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花虹源氏覚書~第一帖桐壺(四)

昔々その昔、帝の御子に光君と呼ばれるお方がおられました。
源の姓を賜り臣下となられましたが、三人のお子様は、お一人は帝にお一人は后にお一人は人臣の位を極められたそうな。
そのお血筋の末の末、とある姫さまに教育係の女房が語る源氏の君の物語

第一話はこちら

むかしがたりをいたしましょう

源氏の君は、「光る君」という通り名の通り美貌、学問、諸芸の才すべてを備え、帝の深きご寵愛を受けて宮中でお育ちになられ、御年十二で元服することとなりました

―——十二歳!そのお年での元服はかなり早いでしょう?普通は十六才くらいだと思っていたわ。

この頃の元服は、十二歳から十六歳くらいの間に行われておりました
十一歳で元服なさった帝の例もありますが、お若い元服でございますね

まだ少年のお年頃ですから、お顔、頬のあたりはまだ幼さを残してふっくらとつややかで、角髪(みずら)という、左右の髪を耳の上に結び輪の形を作った童形がよく似合っておられます
帝は、元服してその愛らしい童姿が見られなくなるのをたいそう惜しまれておいででした。

帝は、御自ら元服の儀式についてあれこれと指図して落ち着きなく過ごしておられました
前年、盛大に行われた東宮の元服の儀式に見劣りがせぬようにと、内蔵寮、穀倉院など公の財物を管理する役所に贅を尽くした饗応の手配を申し付けられたのです

―――えこひいきが過ぎるような気もするけれど。きっと弘徽殿女御がご立腹だわ。
  教えて、元服の儀式はどのように行われたの?

万事滞りなく、めでたさ限りなきものでありました

清涼殿に座を設え、帝や親王・上達部らの見守る中、厳かに冠を付ける儀式が行われます

髪を切り、髻を結いあげてしまったら、今の愛らしさが損なわれてしまうのではないかと危ぶんでおられましたが、予想以上に大人の姿も良く似合い、若々しく立派な公達となられました

冠を付けて成人の衣装に着替え、清涼殿の東庭に降りて拝舞をする様子に皆、感動の涙を流しました

ましてや、帝のお気持ちはいかばかりでしょうか
めでたき儀式にゆゆしき涙は禁物と、こらえていた涙が滂沱と流れます
桐壷の更衣もさぞ光る君の立派に成長した姿を見たかったであろうと思い、更衣とともにいればつらいことなどすべて忘れることができた昔を思い、また涙があふれるのでした

さて、髻を冠に引き入れて被せることから、冠を付けるお役目を務める方を「引き入れ」と呼びます。光る君の引き入れのお役は、左大臣が仰せつかりました。

―――左大臣は右大臣よりも上席。太政大臣は任じられないこともあるし名誉職みたいなものだから、実際には臣下の最高の位ね。
   冠を被せる役は、元服する子に縁の深い方が務めるのでしょう?
   教えて、左大臣はどのようなお方なの?

左大臣は、朝廷の重鎮として帝のご信頼厚く、また、鷹揚な人格者として慕われておられます
数多の通い所がおありで、それぞれにお子様をもうける子福者でもございますが、帝の妹君である皇女が降嫁なさってゆるぎなき北の方としておいでです
左大臣は、この北の方が生んだ姫君をそれは大切に慈しんでおられました

気高く美しいと評判の姫君で東宮からも入内の思し召しがありましたが、左大臣は心に思うところがありお断りをいたしておりました。

―—-あら、どうして?高位貴族の方々は皆、姫君の入内を望んでいたのではないの?

左大臣は、大切な姫の婿君には光る君を、とお考えでいらっしゃいました

あえて東宮ではなく光る君を選んだお心は推察するしかありませんが、東宮の母御が右大臣家の弘徽殿女御であったことはその要因のひとつでございましょう

左大臣家と右大臣家は、共に権勢家として並び立つゆえに常になだらかな間柄とは申せませぬ
東宮を擁して右大臣家が時めく中、左大臣の姫君が東宮のきさきとなったとしても、宮中の向かい風をまともに受けることになりましょう
姫君が立后して中宮になる見込みは薄いと判断したのやもしれませぬ

