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花虹源氏覚書~第二帖帚木(二)

昔々その昔、帝の御子に光る君と呼ばれるお方がおられました。
源の姓を賜り臣下となられましたが、三人のお子様は、お一人は帝に お一人は皇后に お一人は人臣の位を極められたそうな。
そのお血筋の末の末、千年を経た世のとある姫さまに教育係の女房が語る光源氏の君の物語

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帚木その二

むかしがたりをいたしましょう

五月雨の降り続く宿直の夜、光る君と頭中将が語り合っておりますと、無聊を慰めんとて取り巻きである左馬頭と藤式部丞が参上いたしました。

―——「左馬頭」は、官馬を管理する左馬寮の長官。
   「式部丞」は、朝廷の儀式や人事を司る式部省の三等官ね、「藤」を冠して呼ばれているから藤原氏。
    どのくらいのご身分かしら。
    朝廷には二官八省一台六衛府が設けられているというけれど、位階と官職はなかなか覚えられないわ。

左馬頭は「従五位」、式部丞は「正六位」に相当します。
なお、光る君、頭中将は、この時ともに「従四位」に叙されておられました。
左馬頭の父親は大納言にございます。
大臣に次ぐ階層に属する家の生まれで、順当に朝廷での地位を得ている途上と申せましょう。
藤式部丞は、式部省の統べる大学寮で学び文章生となり官職を得たものでございます。優秀ですが、家柄だけでは十分に官職を得られない身分の出でもありました。

―—— では、あえて彼らのいう「上中下の品」にあてはめると、光る君や頭中将は「上の上」、左馬頭は将来的には「上」になりそうな「中の上」、藤式部丞は昇殿の許される五位に手が届くか届かないかの「中の下」かしら。

概ねそのようなところでよろしいかと存じます。
彼らは光る君よりも十ばかり年上で、いずれも「好き物」と名高い者どもでしたから、頭中将は待ってましたとばかりに、女人談義に引き込みました。

―――「好き者」という言葉、私はいやらしさを感じて心地悪いけれど、光る君の頃は必ずしも悪い意味ではないのでしょう?

左様でございますね。
千歳を経ておりますゆえ、男と女の在り方も則とすべき道理も大きく変わります。
当世では「好き者」また「色好み」と申しますと色欲に惑い情炎に踊る者を連想いたしますゆえ、節操無き者と眉を顰められることも多うございます。

されど、光る君の御代は、まだこの世が開けて間もなき神代に近き頃。
男と女の交わりは、天と地、陰と陽を織り成して生命を生み出す根源として当世よりも大らかに受け止められていたように存じます。

また、多淫と「好き者」とは異なります。
男女の心情の機微を細やかに解し、文や和歌や音曲を通じて風雅な交流を楽しみ、相手それぞれに真摯な愛情を傾けるものが「好き者」として名を馳せました。
如何に多くの異性と情を交わしたとしても移り気で不誠実であれば「徒人(あだびと)」と疎まれますし、生真面目にただひとりの相手を守るだけでは「実人(まめびと)」と軽んじられるのでございます。

―—— 難しいのね。
    それで、宿直に二人加わって四人になって、彼らはどんな話をしたの?

佐馬頭は、まさに頭中将や光る君が興味津々の「中の品」の女人たちを知る男にございます。
頭中将に水を向けられて面目躍如とばかりに語りだしました。

大方の女人たちはその身分や地位にふさわしくふるまっているので、会ってみてもだいたい想像通りで面白みに欠けます。

しかし、うだつのあがらぬ家で、父親は年老いてぶくぶくと太り、兄弟もお粗末な御面相で、これでは娘も推して知るべし、期待はできぬと思いきや、当の本人はいたく野心家で、教養諸芸もそつなく身に着け、格式には欠けても才気のある対応をしてみせるのがいて、このような女は侮りがたく魅力的なものです。

このように語りながら藤式部丞をちらりと見ます。
藤式部丞には世の人の評判がよい姉妹があり、あるいは何らかの思し召しがあったのかもしれませんが、彼は素知らぬ顔で聞き流していました。

左馬頭は続けます。
例えばさびしくうらぶれて草の茫々と生えたあばら屋にろうたけた美女がひそやかに住んでいるのに思いがけず出会えた時の心の高鳴りといったらどうでしょう。
このような佳人が何故こんな陋屋に、と興味がわき、また、その境遇が哀れでもあり心惹かれるのです。

