明治末の歴史改竄~天皇代数と四天王寺亀井水
見出し写真は、大阪の悠久の歴史を湛える大川
歴史を願望で捏造する日本人。#南北朝時代
写真は後醍醐天皇と、後醍醐自身が書写し手形を押したとされる四天王寺縁起。
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今回の話題は、天皇の代数について。
教科書では、明治天皇は122代となっています。したがって、今上(令和)天皇は126代となります。
しかし、明治末までは、明治天皇は124代でした。
話は後醍醐天皇と南北朝の時代にさかのぼります。
南朝の天皇は後醍醐の死後、三代で消滅します。
天皇の血脈をつないだのは、北朝で、明治時代の宮内省も文部省も、北朝の代数を当然としていました。
明治44年、帝国議会で、藤澤元造が、忠臣を生み出した南朝を軽んずるのは、臣民教育道徳を軽んずるもの、と演説をした。これをきっかけに、南朝びいきの世論が盛り上がり、ついに宮内省もおれて、天皇系譜が書きかえられた。北朝の五人の天皇が抹消された。
歴史事実としては、南朝は断絶し消滅した。天皇の血脈をつないだのは北朝である。
明らかな天皇系譜の改竄、捏造である。
現在も、訂正されず、明治末の感情的改竄が続いている。
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明治末、四天王寺では亀井水が改造され、忘れ去られた。悠久の歴史遺産、亀形水盤の上の影向井が撤去され、ありふれた亀の噴水にとりかえられた。参拝者も学者も、明治末の亀の噴水が主役だと、思いちがいが生まれてしまう。
暗黒の時代であった。