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観音埼灯台|神奈川県横須賀市

4等フレネルレンズ
敷地内に展示されている旧霧信号吹鳴器
対岸は房総半島。大小多くの船が行き交う東京湾
観音埼灯台所轄地
灯台をモチーフにしたポラード(車止め)

観音埼灯台|神奈川県横須賀市 2021年11月23日

 観音埼灯台は1869年2月11日(旧暦明治2年1月1日)に点灯を開始した日本初の洋式灯台。横須賀製鉄所で焼き上げた64,600枚ものレンガを船で運び建てられた。
 
 1863年(文久3年)の下関事件に端を発する1866年(慶応2年)の改税約書(江戸条約)が英仏蘭米と江戸幕府との間に締結され、その第11条(=日本政府は、外国貿易のため開きたる各港最寄船の出入安全のため燈明台、浮木、瀬印木等を備ふべし)に基づき作られた8基の灯台のひとつ。

 建設はフランス人灯台技師のルイ・フェリックス・フロラン。フランス土木局で各地の公共施設の建設を監督し、パリの中央灯台部に抜擢され日本に派遣された灯台技手のフロランは、フランソア・レオンヌ・ヴェルニーを首長とする横須賀製鉄所(造船所)の建設課長として観音埼のほか、城ヶ島、品川灯台を建設している。
 現場監督としてのフロランは職人や作業員のミスに対し持っていたステッキで殴るなど暴君であったと当時の証言がある。(『燈光』昭和9年3月号)                               

ルイ・フェリックス・フロラン(1830~1900)

 横須賀市自然・人文博物館に所蔵されているフロランのサインが入った初代観音埼灯台の設計図(江埼灯台に次いで二番目に古い現存する灯台設計図)の平面、立面、姿図などの類似から、初代観音埼灯台はフロランが従事した地中海のコルシカ島にあるキアッパ灯台をモデルにしていると推測される。

初代観音埼灯台
キアッパ灯台
(WIKIDATA https://www.wikidata.org/wiki/Q3378470

 1922年(大正11年)4月26日の地震により倒壊。翌年にコンクリート造で作り直されるが、同年9月1日の関東大震災により灯塔に亀裂が生じ、北東に6度傾斜。1925年(大正15年)に日本人技術者によりRC造(鉄筋コンクリート)よって再度建設され現在に至る。
 現観音埼灯台は木下惠介監督の映画『喜びも悲しみも幾年月』(1957年)の冒頭シーンで登場する。

 日本初の洋式灯台である初代観音埼灯台の起工日である(1868年)11月1日は現在、灯台記念日となっている。

参考=『明治期灯台の保全』(財団法人 日本航路標識協会)、『燈光 2005年10月号』(燈光会)

航路標識番号
[国際標識番号] 2030 [M6360]
位置 北緯35度15分22秒 東経139度44分43秒座標: 北緯35度15分22秒 東経139度44分43秒
所在地 神奈川県横須賀市鴨居 4-1187
塗色・構造 白色八角塔形 コンクリート造
レンズ 第4等フレネル式
灯質 群閃白光 毎15秒に2閃光
実効光度 77,000 cd
光達距離 19海里(約 35 km)
明弧 152度 - 17度
塔高 19 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 56 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1869年2月11日
(旧暦明治2年1月1日)

Wikipedia

 https://goo.gl/maps/dcEvPpeCsp7o4Gbm8


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