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祖母との思い出をリメイクする

祖母が亡くなって半年が経ちました
私は完全なるおばあちゃん子でした

その割には最近まで祖母の死をとても冷静に受け止めてきた気がします
でも先日の遺品整理をしたことをきっかけに、祖母の死の受け止めかたが変わりました

その心の変化を書いていけたらと思います

祖母の死

去年9月に祖母が亡くなった
祖母とは30年以上一緒に暮らし、祖母は共働きの両親の代わりに私を育ててくれた

祖母はひょうきんもので、話の半分は冗談のような人だった
そして現実をすかしているような軽さがあった

でも意地でも生きるという根性やプライドみたいなものが据わっていたような気がする
その奥にある本当の苦しい体験(戦争のこと、商売で苦労したことなど)は軽く冗談にする代わりに

そんな祖母から私はたくさんのことを教わり、友だちのような感覚でたくさん冗談を言い合い、いろいろなところに二人で出かけた


でも一緒に暮らした最後のほうは暗く辛い思い出が多い
その時期は祖母の認知症が急激に進行し私も病状が一番酷く、お互いに分かり合えないことが多かったからだ

結局私と祖母と二人の介護に限界を超えた母は精神科に入院し、祖母は介護施設へ入居し私は実家を出ることになった


遺品のジャケット

その祖母が亡くなって半年
やっと家族と親戚で祖母の遺品整理をした

いる/いらない、使える/使えないと次々仕分けされゴミ袋が増えていくのを見ながら、私は断捨離のような気持ちよさを感じていた
そして皆と思い出話をしてもあまり感傷的にならなかった


その日のうちに遺品整理はおおかた終わり、私は祖母がよく着ていたジャケットをもらうことにした
そのジャケットの柄が祖母にとても似合っていて、私もその柄が好きだったからだ

そのジャケットの生地を使って何かにリメイクしようと思った


にぎやかだった実家から帰ってきて私は冷え切った部屋で一人、ジャケットの縫製を解いていくことにした


祖母に触れる

解けていくジャケットからは祖母の部屋の匂いがした
ジャケットのポケットには飴の袋が2つ入っていた
祖母の体型や動きのくせを模るように布が擦り切れていた

ジャケットから私の視覚や嗅覚触覚などリアルな感覚を伝って、祖母が立体的に蘇ってくるようだった

そして塞がっていた記憶の栓が外れたかのように、鮮明な思い出が勢いよく溢れ出してきた
その思い出の多くは、祖母が認知症になる前のまだ私が子どもだったころの二人だけの思い出だった

私は泣きながらその状況に耐えられなくなった
そして私は、本当に本当に大切な人を亡くしてしまったのだと実感した
心は上下に激しく揺さぶられ、亡くなったことを初めて悔しいと思った

そしてこの日を境に私は疲れとうつ状態で寝込み、気付いたら睡眠薬を大量に飲むほど体調を崩してしまった


祖母のイメージ

今思えばこの半年間、亡くなった祖母のイメージは認知症が進んだ祖母だったと思う
そして私はもしかしたらその認知症の祖母の死を悼んでいただけだったのかもしれない

祖母が介護施設に入居してから、私は孫というより(大げさにいうと)子供に近い形で祖母に関わってきたと思う
コロナ禍前は毎週祖母に会いに行き、最期のほうは延命措置の判断もした

深く関わった理由は単におばあちゃん子だったからというだけではない
最初は、かつて自分の病状が酷い時に祖母に冷たく当たったことや自分が祖母を施設に入れてしまったことに対する罪悪感が大きかったと思う

しかし途中からは家族には言えないことを祖母に相談したり、お菓子を食べながらただバカ話をするなど、自分も祖母に会いに行くのが楽しみになっていった

それでも自分は介護する側であり「会いに行ってあげる」という上から目線のような気持ちは最期まで残っていたように思う

そして祖母の死の捉えかたとして、コロナ禍で最期の日々を送ることになってしまった無念は大きいながら、それでも総合して祖母に対してベストを尽くしたという気持ちを持っていた

晩年の祖母を知る10人にも満たない親戚とともに祖母を見送り、皆も祖母が大往生でよかったねと納得しあいながら、私は祖母の死を介護の終焉のようなものと捉えていたように思う

そして祖母が亡くなってからも葬儀一連のことやその後の手続き、さらに家族の入院や近しい人たちの不幸も重なり心身ともにこの半年間バタバタと過ごしていた


ジャケットが教えてくれたこと

こうやって振り返ると、私はこのジャケットを持ち帰るまで本当の意味で祖母の死に向き合っていなかったのだと思う

だからあの日、ジャケットを丁寧に解きながら改めて祖母に触れ、「あの」祖母が亡くなったのだとやっと実感することができたのだろう

「あの」祖母とは私の知る全ての祖母だ
やさしくておもしろくて、友だちのようで先生でもあり、たくさん愛情を注いで育ててくれた私の大好きなおばあちゃんのことだ

あのおばあちゃんにたくさんありがとうも伝えられず、ジャケットに触れるまで大切な純粋に温かい思い出さえ忘れていた薄情な孫を祖母は天国からどう見ていただろう

きっと悲しませていたはずだ


ジャケットと宝石箱と思い出リメイク

療養期間1ヶ月を越えたが、今は体調もずいぶん回復してきた

今の状態は心の温かいところにたくさんのいい思い出を保ちつつ、でも後悔や申し訳なさや悔しさやいろいろな感情が混在している感じだ

でも改めて、大切な祖母を亡くしたということをきちんと受け止められている

結局、祖母のジャケットは生地を使って宝石箱にリメイクすることにした
布をどう使うかどんな作業工程にするか試行錯誤し、そのことだけに集中している時間はなかなかいい

あの日このジャケットをもらって改めてよかったと思う

本当に大切なことを思い出せただけでなく、祖母との思い出が以前より濃くカラフルに、そしてとても温かいものになった


ジャケットは宝石箱に生まれ変わる

そして私も祖母との思い出も、宝石箱にふさわしいように丁寧にリメイクされていくだろう



おばあちゃん、ごめんね
たくさん可愛がってくれて、そして最期まで私のことを覚えていてくれてありがとう













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