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日本最古の貨幣試作品。富本銭。裏に、飛鳥、とあれば飛鳥資料館で売ってるお土産(つまり偽物)。富本の意味するもの。再考察


有名な酒船石とともに斉明天皇が造った亀形水盤
当然、四天王寺の亀井水を難波の宮にお住まいの時にご覧なり、同じ意匠で創作された

酒船石、亀形水盤、富本銭

飛鳥に行かれたら必ず立ち寄る、酒船石。その岡の北の麓に置かれた斉明天皇の亀形水盤。その水が流れ下る一帯は、飛鳥池工房とよばれる、天武天皇の時代の工業団地です。

そこで発見されたのが、富本銭です。

日本最古の貨幣ですが、貨幣としては試作品だと考えられます。

正式の貨幣として流通した、初期の銅貨は、皇朝十二銭といわれます。

歴史研究者は、四天王寺の亀井水を斉明天皇が熟知していた、という推測は、頭から無視されると思います。
亀井水が四天王寺創建時、推古元年593年に創作された、とは考えもしないでしょう。
しかし、四天王寺の基礎工事の段階で、境内地下の水路設営、ならびに亀井水が設営された地形の中心伽藍東のスロープ状の凹地形、などは完成しておかなければなりません。
亀井堂の水盤をおおうお堂の設営は、鎌倉時代以降ですが、亀井水を礼拝したであろう石垣は、亀井堂の裏に保存されています。この石垣だけでも、飛鳥時代の遺跡として貴重なものです。

飛鳥時代の工法の石垣


亀井水設計再現コラージュ


亀形水盤の発見の直前
飛鳥池工房遺跡で発見された
富本銭

斉明天皇が残された遺産として、古くから知られた酒船石。様々な考察がされてきました。
それと一体のものであろう、亀井水とおなじ意匠の亀形水盤が発見されたことで、私が推測するのは、酒船石は四天王寺の地下水路の概念図ではないか、ということです。
岡の上に四天王寺のシンボルとしての酒船石。
その麓に亀井水と同じ亀形水盤。
その流水が下る一帯に飛鳥池工房。
つまり、
推古天皇と聖徳太子の時代
斉明天皇の時代
天武天皇の時代
という歴史絵巻になっているのです。

七曜星の意味するもの


富の字は普通ですが
本の字が変です


七曜紋


四天王寺、法隆寺の若草伽藍
共通の瓦

古銭の意匠は、四文字の漢字をあしらうのが普通です。まず、その点で、富本銭は奇妙です。
代わりに、七曜紋が二つ配置されています。
七曜紋の特徴は、七つの星を六角形に配置します。
六角形で連想するのは、亀です。

また、七つの星は、北斗七星です。

まず、亀井水と北斗七星の関係を見ておきます。
亀井水の設営位置は中心伽藍の東北。東北はうしとら(艮)ともいわれ、神聖な方位ともされます。
また、四天王寺では、金堂の四天王の配置で、多聞天(毘沙門天)に該当する。
本来、多聞天は北の守護をする。寺院で四天王を配置するとき、金堂は南面して設計されるため、四天王の配置を右回りに45度ずらします。
また、北の守護神は、亀と蛇がからまる玄武も知られています。
北斗七星と玄武(亀)の両方の意味を、四天王寺の亀井水は表現しています。

すると、飛鳥の亀形水盤の流水を受ける飛鳥工房で造られた、富本銭の二つの七曜紋は、亀井水と飛鳥の亀形水盤を表しているのかもしれません。

富本の意味するもの

よくよく見れば、富本の二文字の間に、四角い孔があります。
富■本
です。
四角い孔。井戸、ではないですか。
本の字が変です。
孔を井戸とみなすと、変形した本は水にみえます。
つまり、
「とみのいのみず」

聖徳太子の遺言歌

『法王帝説』という文献に記録されている、聖徳太子の亡くなるまぎわの絶唱歌。

いかるがの
とみのいのみず
いかなくに
たぎてましもの
とみのいのみず

太子が亡くなる前日、やはり病にふした、膳(かしわで)妃も亡くなろうとしていた。妃は、水を乞うた。しかし、太子は許さなかった。


そのまま亡くなった膳妃を偲び、太子もまた命果てようとするまぎわに歌われた。


病人が水を求めるのに、なぜ太子は許さなかったのか?未練がましく後悔して辞世の歌としたのか?

まず、亡くなられた膳妃を、とみのいのみずに喩えます。そして、その水をのましてやれなかった、と嘆かれます。私も死ぬ。ともにあのとみのいのみずのほとりで、その水を飲んで、水上の天寿国へ旅立とう。

とみのいのみず、が亀井水であるならば、富本銭が飛鳥工房で試作された必然性も理解されます。

聖徳太子、推古天皇、斉明天皇、天武天皇、その波乱の歴史の記念コインが、富本銭である。

とりあえず、そう解釈しておきます。







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