それよりは、帝のご寵愛深く、誰よりも才長けて美しい光る君を婿君としてお迎えした方が家門の隆盛につながり、また姫君の行く末が安らかであるとお考えになったのではないでしょうか

内々に帝のご意向を伺いましたところ、光る君にはしかるべき後見もなく、左大臣が婿として世話をしてくれるなら心強いと、元服の日の「引き入れ」を左大臣に、その夜の「添い臥し」に姫君を、とお声がかかったのでございます

―——それで、引き入れ役を左大臣が行ったのね。
   「添い臥し」は、高貴な方の元服の夜に女人が添い寝することで、その女人は妻になるのでしょう?
   十二歳で元服してそのまま結婚なんて、早すぎて可哀そうな気がするけれど、帝は皇子を、左大臣は姫君を思ってのお話なのね。良いご縁になったのかしら?
   さあ、お話を続けて。
 
元服の儀式の後の寿ぎの酒宴
帝は、左大臣をお側に招き、祝いの盃を賜り御歌を詠みました

いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや

左大臣は、姫君との縁組を公に宣言する帝の御歌に喜び、御歌を返し、拝礼の舞踏をご披露なさいました

結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色し褪せずは

左大臣には、左馬寮の御馬に蔵人所の鷹という格別の引き出物が贈られました
宴に連なる他の方々も各々身分に応じた禄を賜ります
その日の宴の食物や下賜品などは、あふれんばかりに所狭しと並べられ、これ以上ないくらいに盛大な式であったということです

―—— 髻を束ねる糸、元結にかけた御歌ね。帝の御歌は「いとけない我が子に初めて元結を結び冠を被せてくれましたが、将来を誓い長き縁を願う心を込めて結びましたか」、後見役として、舅として末永く面倒をみてやってほしい、というお気持ちを感じるわ。
   左大臣の御歌は「心を込めて元服のときに使う紫色の元結を結びました。その濃い紫色がこの先も褪せぬよう末永いご厚情を願っております」のような意味ね。
   父君同士で盛り上がって光る君は蚊帳の外のような気がするけれど良いのかしら。

光る君は、左大臣が姫のことをほのめかしても、きまり悪がってろくにお返事もなさらなかったようでございますよ
男女の仲はお歌を贈りあうことで始まりますが、ほんに、光る君と姫君の代わりに帝と左大臣で妻問の相聞を行ったようでございますね

さて、光る君は元服の夜、宮中から退出し、左大臣の里邸である三条の大殿に参りました

左大臣は、光る君があまりにも美々しいので鬼神に魅入られでもしまいか、と不安にかられながらも、これ以上ない婿君をお迎えした喜びは深く、世に例がないほどに立派な婚礼の儀式をおこない、大切にお世話いたしました

―——「舅にほめられる婿」はめったにないもの、と草紙のどれかに書いてあったけれど、光る君は左大臣のお気に入りだったのね。
   教えて、姫君はどのような方?

左大臣家の姫君、後世には「葵」の通り名で伝わっておりますので、これからは葵上とお呼びいたします

葵上は、御年十六才
母君は帝の同母妹ですから高貴なお血筋で、それにふさわしくお育ちです
美貌と教養を兼ね備え、対峙する相手が委縮するほどの高貴な気品をまとう姫君でございました

周囲の祝福とはうらはらに、葵上は、光る君があまりにも年若なので、不釣り合いで恥ずかしいこと、とお嘆きでありました

―—— 葵上は光る君がお気に召さなかったの?あんなにだれもかれもが褒めたたえる婿君なのに。

荒武者をも仇敵をも微笑ませる、とまで言われた光る君の魅力も、ただひとり、妻と定められた女人に通じなかったのはあいにくなことでございました

葵上は生れたときから、いずれ入内し、后すなわち中宮となりこの日の本の国の女人の頂点となることを期待された姫でした
かたや、光る君の母君は女御に及ばぬ身分、しかもその一族は既に絶えております
後見のない皇子はみなしごも同然、光る君は親王にすらなれず臣籍に降下した皇子であり、葵上にとっては不本意な縁組と思っても不思議はありません

また、葵上は十六才におなりでした
お年頃でございます
婿君となられるのはどのような殿御か、とつれづれに夢想したこともおありだったでしょう
その甘やかな夢想の内に四つも年若の少年を思い描いていたとは思えぬのですよ

