2つの疲れ
疲れには2種類ある。硬くて大きな岩のような疲れと、細かくてばらばらな砂のような疲れだ。嫌なエネルギーがある疲れと、良いエネルギーがない疲れと言い換えてもいいかもしれない。そして硬くて大きな疲れにこそ、聞き上手が役立つ。本論では疲れを2x3の6つに分類し、聞き上手が役立つことについて、また疲れがつながっていることについて書きたい。
体と、頭と、心
人について考える際に、体と、頭と、心で考えると分けやすい。「心身ともに」、「熱いハートと冷静な頭脳」「頭ではわかるが体がついてこない」といった表現で二分されて表現されることが多いが、3つに分けたほうがしっくりくる、あるいはより正確に物事を考えることができる。特に最近はこころは脳だけに存在するのではなく内臓に多くを負っていることなども明らかになって来ているので、脳と体という分け方をせずに人を見られるとより正確に物事を取り扱うことができる。
岩のような疲れ
岩のような疲れ、大きくてかたいものがごろっと転がっているイメージだ。何か気になるもの、常に意識が行くものがあって、それが気になってほかのことがやれなくなるような疲れだ。痛みを伴うことも多い。それは基本的に嫌なものなので、それ自体が負のエネルギーを発していたり、周辺部分が損傷していたりする。
砂のような疲れ
砂のような疲れはそれとは少し違っていて、砂粒がたまっているような、一つ一つが見えない疲れだ。むしろ正のエネルギーが足りない状態といったほうがイメージしやすいかもしれない。何かをし終えた後に出てくるので、達成感などとセットの場合も多く、「心地よい疲労感」といわれるような場合はだいたいこちらではないか。
疲れ一覧
体、頭、心と岩の疲れ、砂の疲れを掛け算して一覧にすると以下のようになる。医学的・科学的根拠やホルモンなどを考慮しているわけではなく、あくまで感覚的な分類だが、それなりに腑に落ちる感覚は共有できるのではないか。
岩の疲れが体にある場合、一番わかりやすいのは肩こりだろう。凝り固まり、血流の流れがとどまることで疲労が発生する。影響は肩だけにとどまらず、頭痛の原因にもなる。気になり始めると、日常生活の中で不快感を生じさせる。筋肉痛などもそうだ。特定の場所が痛みを生じさせ、凝り固まっている。
これに対して砂の疲れは、有酸素運動の後だ。全身をまんべんなく酷使した感覚があり、気持ちよかったりもする。ただし疲れているのは事実なので、その状態で活動的に動いたりできるわけではなく、いずれにせよ休息は必要だ。
上記、体の疲れのアナロジーを頭と心に適用する。あたまに当てはめれば、1対1の油断できない商談、特に交渉事。あるいは論文を書いた後のイメージだ。終わった後でも、特定の課題や事物が頭の中に残っていて、ぐるぐるしている感じ。同じ知的労働でも、多くの人の前でプレゼンしたり(ただし厳しい質疑応答がないやつ)、デスクワークでも論文ではなく筆記試験だと、終わったらさっぱり!ということが多いのではないだろうか。頭の砂の疲れの後は、さっぱりした気分でビールがうまい。頭が岩の疲れでいるときは、ビールを飲んでもさっぱりとはいかず、頭に何かが残る。
やはり、何か硬くて大きいものが頭の中に残っていて、それが周辺に影響を与えているのだ。
悩みとは、心にある岩のような疲れである
さて、同様のアナロジーをこころに当てはめてみよう。こころにある岩のような疲れ、これが「悩み」だ。悩みはたいてい、対象を持っている。そして感情的に重たく、他のことをしていてもふとした折に思考をよぎり、それが日常生活の足かせになる。そして当然のことながら、苦痛を伴い、周辺領域に影響を及ぼす。
仕事に特定していえば、頭の疲れと心の疲れが同じテーマから発生していることが多くある。例えば組織が不和の時などは、どう解決すればいいのか、と頭を使いながら、心理的な負担感もあったりする。一方で頭はあまり関係なく、ただ恋人との関係性でもやもやしている場合などもあるだろう。仕事の場合は、頭と心を切り離して考えることが、問題解決に際しては重要だったりもする。ただし、その際こころに悩みが残っていることを無視しないように気を付ける。上記の例でいえば、割り切って組織内の問題児を排除したとしても、それで心の課題は解決しておらず、自分の気持ちに折り合いをつける作業は別途必要ということだ。
