見出し画像

その方法、果たして自分に有効か?「アンチ整理術」

この記事は以下のような方に参考になるかと思います。
・毎日やらなければならないことに追われて忙しいと感じている方
・ビジネス本を読む方
・自己啓発に熱心な方

この記事は森博嗣さんの書籍「アンチ整理術」を読んだ感想とともに、その内容へ自分を当てはめ、考え、行動した記録を書いています。

ブログ記事一覧はコチラ>>>>>

その方法、果たして自分に有効か?「アンチ整理術」


整理整頓のよい方法について書かれた本かと思った本書。
が、これはまったくの別物だった。
そして今まで読んできた森博嗣のエッセイの中で、私は本書が一番心打たれた。
とびきり抽象的なんだけど、だからこそ取り入れられる。
あぁ染みてくる。

今回の本

整理整頓は有効か

果たしてそれは楽しいのか
本書の前半、この言葉が印象的だった。

最近よく話題に上がる「終活」、死ぬときの準備。
身の周りを整理しておこう、ということらしい。
これも、僕にはまったく無駄に思える。
そんなことをして楽しいか?と首を傾げてしまう。

私は森さんのこういう考えが好きだ。
だから森さんのエッセイにハマっている。

ここでいう終活とは物質的なこと、モノの整理のことをいっている。
整理整頓。
そりゃ当然、散らかっているよりは片付いている方がいいに決まっている。そう思う。
これを私は一度も疑ったことがない。

片付けることでは、新しさは生まれない。
せいぜい、思い描いたとおりの奇麗さが表れるだけのことで、想像もしなかった展開にはならない。
ここが、片づけることのつまらなさである。

(なるほど)

確かに、片付けた後の気持ちよさは
片付ける前から想像がつくものだ。
すっきりして気持ちがいい。

で、それ以外は?
整理整頓は有効なのか?
例えば作業の効率。
アップするだろうか?

森さんはいう。

そんなものは疑わしい。

(!!)

整理をする時間というのも、馬鹿にならない。
効率アップによって、その時間が取り戻せるかどうかは、微妙なところではないだろうか。

(たーしーかーにー!)

つまり森さんがいうのは、
整理整頓は「自分にとって有効か?」と考えることだ。

良いといわれる方法が、自分にとっても良いとは限らない。

本に書かれていることでさえ参考程度にしかならない。
そこで紹介される「良い方法」には、“その著者がやった”という形容詞が隠れている。
自分とは条件が違う。

ここで夫のことが思い浮かんだ。
彼にはビジネス書でよく書かれていることとは真逆をいく点が1つあった。

自分にとっては苦ではない

夫は旅行にたくさんの荷物を持っていく。
旅行とは、うちの家族の趣味である釣り目的の旅行のことで、日帰りや軽い1泊が多い。
その時、いつも大荷物になる。

夫は、釣りを楽しむための荷物は惜しまない。
使うかもしれないもの、
あったほうが楽しめそうなもの、
自分が使いたくなるかもしれないもの…
全部持っていく。

理由は旅行を全力で楽しむためだ。
あーあれを持ってこれば・・・なんて思いは絶対にしたくない。
もれなく楽しむ。
そのためにもれなく持っていく。

以前ことのことを夫に指摘したことがあった。
けれど、本人は否定していた。
「そんなことないよ」「釣りのときだけだよ」
でも、今年の夏、初めてキャンプをしたときも同じだった。
楽しむため、使うかもしれないものは全部持っていこうと言っていた。
張り切って荷物を積めていた。

 持ちすぎないこと、
 できるだけ荷物は少なく、身軽でいること。
 それがスマートである。
私がみてきたビジネス本にはよくそう書かれていた。

しかし夫の行動は、真逆だ。
「可能性」はすべて持っていく。
そのせいで、荷物が多くなっても構わない。
たくさんの荷物を、車へ積み下ろしするのも苦ではない。

彼のこの考えは森博嗣さんに少し似ていた。

不要だと思っているものは捨てれば良い。
そうでもないものは持っているしかない。

本書に数枚、森さんの部屋の写真がのっているが、
趣味の鉄道模型・飛行機模型などでとても散らかっている。
森さんは片づけたり捨てるという選択肢は自分には有効でないと判断したそう。
どうしてもモノが増えてきたら、新しく倉庫を建てて収納場所を増やすというスタイルをとっている。

(まじか)

でも、たくさん持っていると、散らかっていると
動きづらくていらいらしそう。

いらいらの影響は?
僕はいらいらするけれど、いらいらしても悪い気分になるわけでもない

(えっ!?)

