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ダイエット入院24日目 〜おまじないの言葉になるまで〜

2022/11/04(金)

「今考えても仕方ない」


この言葉がなぜ自分にとっておまじないの言葉になったか?ということをもう少し整理しておきたい。


その理由はズバリ、考えること自体を否定されなかったからだ。



私は考えることが好きだ。

今まで「考えすぎよ」「もっと楽に考えたら?」という言葉が響かなかったのは、考えること自体を否定された気持ちになっていたからだろう。



今は考えることはOKだが、考えすぎがNGだという言葉がすんなり入ってくる。


それはまず、なぜ考えすぎがNGか?ということがウェスラー式知能検査の結果から具体的に分かったからだと思う。

私は考えすぎることで、臆病になり得意なことを活かせていない上にミスをしてしまうということが分かった。

それが明らかになったことで考えすぎは自分にとって損だと理解できたのだ。

さらに考えすぎとはどういうことをいうのか?ということも明確に判断できるようになった。

考えすぎなこと、つまりそれは「今考えても仕方ない(解決しない)」ことについて考えることだと分かったのである。


私の頭に浮かんだことを、今考えること/あとで考えること/考えなくていいことに分けると、どうやら私の雑念の8割くらいは「今考えても仕方ない」ことに支配されているようだ。


この8割を切り捨てる。

そうすることで、私の心にはさーっと清々しい風が通ったように感じた。

心が穏やかになり、マインドフルな感覚を楽しめるようになった。


それは脳を休めることにつながり、今考えるべきことを集中して考えることにもつながる。

後回しにしていた今やるべきにも時間を割くことができる。


私は今書いてきたように、頭に浮かんだ今考えるべきこと以外を「今考えても仕方ない」と唱えて切り捨てている。

こうして私にとって「今考えても仕方ない」という言葉が、おまじないの言葉になった。


今までいろいろな人が私に考えすぎはよくないと言ってくれた。

そのことに今は反発どころか感謝している。

そしてなぜ考えすぎがNGか知能検査結果を元に解説してもらえたこと、どういうことが考えすぎかの判別方法(ラベリング)を教えてもらえたこと、今の入院に関わって助けてくれている全ての人に感謝の気持ちが溢れている。


私はこれでひとつ新しい希望のある道に進みはじめた。


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