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ダイエット入院10日目 〜あの暖かい部屋と依存〜*一部修正

*今朝(10/21)目覚めたら、昨日の文章がなんだかしっくりこなかった理由がわかった。

それは①なぜ入院や人生の転機のたびに「自立」や「依存」の問題が明るみになるのか?、②なぜ自分の調子をコントロールすることが依存を断ち精神的自立につながるのか?

これらのことについて書いていなかったからだ。

それらをシンプルに説明できたら、また書き直そうと思う。

(読んで下さった方、分かりにくい文章でごめんなさい!)




2022/10/20(木)

病棟の大きな窓から、私の好きな山を背景に姉と2年前まで住んでいたマンションが見える。

思い出すのは今日のようなはっきりと秋に変わった日、一日中日の当たるその部屋で好きな時間を過ごしていたことだ。

うとうとして寒さに気付くともう日が暮れていて、さぁ晩ごはんを作ろうとそこから動き出すのだった。


その部屋で家事をする居候として、仲のいい姉と一緒に暮らす日々は楽しかった。

独身を貫くつもりでいる姉と、一生支え合って生きていく未来も淡く想像していた。



しかし私には姉ではなく、一緒に過ごす将来を考えるほど好きな人ができた。

そこから姉との関係のバランスがおかしくなり、自分も体調を崩して入院し、退院後一人暮らしをはじめることになった。

そして今年その好きな人、つまり今のパートナーと同棲のようなことをはじめ見事に体調を崩し、いろいろあって今この病院の内科に入院している。



実家を出てからのこの5年を振り返ってみると、私の引越しや入院の度に明るみになるのは詰まるところ「依存」と「自立」の問題だと思った。



(*依存という言葉を治療対象のものから一般的に使うものまで区別せず書いています。)

共依存(主治医から指摘された)の母から離れたくて実家を出て、姉に生活全般を依存していることに不自由さを感じ一人暮らしをはじめ、パートナー(友だちから彼との関係を共依存だねと言われた)と対等の関係を築くには私は未熟で...


という依存体質の甘えた自分が見えた。


そしてその転機のたびに人を傷付けたり不調になったりしている。

母は私が実家を出たあと精神科に入院するようになり、姉は私が一人暮らしをはじめたあとさらに深刻なワーカホリックに陥っている。


自立という意味では、今の私の状況を見て、一人で生活を成り立たせているから自立できていると言ってくれる人もいる。

しかし精神的な面では自立できていない。



改めてそのことに気付いたきっかけは、今日精神科を受診だ。

医療はあくまでもサポートで「まずは自分で自分の調子を整える」という大前提を私はすっかり忘れていたようだ。


そして私は(今年3月までの)前の主治医にまでも依存していたのではないかと思った。


私は前の主治医を「私を分かってくれる人」として全身で頼り、どんな状況になってもこの主治医がいればなんとかなるはずだと思っていたからだ。


その主治医が退職し、心の依存を失ったことが結果として原因不明の不調や過量服薬に関係しているのかもしれないとも思った。



自分が依存体質だなんて認めたくないことだが、振り返るとこうやって心当たりがあるのだ。


依存を断ち精神的に自立するためにも、改めて「自分で自分の調子をコントロールする」大切さを自覚する。


今日の精神科受診で、薬物療法の必要はない=自分でコントロールできるはずだといわれ覚悟できた。

その覚悟は、今までと比べものにならないほどしっかり(反省も込めて)重く鋭いものだ。

芯が通った感じだ。


そしてとてもありがたいことに、この入院で自分で自分をコントロールする具体的で有効な方法を学ぶことができる。

そして退院後も自分で実践できるいろいろな方法があることを知った。

それらの一例が、マインドフルネスや認知行動療法やウォーキング、栄養学、一般的なストレス発散法などだ。


まずは自分で調子を整える。

そして自分で調子をコントロールする中で、自分の望む社会的活動ができるようになり、自分なりの本当の自立ができるのだと思う。



かつて母や姉やパートナーそして主治医は私にとって、あの部屋のようにやさしく暖かいものだった。


そして今日、私は暖かい日の差す方向からあの部屋を見ている。


それはまるで、自分の居場所は自分で暖かいものにするという覚悟を表した景色のようだ。

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