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2. SNSをやめる恐怖…やめた人が書いた記事に励まされる!

こんにちは。
Instagramをやめる決意を固めつつあるかきつばたです〜!

▪️冒頭から結論

いきなり元気いっぱい、結論言わせてください!笑

「SNSやめて人生取り戻した系の記事を書いてくださってる皆様、本当にありがとうございます!今の私の勇気の源です!!」
(前のめり)

私はSNSに限らず、「依存症」と名のつくものにハマりやすい残念な脳の持ち主。

心境がどう変化していったか記録することは自分を見つめることにもなるし、同じように苦しむ人達の助けにもなれるかもしれない。
そう思い、私も記録します!

私自身この数ヶ月間、Instagram・X・Facebookといった類のSNSをやめた人達が書いてくれた記事を読み漁り、「未来の自分もこうなれるんだ!」と心の支えにしています。

心が弱って、やっぱりやめるのが怖い…となった時、とても励まされています。
本当にありがとうございます!!

なんていうか、自助グループの存在があるとしたら、もしかしてこの感覚なんだろうか。。

みなさん、SNSをやめて「自分に集中できるようになった」と口を揃える。
なんだか私も、まだ数日なのにこの感覚が出てきてるんだよね。人に見せようという視点の排除された世界。
本来ならこれが人類の通常モードだ。
自分がいかに「つながり孤独」「人に見せる自分」に苦しめられていたのか痛感している。

▪️ワタシのSNS遍歴

私はこれまで、SNSというものが世の中に出始めてからというもの、mixi、Facebook、Twitter、Instagram…(noteもこのアカウントより前にも実はやっていた)全てひと通りどハマりしてきた。
今はインスタとFacebook以外は全て閉鎖している。
あれだけ病んで居場所にしていたTwitterをやめられたんだから、なんだってやめられると思う。

ちなみに実はインスタは過去に一度同じように悩み、アカウントを削除したという過去がある。
けれど友人の勧めで再度作り直し…今また同じ状況。
前科者。再犯。
はっきり分かった。

私、SNS向いてない!!(爆)

ほどほどに付き合うことができない。
「うまく付き合っていきましょう」系の記事も山ほど読んでこれまで実践してきたけど、私にはどれもダメだった。

なので、アルコール依存症の人が一滴もお酒を飲まない断酒をするのと同じで、私の場合は、SNSは「距離を取る」のではなく「元から無くす」方が良いようです。

▪️私の場合の主な弊害「つながり孤独」と「承認欲求」

インスタでは、自分自身を認めてほしい・自己表現したい…つまり承認欲求や自己顕示欲に苦しめられてしまう。
その投稿作りに関わる写真、文章、反応…どれもが時間をかけ過ぎる。反応が気になる。

友達がリアルで友人同士との深い繋がりを持ってる姿にも、自分の孤独が可視化されたようでしんどかった。
家庭を持ち、地元からは少し距離がある。
10代や20代の頃の仲間と離れたくない気持ちがずっとある。
それなのに、SNSではつながり過ぎて、リアルの薄さに苦しむ。リアルでも別に本質的には孤独じゃないのに、さも孤独のように感じてしまう。
書いていて、自分でも馬鹿馬鹿しくなってくる。(書くことの効能)笑

他者との比較があるとしたら、私はこのつながりの孤独感一点のみだったので、その点は幸いだったかもしれない。
友人の成功やライフイベントは素直に幸せな気持ちになれる。
旅行記を見るのは特に好きだ。価値観の近い、慣れた旅の仕方をする友人が多いからとても楽しい。
なので、その類の投稿に対して自慢とかマウントとかいう感覚にはほぼならない。自分が惨めになることもない。
これはラッキーなことだった。
だからこそ続けてしまうというのもあるのかもしれないけどね。

▪️違和感が大きくなっていく友人の存在



ただし、例外はある。
まず、友人本人に全く興味が持てなくなった場合や、そもそもたいして面白くない投稿内容だったり…投稿に興味を持ちにくい人も中にはいた。
申し訳ないけど…
切れても差し支えない縁というものはある。それは大人なら皆知っていることなんだ。。

それと、また別件で、攻撃的なマウントだな…と感じる投稿がなされる事も時にはあった。
きっと特定の人に向けた批判ではなく、なんとなくの仮想敵がその人の中にはいるのだろう。

ただそういった主張はその人の自己顕示欲に他ならず、満たされない、認めてほしくてたまらない叫びなんだと逆にハッキリ思う。
何か不満に思うことがなければ取らない行動のように思う。
でもね、やっぱり、そういう投稿をする人なんだな…と少なくとも私は認識するし、リアルで会った時のちょっとした違和感の原因ってこの辺にあったんだなと逆に可視化された気がしてしまう。

しかし残念で恥ずかしい告白をするならば、それはかつての私の姿なのだ!
だからこそ、なんだかその状態の人の内面世界が手に取るようにわかる気がしてしまうのだ。

攻撃的とは何か反省し、己を知ったことで、攻撃的な人と一緒にいて楽しめる自分ではなくなってきた気がしている。

時間が経てば、友人も自分も少しづつ変わっていくし、元々あったズレが大きくなっていくものなのだと実感している。
0.99の毎日か、1.01の毎日か。
私は0.01でも進歩を重ねる大人でいたい。

▪️SNSから少し離れた今の心境まとめ

note以外のSNSのない数日間を過ごし、心に余裕が生まれてきた感じがする。
雑音の少ない生活。

でも、全然寂しくないの。
なんでだろう!?

SNSから距離を取ったら、寂しさが薄れた

これからはもっとリアルで会う人を大事にしよう。
過去に囚われ過ぎず今を味わい、これからを楽しみに生きていける。
大丈夫。
大好きだった人がいなくなっても、たくさんの昔からの仲間たちを毎日眺めなくても。

SNSがなくても、いや、ないからこそ、私は私の人生を、目一杯生きていけるんだ。

心の底からそんな自分、そんな環境を作っていける気がちょっとしてきた。
そんな清々しい心境。

繰り返すけど、たくさんの、SNSをやめた人達の記事に今は支えられています。

(noteもSNSだけどね)
という心の声もあるんだけど。。
インスタやXとは明らかにベクトルが違うのと、私自身noteのスキの数にはメンタルはあまり左右されていないので、noteは続けてみようと思います。
なにより、noteにあるSNSから距離を取った系記事に支えられておりますから(泣)
自己表現が好きな人たちだからSNSにのめり込みやすいってのはあるんだよね。笑

まとまらないけど、今日はこんなとこで。
この記事を読んでくださったみなさま。本当にありがとう。

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