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村上龍 「半島を出よ」
これは、経済破綻を迎えた架空の日本に、北朝鮮のコマンドが降り立つ物語である。
国際社会で孤立していた日本に、これを好機と目論んだ北朝鮮の特殊戦部隊が侵攻してくる。いとも簡単に福岡ドームを占拠した彼らは、自らを「高麗遠征軍」と名乗って、あくまで北朝鮮の反乱勢力であると宣言し、今後福岡を統治して最終的には日本から独立することを目指す旨を大々的に発表するのだった。
これ対して日本政府は何一つとして有効な対策を打つことができない。そして徐々に不利な状況へと追い込まれていく。
あらすじだけでも本作の物語がド派手なスケールで展開されていることはお分かりの通りだが、その物語の根底には膨大な情報が含まれており、日本政府の対応や、北朝鮮特殊戦部隊の実態などが克明に描かれている。
物語は一方で、イシハラという人物を中心とした、福岡に潜伏する若者たちの視点からも展開される。彼らは社会から爪弾きにされている存在で、過去に惨殺な犯罪を犯した過去を持つ。
自分たちが受け入れられない社会が高麗遠征軍によって破壊されていく様子をはじめのうちは歓喜して見守っていたが、やがて自らの手で高麗遠征軍に立ち向かうことに目覚め始める。
本書では、北朝鮮特殊部隊の持つエネルギーも凄まじいが、社会では決して受け入れ難い特性を持ったイシハラたちのその決して解消されてこなかったエネルギーの威力も圧倒的である。
村上龍の小説は、代表作「コインロッカー・ベイビーズ」に然り、この世界への対抗策として圧倒的な「破壊」を用いようとする。
破壊には、膨大なエネルギーが必要になる。
現代ではそのエネルギーの源泉があらゆる方法によって覆い隠されてしまっているが、村上龍は物語の中でそれを引き剥がし、読者にエネルギーを伝播する。
本作は、北朝鮮特殊部隊による破壊と、行き場を失った若者たちによる破壊とがぶつかり合う、「破壊小説」の傑作ではないだろうか。
そんな物語が日本で誕生したというのは多分偶然ではない。しかし、生まれるべくして生まれたのだとしたら、我々は危機感を持たないといけない。我々はそういう場所で生きている。
この世界はあまりにも生きにくい。まともに生きても、不良な生き方を選んでも、行く先々には大きな困難が待ち受けている。
だが、どちらにせよこの世界を生き抜かなければならないことには変わりない。
そのために今必要なのは、村上龍の小説に描かれるような生命力に横溢したエネルギーなのではないか。「半島を出よ」はその源泉となり得る。