見出し画像

ダイエット入院31日目 〜太宰治と毒気のその後〜

2022/11/11(金)

絶望的な孤独。

私は自分のこの孤独の世界が、精神的に自立するために必要なものだと思っている。

(つまり、精神的に自立している大人は私のように分かってもらいたいとか共感がほしいなど言わず、きっとそういうものを抱えて自分で処理できるという意味で孤独だろうという考え。)


昨日はその考えから離れられなかった。

以下はその考えに端を欲して、今日までに私がどのような考えに至ったか時系列で書いていく。


昨日の午前中、孤独の世界と精神的自立についてマインドフルネスの先生に質問したら、孤独との向き合いかたと対処法を教えてもらった。

でも私はその答えに釈然とせず、午後はどんどん沼へはまっていった。

孤独に対処したい訳ではないのに。
精神科医が言ったように、そんなテーマを考える暇があったらダイエットに集中するべき?
そんなテーマは今考えても仕方ないと受け流すべき?

そんなことを考え地面を見つめていると、いつの間にか日が暮れていた。


そしてその日の夜、私がしたこと。

noteを書くのを止め、寝る前のマインドフルネス瞑想を長めに行った。

結果、楽しい夢を見た。
翌朝の目覚めがよかった。
起きるといつもの低い調子だったが、頭はクリアになっていた。

頭がクリアになると、私が昨日躓いていたのは考えることを否定された気持ちになっていたからだと気付くことができた。

さらに孤独と精神的自立の話など私の周りの人は分かってくれないと決めつけていたことにも気付いた。
(分かってほしいなど精神的に自立できていない証拠?という不安)

その考えをひっくり返すように、私は孤独と精神的自立といったテーマを「考えたい」とはっきり自覚できた。

さらにもし周りの人が分かってくれないなら、本を読んだりそういうことを話す仲間を見つけたりすればいいのだと思った。
(それが私が求めている共感なのだと思った。)

自分の気持ちに気付く。
固定概念や思い込みを外す。
客観的に自分を見る。

この柔軟な考え。

今までの私にはなかった発想だ。

もしかすると頭がクリアになったのは、昨日noteを書かず寝る前にマインドフルネス瞑想をしたからかもしれない。

ちなみにマインドフルネスの先生いわく、そういった効果を期待してマインドフルネス瞑想をしても続かないそうだ。

成果を求めないけど続けていくこと(脳の筋トレ)が、マインドフルネス瞑想をする上でとても大切なことらしい。

そしてnoteを書かない日を作るとか寝る前マインドフルネス瞑想するなど、その状況に対していろんな行動を試してみることを実験というそうだ。

そうやって失敗ありきの実験を積み重ね、コーピングスキル(ストレス対処法)を磨いていくのだという。


こんな感じで考えを進めると、私がこだわっていた「人間失格」の世界や「毒気」についてもちがう捉えかたができるようになるかもしれない。


例えば、
「人間失格」の世界は、私のいう世界と同じものなのか?
私が本当に失いたくないのは死にたいとか考える「毒気」の部分なのか?
といった考えである。

もしかしたら私が本当に失いたくないのは、こうやって一人で考えて落ち込んだりしながら答えを見つけていくといった「考えることを許した世界」なのではないか?


そんなことを考えはじめている。



昨日の沼から、今日のこの立ち上がりかた。

私はその激変をジェットコースターなどと騒がず、もっと前向きに捉えることができるようになるかもしれない。

今日の私はそう思っている。












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?