鵲森ノ宮神社の井戸わくだけの亀井石碑
見出し
春の陽の光を映す浪速津の川面のどかに
和の国のみやこ
四天王寺の亀井水にちなむものとして、八尾市の亀井町があります。四天王寺で修行されたお坊様が庵を結び住まわれ、近くにあった泉を、四天王寺にちなみ、亀井と呼ばれた。
より直接的なものに、中央区の鵲森ノ宮神社の亀井があります。
JR大阪環状線森ノ宮駅前、
鵲(かささぎ)森ノ宮神社の亀井。
もちろん、四天王寺の亀井水にちなんで、その名がつけられたのだろう。
現在は猫の額というべき手狭な境内になり、アマテラスの祠が本殿裏のビルの屋上にある。ビルを見上げて礼拝しなければならない。本殿の祭神は、聖徳太子の両親、用明帝と間人(はざひと)皇后。
往時、広大な境内を誇る社であり、亀井も森ノ宮駅の反対側、JRの操車場のなかにあった。井桁のみ移設する。
私の理解では、四天王寺の基礎工事は地下水の導水設計をともなう前例のないものだった。伽藍建設までの年月、ここ物部守屋の旧宅に(守屋の宮→森ノ宮)、仮の寺院をおいた。したがって、元四天王寺として信仰される神社である。
元四天王寺なら寺院ではないのか?
おそらく明治以前は、神宮寺をともなう神仏習合の聖地であった。明治政府の暴政により全国の神宮寺はほぼ壊滅した。
亀井水の本物も1400年の歴史にかかわらず、庶民信仰の俗物として蔑視されるなか、ここの亀井の存在も忘れられている。が、石碑をたてて、大切に守られている。学者や行政が無視しようが、亀井という名前は不滅の信仰の証しとして守られているのです。