心の砂のような疲れは、「何となくやる気が出ない」や、「めんどくさい」だ。「漠然とした不安」や、「なぜかイライラしやすい」も含まれるかもしれない。ただ、岩の疲れの作用としてそうした心理的状況が生まれていることは大いにあり得る。というか今の世の中、人はたいてい、1つや2つは心に岩の疲れを持っているのではないか。
岩の疲れと「聞き上手」
さて、ここで聞き上手だ。肩こりや筋肉痛にマッサージが効くように、心の悩みには聞き上手が有効だ。逆に言えば、ただ放っておくだけでは、心の悩みは、肩こりと同じで、なかなか解消されないのだ。それを悩みとして存在を認知し、人と共有し、自分の言葉として引き出す。そうして初めて悩みが、心が取り扱う対象として浮き出てきて、対策可能となる。
どう聞けばよいのか、どう解きほぐすのかはカウンセリング、コーチングその他それぞれの専門の領域で効果的な方法が豊富にあるのでここでは触れない。ただ、よくあるパターンとして、心の悩みに対して頭の悩みだと勘違いして、解決策を授けてしまうことが極めて多いことは、強調しておきたい。
底意地の悪い上司と折り合いがつかずどうしたらいいか困っている、という相談は、どうしたらいいかを教えてほしいのではなく、底意地の悪い上司と接することで受けている自分の心の疲れを誰かに知ってもらい、もみほぐしてほしくて話しているのだ。だから向き合うべきは「気持ち」であり、どうすればいいのではなく、どんな思いをその体験で得たのかを知ろうとする姿勢が求められる。
この「もみほぐし」のテクニックこそがカウンセリングでありコーチングだ。肩こりに指圧や鍼や電気治療があるようなものだと考えれば、効く人、効かない人がいるのも分かりやすい。第三者による施術が有効で、自分の手ではいまいちだったり、機械が使える場合もあれば使えない場合もある、というのもそうだ。
疲れはつながっている
ここではこころの岩の疲れに焦点を当てたが、6つの疲れはそれぞれがつながっている。正確に言えば、3つの岩の疲れ同士が密接にかかわっており、砂の疲れは岩の疲れの影響を受けて増大する。
先ほど仕事で頭と心が同じテーマで疲れになると述べたが、同様のケースもあるし、全く関連しない疲れが影響を与える場合もある。たとえば肩こりがひどいことによって気持ちが上がらず、特定の悩みで余計に気が重くなってしまったり、それが悪循環を生んでしまうことなどがある。気持ちがふさがるがゆえに体調が悪くなることも往々にしてある。
逆に、解決を他の疲れをとったり、ほかの部位にアプローチすることで解決することも多い。筋トレをすると気持ちが晴れたり、仕事の課題がなくなることで家庭の問題に向き合う気持ちになれたり、といったことだ。特に体が頭と心に与える影響は大きい。現代社会で生きる以上、頭と心に疲れがたまることを避けることは難しいといってもいいだろう(もちろん避けられればこの上ないことだ)。であれば、体の疲れをとる努力は必ず効果的であるはずだ。
自分の敬愛する漫画の一つに「ダンジョン飯」がある。ダンジョンでモンスターを料理しつつ探検をする漫画なのだが、その中で「睡眠をとって食事をしたら 生き物ってのはようやくやりたいことができるようになるんだ」というセリフが出てくる。
(詳細はこちらのnoteにすごく素敵にまとまっています。)
「ダンジョン飯」の、「がんばる」を無闇に礼賛しないところが好き
まさに人生100年時代とはそこまで自覚し、長期的に自分のポテンシャルを発揮し続けることで自分の価値を最大化できる時代であろうし、そのほうが楽しい人生を手に入れられることと思う。
そして、自分の仕事も、そうした人の力になれることを少しでもできれば、と改めて思う。
神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/