兆はこんな絵も描いています。
細い筆線を用いて、濃彩で人物の衣や扇の柄を細かく描くこの絵は、平安時代より続く「やまと絵」を思わせます。
実際、巣兆は「倭絵師(やまとえし)」と称して絵画活動をしていたといわれます。軽妙な俳画からこのようなやまと絵風なものまで、画風が幅広い人物であることがよくわかります。
足立区民必見(?)な人物です!!
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「ビビビ美アダチ」は、足立区役所Twitterほか、足立区立郷土博物館HPにて、月2回ペースで更新しております。