――― あばら屋にひっそりと住んでいる美女、だなんて。
    むしろ怪談めいて恐ろしいけれど、そんなに心ときめくものなのかしら。

鄙の陋屋で思いがけず出会えば人並みの女も傾城の美女と映りましょう
人は意外性に惹きつけられ、手に入れ難きを価値あるものとみなす性がございますゆえ。

光る君は「上の品の女君だとて想像を超えてゆかしい方などめったにあるものではない、それなのに中の品にはそのような女人がいるというのだろうか」などと思いながら黙ってきいておられました。

白い柔らかな肌着に袴は着けず、直衣だけをしどけなくはおっておられます。
くつろいで脇息にもたれているお姿は、火影に照らされてまことにうるわしく「上の上」の女君をもってしても光る君には釣り合わぬほどでございました。

さて、左馬頭は、嫡妻を定められず惑うておりました。
時折、足を向ける通い所のひとつ、大勢の女人の中のひとり、として付き合うのであれば、一点の美質があれば足り、多少の欠点は気にもかけぬのですが、嫡妻として頼みとするただひとりの女人を選ぶのは難しい、と申します。

――― 光る君や頭中将は、ごくお若いうちに結婚が周りに決められていたのに、左馬頭は自分でお相手を探せるのね

左馬頭の「中の品」ゆえの身の軽さであり、なまじ自ら選べるゆえの惑いでございましょう。
「平凡でもよい、ほどほどの女人がいれば」などと申しますが、そうそう都合のよい「ほどほどの人」なんぞはおりませぬ。
あちらを合わせればこちらが切れる、あふさきるさのちぐはぐゆえに「ほどほどに良い妻」を探しあぐね、好き好きしい遊び心も手伝って多くの女人の間を彷徨うたのでございます。

そうして広めた見聞をもとに、「世間の男と女のありさまをあれこれ見ておりますが、なかなかお互いに満足のゆくということはないものですよ。」と訳知り顔に、天下国家の政治論から木工・絵画の芸術論までよろずのことになぞらえて男と女の仲について滔々と論じ、盛大にいなないたのでございます。

―——いなないた・・・?
   ああ、左「馬」頭だからね。
   驚いたわ。珍しく戯れごとを口にするのだもの。
   教えて、「馬」は、どんなことをいなないたの?

まずは、「嫡妻」にふさわしいのはどのような女人であるか、でございます。
北の方ともよばれる嫡妻は、家内を取りしきり、衣服の調製をはじめ夫の世話も任されます。

花よ月よと風流に明け暮れたり、世の無常を繊細に感じ入って涙ぐんだりというのは、毎日のことともなれば煩わしい。
さりとて、うちとけすぎて恥じらいも消えてしまい、化粧もおろそかに髪を耳挟みしてまめまめしくしているようでは、色香に欠けて幻滅である、と。

―—— お姉さまたちから、恋人から夫婦になればかかわり方が変わると聞くけれど、それと同じことかしら。
    お互いに気取りすぎてもゆるみすぎてもだめ、ということなのね。
    ところで、耳挟み、つまり、髪を耳にかけてはいけないの?
    どうして?

身の丈にあまる黒髪のつややかさを女人の美の象徴とした頃のこと。
立ち働けば顔に落ちかかる髪がうるさく感じられることもありましょうが、人目も気にせず無造作に耳にかけるというのは髪の美しさを損ない優美にかける仕草にございます。
当世でいえば、髪をぐいと愛嬌のないひっつめにしているようなものでしょうか。

嫡妻に求めるは、かような上辺のことだけではございませぬ。

朝夕の出仕、公私の付き合いのことなど、己の腹一つにおさめるには余ることどもがございます。
心の通じ合う妻とこそ、滑稽を笑いとばし、くやしきに涙し、義憤は分かち合いたいものだのに、世の中のことなど関心を持たず、また、夫の心情にも疎くて、話をしてもぼんやりと間の抜けた顔でろくに相槌もうてないのでは張り合いがありません。

