![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/8059452/rectangle_large_type_2_6c28e7bb8da6173e059e60f5d0063d5f.jpg?width=1200)
食欲の秋
『FlyFisher』2014年10月号掲載
食欲の秋である。
渓流に釣りに行くと、定番は蕎麦である。よく行く福島県の檜枝岐村では「裁ちそば」が滅法美味い。つなぎを使わず、そば粉を水と熱湯でこね、薄く伸ばし十数枚を重ねて布を裁つように切ることから「裁ちそば」と呼ばれるようになったそうだ。
また、檜枝岐スイーツとしては「はっとう」がある。そば粉と餅粉をまぜ、えごまと砂糖で味付けした餅菓子だ。昔、あまりの美味しさに村人が食べるのは御法度とされたことからこの名が付いた。
これがまた、甘さが強すぎず、ついつい口に運んでしまう大人のスイーツとしてオススメである。
あるとき檜枝岐行きつけの食堂でこれらの料理に舌鼓を打っていると、食堂のご主人が僕の目の前に黒い物体を差し出してきた。
5、6センチの細長い物体で、なにやら骨っぽい。しかもよく見ると四本の足が出ているではないか。
グロい。グロすぎる。
昆虫か?トカゲか?
映画『エイリアン』のようでもある。いやエイリアンそのものである。しかも頭部と思われる部分はキン肉マンの超人ブラックホールのように穴が空いている。
グロい。
「山椒魚の薫製だよ」
絶句した僕のリアクションにご主人は嬉しそうに笑顔で言った。
釣りにきて山椒魚と出会うとは。
「山椒魚は悲しんだ」で始まる
井伏鱒二の処女作、『山椒魚』を思い出さずにはいられない。
一匹の山椒魚くんが大きくなり過ぎて岩屋から出られなくなり、出口から見えるメダカや小エビ、花びらに嘲笑と侮蔑を振りまくも、岩屋に閉じ込められた自らの境遇に悲嘆する。
自暴自棄になった山椒魚くんは岩屋に入り込んだカエルくんを閉じ込めてしまう。一年、二年と共に過ごすが、最後にカエルくんは言う
「今でもべつにおまえのことをおこってないんだ」
孤独な境遇に悲観し他者に対して侮蔑でしか返せない山椒魚くん。彼のせいで閉じ込められたカエルくんの最後の言葉はなんと寛容であろうか。山椒魚くんを擬人化したユーモラスな物語は、多くの思いを読者に投げかけてくる名作である。
そんな山椒魚くんを僕は頭からかじってみた。
苦かった。味はと言えば炭みたいな。
「あ、粉にして使うんだ」とご主人。
それ、早く言って欲しかったな。
そしてご主人はおもむろに黒光りした山椒魚くんを一匹づつ両手に持ち
「オスとメスの見分けかたは、後ろ足が細い方がオス、太いほうがメス」
と、知っておいた方が良いと言わんばかりの力強い説明をしてくれた。
思わず僕は「後ろ足が細い方がオス、太い方がメスですね」と復唱してしまった。
ご主人の話しはもう止まらない。
山椒魚の産卵期、雨が降って太くなった沢を産卵のために山椒魚が上る。そこに罠を仕掛けて穫る。
山椒魚を締め、頭を串に刺し一度薫製にする。縮んだものを山草の湿気で一旦戻し、形を整えてまた薫製にする。
僕のリアクションがとても良かったのか山椒魚くんクッキングレシピまでも開陳してくれたのだ。
話は逸れるが、後日その話をお店のお客さんに話したところ、一時期ある山村で働いていた時に山椒魚くんを食したことがあるという。
なんと、僕が知らないだけで山椒魚くんはポピュラーな食べ物なのかと驚いた。
しかし、薫製しか知らなかった僕にとって、お客さんの料理法は驚くべきものだった。
山椒魚くんをそのまま、そう、あの姿のまま塩茹でにして、まるのまま、そう、あの姿のまま、パクっといく。
するとパリっとした歯ごたえの後にジュワっとジューシーに口の中に味が広がるそうだ。あの山椒魚くんが。
お客さん曰く、
「あれは、そう、シャウエッセンのような、何とも言えない食感だったなぁ」
まさか山椒魚くんを食べる話しからシャウエッセンが出てくるとは。
しかしなぜだか食べたいとは思わなかった。
さて、檜枝岐のご主人の興が乗ったところで引くに引けない僕は、山椒魚くんの薫製を分けていただく以外に道は残されていなかった。だから両親へのお土産とした。
嬉しそうに包みを開け「ひっ」と声を上げた両親は、
山椒魚で悲しんだ。
そしていまでも「アレは無い」と怒っている。
『山椒魚』
井伏鱒二/著
新潮文庫 529円 ISBN:978-4-10-103402-7
いいなと思ったら応援しよう!
![すずきたけし](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/5935035/profile_1935f648f1735f0073e93d4190b7e1db.jpg?width=600&crop=1:1,smart)