―—— そうね、もし、私が十六才になったとき、十二才の子供と結婚するように言われたら、いくら美少年でもきっとがっかりしてしまうわ。

光る君も、まだ幼うございました
帝に深く愛され、宮中の女人たちにちやほやともてはやされてお育ちでございます
冷やかな態度を崩さぬ姫にとまどい、どのようにその氷を解かしたらよいのか見当もつかなかったのでございましょう

子を思う憂いや惑いを「心の闇」と申しますが、もし、帝と左大臣が心の闇にとらわれて急いた縁組をなさらずに、あと数年の猶予をくださいましたなら、と思うことがございます

十六、七の立派な若者になられた光る君であれば葵上と雛のように似合いの夫婦になられたのかもしれない、と
申しても詮無きことではございますが

―——ご夫婦の仲はぎくしゃくした始まりになってしまったのね。帝と左大臣はがっかりしたかしら

左大臣は、朝政を預かる人臣最高の地位、その北の方は帝の妹宮という、元々はなやかなご一家でございましたが、さらに源氏の君が加わりましたので、家の誉れはますます高まりました

右大臣は、東宮の祖父君という圧倒的に優位な立場にいるにもかかわらず、左大臣家のまばゆさに霞んでしまっています
右大臣は、左大臣家の嫡男、葵上の同母の兄君にあたる蔵人少将を四の姫君の婿に迎えました
蔵人少将は、当世の公達の中では群を抜いた御器量ですから、右大臣家でも心を込めてお世話をしましたので、世間の人々は両家は好もしい間柄だ、と噂いたしました

―——左大臣家は家門が栄えて、帝は右大臣家を牽制できて、大人たちの目的は達成できたということね。でも、肝心のご夫婦はその後、どうなったの?

源氏の君は元服した後も帝がお側にお召しになり離さないので、おいそれと宮中を退出することもできません

内裏では、母君の賜った桐壷をご自身の宿直所とすることを特別に許され、かつて桐壷更衣に仕えていた人々が光る君にお仕えしています

五、六日を宮中で、二、三日を左大臣の邸で過ごす、というご様子ですが、光る君はむしろ宮中で過ごすことをお望みのように見受けられます

―——あら、どうして?新婚なのに。葵上とはよそよそしいままなのかしら?

光る君は、心ひそかに藤壺の宮をお慕いしておられました

葵上のことは、大切に育てられて特に欠点などもないけれど藤壺の宮とは比べものにならないと思い、そのような姫を妻としたことがお心に適わず、鬱屈した思いを抱えていらっしゃるのです

元服後は、かつてのように親しく御簾のうちには入れず、麗しいお姿を見ることはかないません
管弦の遊びの折、藤壺の宮の弾く琴に、光る君が吹く笛を合わせて音を通わせあい、ほのかに聞こえるお声を慰めにしていらっしゃいます

せめて藤壺の宮のお側にいたい、そう恋い慕い、ますます左大臣邸から足が遠のいてしまわれます
宮中を下がるときも、左大臣邸ではなく母方のお里である二条邸に滞在することが多くなりました

かつて荒れはてていた二条邸も、帝のお声がかりで修理職、内匠寮といった公の役所が携わり改築が行われました
もともとの木立や築山のたたずまいが風趣に富んでおりましたのでそれをいかし、池をさらに広くして、申し分なく趣ある邸となっております

光る君は「この邸に理想の女人を住まわせて共にありたい」と藤壺の宮のお姿を思い浮かべ、恋焦がれる気持ちをもてあますのでした

―—-初恋の藤壺の宮と葵上を比べていたの?
   そういうお気持ちは葵上にも伝わってしまうわね、それは腹が立つわ。
   左大臣が心を込めてお世話しているのだからなおさらよ。
   教えて、この後、光る君はどうなるの?

「光る君」という呼び名は、高麗の相人が源氏の君のまばゆいまでの尊さを称えて名付け、それがいつしか広まったと伝えられております

さて、光源氏の君のご生涯がその名の通り輝かしい光に満ちたものでございましたか否か、これからゆるりとお話いたしましょう

第一帖 桐壺 了
第二帖 帚木 へ 続く

岩波文庫 源氏物語(一)25ページから28ページ
見出し画像は 週刊朝日百科 絵巻で楽しむ源氏物語 光源氏 元服

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