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自分に向け「自分の好きなところ」を伝えられるか?それが自己肯定感。
最近、脊椎周辺の凝りが酷くて、なんなら脊髄取り外したい衝動に駆られるんですがどうしたらいいんでしょう。
取り外してしまったら、それはもう軟体動物でしかないんですが。
軟体動物になるのはイヤだけど、思考だけはフニャフニャに軟らかくしておきたいとは思ってます。
さてさて本題。
「自己肯定感」
実は私、この言葉はあまり好きではありません。できれば使いたくないとさえ思っています。なぜなら「自己肯定する感じ」しかしないから。
感覚的なものはどうでもよくて、重要なのは自分のことを適正に評価するチカラ。自分の特長や強みなどの武器を正しく評価して使いこなすことが大切ではないでしょか。
昨日、某大学近くのカフェである女子学生とミーティングしてきました。
その学生は能力的なスペックは高いものの、如何せん自己評価能力が弱い。ゆえに自己PRを苦手としてました。
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本人もそこが弱点だと思っているようで『自己評価を正しくしたい』ってリクエストだったのです。
話していて気づいたのは、「他人を評価するチカラは持っているのに、対象が自分となった瞬間に正しく評価できなくなる」。というよりも正しく評価することを躊躇しているように感じました。
彼女に『自分の好きなところを言葉で伝えてみて。具体的に。』とお題を出しましたが、抽象的だったのに加えて『〇〇だと思います』って言うんです。
そこは『〇〇です!』と言い切って欲しい。
この言葉だけでも自分を適正に評価できない・評価を躊躇していることが明らかです。
と言うことで、まずは<周囲から評価されていることが何か>を思い返してもらいました。そうするといくつも出てきます。
『せやのに、なんで周囲の評価を使わへんの?』と問いかけてみると、『周りから評価されても自分の評価基準に達していない』と言うのです。
あぁもったいない!
自分の基準を高く持つのはマインドとして大切です。現状に満足するヤツよりも何十倍も素晴らしい。
だけど、それを言ってちゃいつまで経っても自己PRできないじゃん。
なので私は伝えました。『現状で第三者から評価されてるのなら、それを武器として使えばいいやん。』と。
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他人から評価されていることを『なぜなのか?』と考えて、理解して、自分の言葉に置き換えて自己PRに使うんです。そうすれば魅力の一つになるはずです。
それを踏まえて、彼女に『私をもう一人の自分に見立てて、自分の好きなところを伝えて。異性に対して好きなところを伝えるように。』とムチャブリ要求。
少しハードルを高くしたトレーニングです。
しかし、自分を適正に評価するためには必要なプロセス。対面でトレーニングすることで自然と言える胆力がつくハズ。
最初は『〜と思います』と言うフレーズのクセが抜けなかったですが、何回か繰り返すうちに、相手に響く言葉になっていきます。この変化が楽しい。
終わった時には多くの気づきを得て、満足してくれたように思います。1.5時間のマンツーマントレーニングだったので疲れ切ってましたけど。
自分を低く評価して自己反省する姿は一見美しいものに見えます。特に日本では自分を一段低く評価すること(謙虚さ)が良しと言う風潮があります。しかし、それでは正しい自己認識・評価能力は得られません。
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自分の不足を補う姿勢は持ちつつも、自己PRの場ではその場面で使える武器を使いこなせるかどうかが重要です。遠慮がちで謙虚だったとしても相手にそれは伝わりません。
正しい評価を正しく伝えることに臆さないこと。自分の魅力を最大化できるテクニックがなければ相手に自分のことを伝える手段はないのですから。
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「自己評価」をテーマに見つけた本