出水の酒船石と飛鳥苑池
見出し写真は出水の酒船石。大正時代に発見された時の写真。
さて、出水酒船石と噴水装置の配置ですが、この想像図のようであれば、噴水装置も大正時代に一緒に発見されたはずです。
両者は離れておかれ、噴水装置の位置も低くかったため、発見されなかった。
おそらく、木か竹のパイプで、噴水装置の上から水を落としたのではないか。
上から注ぎ横に流すのは、四天王寺の亀井水と同じです。
飛鳥苑池と飛鳥酒船石遺跡は斉明天皇の時代と推測されます。
京極天皇としては廃位の憂き目にあい、孝徳天皇の難波宮遷移のため難波で暮らしていた女帝は、四天王寺を熟知していたでしょう。
斉明天皇として復帰して築かれた水祭司の施設には、四天王寺の亀井水が念頭にあったと思われます。
南池から発掘が始まり北池へと調査が進み、そしてこの水祭司場が発見されます。
全体の東北、ウシトラの位置にあるのは、四天王寺の亀井水と同じです。
斉明天皇の水の聖域、酒船石遺跡と苑池遺跡を四天王寺亀井水との関連で見るという試みは、まったくなされていません。
女帝として、推古天皇と聖徳太子の時代をしのぶのは、艱難辛苦の動乱にまきこまれた身として、切実な思いがあったのではないか。
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