高校時代ぶりの「百年の孤独」を読んで
文庫版の「百年の孤独」(ガブリエル・ガルシア=マルケス)を読んだので、その感想を書きたいと思う。
この小説は、高校時代に一度読んだことがあり、かすかに内容を覚えていたのだけれど、今回待望の文庫化がされて話題にもなっていたので久々に再読した。高校の時は、当時夢中になって読んでいた筒井康隆がマルケスを薦めていたのをきっかけに、「百年の孤独」を読んだのを記憶している。今回は忙しかったのもあるけれど、本書は細切れで読むのは不向きの大著で、読了するのに半月ほどもかかってしまった。
「百年の孤独」はマコンドというコロンビアの山深い場所の架空の町を舞台にした、百年にも及ぶブエンディア家という一族の物語だ。
作品の特徴として、現実と非現実が境目なく語られていて、それがあまりにも自然だった。例えば、家の中に死者たちが現れて生者達と自然に言葉を交わしたり、シーツをもった少女が風に運ばれ文字通り昇天していったりする場面が、日常的な出来事に自然に挿入される。また、登場人物のエピソードも頻繁に切り替わり、ある人のことが書かれていたら突然他の人のエピソードに切り替わったりする。初めはその文体に面くらい、慣れるのに時間がかかった。
物語の中核はマコンドとブエンディア家の変遷と盛衰であり、6代にわたる歴史が綴られていく。ブエンディア家は、生まれた子供に親と同じ名前を繰り返し付けていくので、名前で混乱するたびに家系図を見て整理して読んでいった。それはおそらく、同じような運命が繰り返されるという、円環的な一族の運命を読者に感じさせる作者の意図なのだと思う。
そうして一族の盛衰が繰り返されていき、町の盛衰に重なりながら進んでいく。物語は淡々とした文体で、感情を抑えながら語られてゆく。
エピソードの一つ一つは、寓話的でなかばコメディのようなのだけれど、その実悲哀に満ちていると感じた。また登場人物達は、一見自らの意思で人生を切り拓いていっているように見えても、実は大きな運命の流れに翻弄されているように感じた。例えば、アウレリャノ・ブエンディア大佐は、生まれた時から洞察力に優れて金細工に精を出すおとなしい青年だったのだが、ある時から人々の支持を得て政府への反乱を指揮するために長い戦場の旅に繰り出すことになる。そして、長い戦いの後にマコンドに帰ってきた大佐は、老齢の域に達してからは再び工房に閉じこもり金細工に精を出すようになる。それは、強い意志で自ら行動を起こしたようには見えるのだけれど、その実そこにあるのは深い虚しさのようだった。
ただ、ブエンディア家の最初の家長の妻、ウルスラだけは一族の運命に最後まで抗い続けていたと思う。彼女は百数十歳まで生き、物語の初めからほぼ最後の方まで登場している。その間、家の家事を行い、子供達を育てて、商売を行い経済的にもブエンディア家を支えていく。ウルスラがいなかったら、物語の躍動感は得られなかったと思う。そのウルスラが亡くなってから、町と一族の運命が終焉していくまでの寂寞感は本当に重かった。
今回高校時代に読んだ本を再読して、読みながらエピソードを思い出したり、全く初めての驚きがあったりして新鮮だった。ラテンアメリカ文学はこの作品しか読んだことはないのだけれど、マルケスの他の作品や他の作家も機会があれば読みたいと思う。