いらいらすることでどれくらい悪い事態に陥るのか
いらいらしても別段作業の進み具合には影響しない、という人もいるだろう。僕がそうである。いらいらするけれど、特にミスもしないし、作業が遅くなるわけでもない。いらいらすると疲れるかどうかも、それほど明確な差として感じたことはない。

むしろ少しいらいらしている方が、緊張感があって、作業に適しているのではないか、と思うことがある。
いらいらするの反対は、ゆったりする、のんびりするといったところだろう。
これは、作業に向かない状態ではないだろうか。

(かー!)

そんなこと考えたことなかった。
いらいらの負の効果まで疑う。

(すげぇ)

本とは、自分とは、逆をいく夫の行動を
批判的な目でみることもある私。
でもそういうことじゃないんだ。

普通は~とか、世間一般では~とか、
そういわれるものについ合わせて、同じようにしてしまう。
けれどそれが、自分に有効とは限らない。

自分のことは自分で判断して選びとっていく。
自分はこれでいいのかと考え、
自分はこれでいいのだと評価し進んでいく。

人生を自分で評価する

これは本書の後半にあって、私が泣きそうになった箇所だ。


自分で自分を評価する

「アンチ整理術」の結論はモノの整理整頓ではなく、気持ちの整理整頓をすすめている。

気持ちの整理整頓とは?

言葉で説明しても、全部は伝わらない。分かってもらえることなどほんの少しだ。
大部分は誤解される、と考えて良いだろう。

わかってもらえない、自分は誤解されている。どうすれば良いのか、と悩む。だがそれが普通である。
言葉で話しても、理解者が大勢いても、結局はほんの僅かに割合が一時的に変わるだけのことで、基本的には、自分は自分。誰にも分かってもらえなくても、自分はわかっている自分が知っている自分が一番本物だし、その評価を自分ですれば、それで良い。
これがつまり、気持ちの整理整頓というものだろう。

あぁ、そうだ。
自分が一番よくわかっている。

最近、仕事が退屈なことで悩んでいたとき、
乗り越えられたのは森さんのこの考えだった。


関連記事>>>

してもいいし、しなくてもいい「やりがいのある仕事という幻想」

人生は一度きりであり、その人生を自分で評価することが前提である。
何故かというと、自分の行為を一番よく見ているのは自分だからである。最初からすべて見ていた。ずっと細かいことまで経緯を知っている。自分は、自分の脇にいつもついていてくれる神様みたいな存在である。どんなに親密な理解者でも、すべてを知っているわけではない。自分の気持ちまでは誰にもわからない。

行いの結果だけを評価され、褒められたとしても、本当はこうなんだと、という部分が必ず残るだろう。他者に褒められるより、自分に褒められる方がどれだけ嬉しいか。最も的確な評価をしてくれるのは、いつも自分だから、なにごとも自分のやめに行う、というのが正しいと僕は考えている。

そう、
自分はすべて知っている。

やりがいを本気で求めて転職したこと。
仕事が退屈でもあまりショックではないこと。
それがなんだかショックなこと。
「してもいいし、しなくてもいい」のブログ記事がうまく書けた気がして
車の中でひとり、大喜びしたこと。

こんな複雑な気持ち、たぶん誰にも分からない。
でも自分は分かっている。

私は今、これでいいのだ。

今週の記事はここまでです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
私のブログはnote以外で下記にて毎週月曜に更新しています。
https://ykakizoeblog.com/
ちらっと覗いていただけたら嬉しいです。

ブログ記事一覧はコチラ>>>>>

ではっ

いいなと思ったら応援しよう!

y.kakizoe
次回も読みたいかも・・・そう思ってくださったあなた様! サポートお願いします! 書籍の購入と感想文noteアップに繋げます! 感想文をより楽しく~~

この記事が参加している募集