機が熟したら。
去年の今頃、悩みに悩んで、東京行きを決めました。
年明けに慌てて物件を探し、現地までわざわざ内見にも行ったのに、結局は実家でオンライン内見した家に決めました。
慣れ親しんだ故郷とお世話になった人々に静かに別れを告げ、4月から始まった新生活。
東京に来てから9ヶ月ですが、あの時の決断から計算すれば、早1年となりました。
東京に来て、生活面では決して潤いはなく、仕事もまずまずなのですが、趣味のベリーダンスや、プライベートの人間関係は、一段と深みが増しました。
今年もやはり、人との出会いに支えられた年です。
仕事をしながらぼんやりと、高校1年生の時、宿泊研修みたいなものがあって、そこで両親宛てに書いた手紙を思い出しました。
高校1年生の時は、反抗期って訳ではないけれど、やっぱり親との距離感が妙に離れた時期で、あまり涙を誘うような文章は書けなかったんですが、一つだけ、覚えている事があります。
将来の進路(大学)について、「東京に行く事も考えています。」と。
走り書きのような字で、そう書いた事を覚えています。
高校生の頃の私は、友人達の中で、先に旅立つのは私だと、根拠なく考えていました。
それが結局、自分の頭の中で描いている未来予想図が、現実のアレコレと焦点が合わず、地元の大学へ進学する事に決まりました。
浪人してでも第一志望の大学に行く人が多い高校で、浪人が決まった友人が多い中、私は一応、第一志望に決めた地元の大学に合格したので、ひと足先に次の世界へ一歩を踏み出す事になりました。
でも、それでも。大学に行っても、殆どの事が魅力に感じられず、都会への未練ばかりが募って、今思えば「無為」に過ごした時間だったと思います。
大学がつまらないなら、社会人になったら。
今度こそ、東京へ行くチャンスだ。
そう思っていたはずなのに、蓋を開けて見ると、今度もやっぱり、東京へ旅立ったのは友人で、私は地元に残って就職する事が決まりました。
それから5年目の冬にやっと、今度こそ私自身が旅立つ事になりました。
今度は、思いに現実が伴いました。
よく、「いつかやろうは馬鹿野郎」なんて言います。それは、正しいと思います。物理的な時間は有限なので。
でも、何かをやるに当たって、タイミングが今ではない、つまり「機が熟してない」という事はあると思います。
私は、高校1年生の時に、手紙に願いを込めてから、10年と少し経って、タイミングがやって来ました。
東京行きともう一つ、私にとって、未だ叶えられていない願いがあります。
それは、「海外」に住む事。(私はなんでこうも、どこかに住む事が願いなんだろう。)
海外ならどこ、何を目的に、と言うのは、今はまだ決まっていません。
これもまた、「機が熟したら」、想いに行動が重なってくるのだと思っています。