関西盆は8月です。お盆、お彼岸の起源は推古朝。ということは、亀井水の太陽礼拝がかかわるのかも。
見出し写真は四天王寺大寺池。愛称亀の池。
#舎利出し 、#夏安居、#お盆
写真は法輪寺南無太子二歳像。
聖徳太子二歳像、舎利出し法要、夏安吾、お盆、と説明します。話がうまくつながるか?
聖徳太子は二歳の時から、父用明帝の真似をして、東の空を熱心に礼拝するようになります。
そんな二歳太子の手のなかに、舎利(釈迦の遺骨)が表れました。
その舎利は、四天王寺と法隆寺に伝来しています。四天王寺では、毎日欠かさず金堂で、一般参拝者とともに、舎利出し法要が営まれています。
現在は午前11時からですが、明治時代は朝8時からでした。朝の太陽礼拝とともに表れた舎利ですから、早朝が本来でしょうか。
江戸時代初期の文献を見れば、朝10時からとなっています。参拝しやすい時間ということで配慮されたのでしょう。ただし、夏安吾の時期だけは早朝です。
夏安吾の期間は、4月15日から7月15日までの長期に及びます。
インドでは雨季です。雨季には旅をせず、精舎にこもり修行した。雨安吾とも言います。
夏安吾の明けるのが、旧暦のお盆にあたります。中国では道教などの民間習俗と一体化し仏教行事となります。夏に祖先供養するのは、日本でも自然な習俗でした。仏教行事として、お盆は定着する。
四天王寺では、太子二歳の舎利信仰と重なり、夏安吾の結願でもあるお盆が、よりいっそう意味深いものになります。
先祖供養の基底にある、朝の太陽礼拝は、亀井水の本来の機能であったと思います。日本で、お盆が仏教行事として定着するうえで、亀井水がやはり重要な役割をになったでしょう。
推古朝は暦の研究が推進された時期です
お盆の起源は推古朝にあります。
日本書紀推古14年の記録
「是年より初めて寺ごとに、四月八日・七月十五日に設斎(おがみ)す」
四月八日は灌仏会(花祭り)、
七月十五日は盂蘭盆。
じつは、私はお彼岸の起源も推古朝にあると、日本書紀の記録から推定します。
(推古15年2月)詔して曰く「朕聞く、むかし、我が皇祖等、世をおさめたまうこと、天にせかがまり地にぬきあしにふみて、あつく神祇(あまつかみくにつかみ)を礼(ゐや)びたまふ。あまねく山川をまつり、はるかに乾坤(あめつち)にかよはす。是を以て、陰陽(ふゆなつ)開け、和(あまな)ひて、造化(なしいずること)共にととのほる。今朕が世に当りて、神祇を祭ひまつること、あに怠ること有らむや。故、群臣、共に為に心をつくして、神祇をゐやびまつるべし」とのたもう。十五日に、皇太子(ひつぎのみこ・聖徳太子)と大臣(おおおみ・蘇我馬子)と、百寮(つかさつかさ)を率いて、神祇を祭ひ拝ぶ。
推古15年2月15日は、西暦607年3月21日。つまりお彼岸です。お彼岸は皇祖の先祖崇拝と自然崇拝であり、お彼岸が日本だけの仏教行事であるゆえんです。
亀井水は太陽観測の装置。暦の研究と、仏教行事の定着に、亀井水は重要な役割を果たしたと推測いたします。
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