純粋無垢で幼く頼りないのも教え導き甲斐があって愛らしいですが、家政を預けてみれば全く頼りにならないのは苦々しいものです。
普段の態度がやや素っ気ないと感じるひとほど、何事もそつなくこなし立派に妻の務めを果たすこともあるようです。

―—— そういえば、お父様もお母様にだけは公の密事もお話しておられるようよ。
   妻は、内向きのことにとどまらず広い視野を持ち夫の仕事を扶けるべし、言いたいことはわかるけれど、なんだか注文が多いわねえ。
   これではお相手が決まらないはずよ

ゆえに、左馬頭がたどり着いた結論はといえば、このようなものでございました。

身分は問わぬ
容姿も問わぬ
心映え、ねじくれひねくれていなければよし
もっぱら誠実で落ち着いた心の持ち主を妻として、理想と違うところありといえども、このひとこそ、と契りを結んだ縁を御大切に末永く結びたし。

―――あれこれ注文を付けて、結論はそれなの?
   普通過ぎて拍子抜けするわ。

結んだ縁を末永く、というのが難しいのでございますよ。
左馬頭は、引き続き、男女の仲が平らかにゆかぬことについていなないておりました。

頭中将は左馬頭のいうことを面白がり、頬杖をついて向かい合っています。
まるで徳の高いお坊様のありがたい法話を聞いているご様子なのもおかしなものでございました。

女房どもの好む恋物語のような騒動は、絵空事だからこそあわれに心動かされますが、実際には煩わしく鼻につくものだと申します。

夫の行状に面白からぬことが重なって、恨み言のひとつもいいたいところを我慢して素知らぬ顔で取り繕っていたのに、あるとき耐えられなくなると、激しいことばで歌を詠み、哀れなことばで文など残して深き山里、離れた海辺などに身を隠すような真似をいたします。
慌てて迎えに行き連れ戻したとしてもわだかまりがのこってしまい、二人の仲はもとには戻らぬものです。

さらには、夫の愛情を信じ切れず、世の無常を思い、ふと発心して出家をしようと思う折、その出来心を「お考えが深い、思慮深い」などとおだてられてうかうかと取り返しのつかないことをしでかす女もあるのです。

そのときは、悟り澄まして晴れやかな心地もいたしましょうが、尼姿を目の当たりにした近しいものたちが嘆き悲しみ、男にしても女を捨て去ったつもりもないゆえに哀れに思い涙を見せると、ああなんと早まったことをしたことか、と後悔の念にかられます。

髪に手をやると、尼削ぎにしてしまった髪の短く頼りない手応えに、とうとう涙がこぼれはじめるのは、御仏とて「こころぎたなし」とお思いになるでしょう。

また、ありふれた浮気を恨んで、血相を変えて仲たがいをするなども愚かなことです。
大騒ぎすればするだけ、二人の縁となる恋の始まりのやさしく美しい愛情を忘れ果ててしまい、終わりを早めるのです。
万事、心穏やかに、恨みも怒りもむくつけにせずにおれば、その奥ゆかしさにかつての愛情を思い出し、浮気心も自然とおさまるというものです。

一方で、浮気に気付いているのにものわかりよく知らぬ顔をされるというのも、自分に愛情がないということなのかと落胆し、こちらの心も冷めてしまいます。
つなぎどころのない浮舟は、水まかせ風まかせでついと流れゆくものであり、愛情を示して心をつなぎとめておかない女にも咎があるのです。

―—— 身勝手な言い分に聞こえるわ。
    浮気しても、騒がず大らかにかまえていてくれれば戻ってくるよ、だけど無関心でいられると寂しくてふらふらと本当に去っていってしまうから愛情という舫でしっかりとつなぎとめておくれ、ということ?

姫様、への字のお口は扇で隠せても、眉間に左様な深いしわを刻んでは隠しようがございませぬよ。
身勝手な心持は男の内にも女の内にも潜むもの。
仮に女同士の会話をきくことあらば、さぞかし殿方を鼻白ませることが多かろうと存じます。

さて、男ばかり集った宿直の夜。
夜も更けるうちに興がのり、それぞれが隠している秘め事の打ち明け話なども始まるのでございますが、そのお話は、またの機会にいたしましょう。

続く

岩波文庫源氏物語(一) 40ページから49ページ
見出し画像は「週刊絵巻で楽しむ源氏物語」より

第一帖桐壺はこちら。


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