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灯台|Lighthouse

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すずきが訪れた日本の灯台の写真を記録しています。灯台を知るために灯台に関するコラムや記事なども書いています。 ※記事・写真の無断転載を禁じます This site record…
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#神奈川県

灯台INDEX

最終更新日:2024年11月25日 灯台マガジンのインデックス(随時追加) 訪れた灯台、コラム、記事などをインデックスしています。 ※灯台名横の(A~D)は明治期に建造された灯台を①歴史的・文化財的な視点、②土木・建築史的視点、③生活文化史的視点から『灯台施設調査委員会』(1985~1987)が判定・分類したランク。 コラム灯台の歴史《世界編》灯台の歴史《日本編》条約灯台|江戸条約・大坂条約灯台発祥の地|神奈川県横浜市 ◆北海道◆日高門別灯台|北海道日高町 2022年

旧横浜外防波堤北灯台&南灯台(廃止)|神奈川県横浜市

旧横浜外防波堤北灯台&旧横浜外防波堤南灯台 2021年12月30日 横浜ベイブリッジ直下に位置する横浜外防波堤北灯台(赤)・南灯台(白)は2019年に航路標識の役割を終えている。  1935年(昭和10年)に同時に点灯された北と南の二つの灯台は、建設時は横浜の外防に位置していたが、山下、大黒、本牧埠頭が完成したことで結果として横浜大黒防波堤西灯台、本牧防波堤灯台の内側に位置している。  横浜ベイブリッジの建設が計画された際には撤去の案も出たが、ベイブリッジの橋脚に当たった波

横浜北水堤灯台|神奈川県横浜市

横浜北水堤灯台(B)|神奈川県横浜市 2021年12月30日 明治の初めから国際貿易港として栄えた日本の表玄関港である横浜港に1896年(明治29年)5月16日に築造・点灯。設計はイギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマー。赤色・鉄造六角形の四層構造。防波堤灯台としては日本初であり、また東京湾の現役航路標識としても最古のもの。  灯台築造以前は“灯竿”によって港内を航行する船舶の安全を図っていたがこれを廃止し鉄製の灯台として赤色の横浜北水堤灯台が築造された。しかし192

城ヶ島灯台|神奈川県三浦市

城ヶ島灯台|神奈川県三浦市 2021年11月23日 城ヶ島灯台の場所には1678年(延宝6年)から灯明堂(日本式の灯台)が設置されており、その後にかがり火を焚く篝台によって明治の時代まで火が焚かれていた。しかし後に建設される野島埼灯台の灯りと誤認するとの理由から1869年(明治2年)に廃止が決定。1870年(明治3年)にレンガ造の初代城ヶ島灯台が建設された。  観音埼灯台や品川灯台など日本の近代灯台初期の建設を担った横須賀製鉄所建築課長のルイ・フェリックス・フロランが最後

剱埼灯台|神奈川県三浦市

剱埼灯台|神奈川県三浦市 2021年11月23日  1866年(慶應2年)の改税約書(江戸条約)によって建設された8基の条約灯台のひとつとして1871年(明治4年)に点灯を開始した。初代剱埼灯台は石造だったが、1923(大正12年)年9月1日の関東大震災で被災し、2年後の1925年(大正14年)に現在のコンクリート造の灯台が建設された。  剱埼という名前は、1660年(万治)頃に徳川幕府の管財を運んでいた船が岬の沖で難破した際、海南神社の神主が岬の突端から剣を海に投げ入れ

観音埼灯台|神奈川県横須賀市

観音埼灯台|神奈川県横須賀市 2021年11月23日  観音埼灯台は1869年2月11日(旧暦明治2年1月1日)に点灯を開始した日本初の洋式灯台。横須賀製鉄所で焼き上げた64,600枚ものレンガを船で運び建てられた。    1863年(文久3年)の下関事件に端を発する1866年(慶応2年)の改税約書(江戸条約)が英仏蘭米と江戸幕府との間に締結され、その第11条(=日本政府は、外国貿易のため開きたる各港最寄船の出入安全のため燈明台、浮木、瀬印木等を備ふべし)に基づき作られた8

横浜大黒防波堤東灯台|神奈川県横浜市

2018年10月28日 横浜大黒防波堤東灯台 35°27'24.0"N 139°42'25.5"E 灯質:単閃緑光 毎4秒に1閃光 灯髙:16m 光達距離: 10miles(18.5km) 構造:白塔形 高さ:16m