【SNS断ち】SNS全辞めして1ヶ月。今、全人類に伝えたいこと①
どもども〜コンニチワ、かきつばたです。
Instagramのアカウント削除の手続きから遂に一ヶ月が経過し、アカウントが正式に削除されました。
ワー!!🙌🏻オメデトー!!
ワタシ、スゴイ!!!!
併せて、Facebookもアカウント休止措置を取り、実質閉鎖状態に。(アカウント自体は残っているけれど人には表示されず、検索されてもヒットしない状態。他人から見るとアカウントが消えたのと同じ扱いです)
Xは数年前に卒業済みだし、大昔のmixiだとかのアカウントも2年前に退会処分で始末してある。
先月は想定外のPinterest問題も解決し、アカウント削除完了済み。
本気で、SNSをひとつもやってない現代人になった!!
(noteもSNSだけど、狭義のSNS・広義のSNSの区分けでは広義の方に入ると考えてます)
ということで、これまでの道のりと現在の心境、SNSがなくなって起きた事を何度かに渡って綴っていこうと思う。
ってか先に結論を言わせてくれ!!
全人類よ、今すぐSNSへの接触時間を減らそう。
スマホの中にある繋がりは、ただの孤独製造機だ。
▪️狭義のSNS・広義のSNSの違いをまずは定義させてくれ
今回私が「SNS」と呼ぶものは、ワタシの勝手な定義では【狭義のSNS】である。
【狭義のSNS】
Instagram・Facebook・X(旧Twitter)・TikTok等々
【広義のSNS】
LINE・note・YouTube等々
まぁだいたい分かるわね?(雑な説明)
前者は個人間の繋がりや日常のひとコマを簡単に発信でき、それらを重視している設計。社会不安を煽る要素や依存性をあからさまに持たせた仕様のもの。
後者はほぼ連絡帳だったり、「ブログ」要素の大きなものだったり。個人同士の繋がりと言っても、気軽な日常の発信という類はあまりない。
YouTubeは次々動画再生される仕様や煽りっぽいテロップやタイトルは問題だけど、テレビやネトフリと一緒と考えて今回は広義に含めます。
発信内容の質も前者と後者では少々違う事は、note民の皆様ならご存知かと…。
なので細かい説明は省く。
▪️【狭義のSNS】がもたらす破壊
承認欲求、リア充アピール、正義警察、メンヘラ…
リアルな友人との繋がり過ぎ・なんでも心の声ダダ漏れ・ネガティヴなニュースフィード・バズり炎上狙いの不快なテロ。
挙げ始めればキリがない。
(そう考えると、Yahooニュースあたりのコメント欄とかもこの手の部類かもしれないね)
Twitterなんかは、例えばツイッタ民の声は「賢い我々」という選民意識すら感じさせます。。
つまり、質が悪いの。
使い方と使う人次第なんでしょうけど。
(それは言うな)
良い使い方をすればいいだけ。
しかしそうもいかないのが人間。
というのも、そんな賢く使えるように設計されていないのが狭義のSNSの特徴だから。
依存性をわざと持たせている事は常識かと思う。
その依存から結果的に生じる弊害が大きいことも、現代人はもうすでに知ってるんだよね。
他者との社会的比較、繋がり孤独、広告での無駄買い、他者評価に絶えず晒されて自己を失う事。
つまり、【人類が根源的に持つ不安】…社会的に繋がり理解されポジションを確保しておきたい欲求の反動としての「孤独や焦燥感」、比較から生まれる「自己肯定感の低下」
そういった「社会性の動物」である人類の根源的な生存本能に関わるテーマを必要以上に可視化し、不安な感情を助長する仕組みが、狭義のSNSにははっきりと内在しているのだと私は考えています。
それともうひとつ、【孤独感との付き合い方】が下手になる事象も弊害としてあります。
「誰かに、この気持ちをシェアしたい。共感してくれる人がいたらどんなに救われるだろう」
理解を求め、人を求め、そのせいで余計に他者からのリアクションの有無で自滅していく部類の人もいると思っています。
いわゆるメンヘラ気質の人は特に。
(あー、つまりワタクシ)
この辺はおいおい整理して章立てして、まとまった文章にできたらいいな。
かきつばた、結構この辺本気で考えたい事柄なんす。(今日は真面目)
これからの人類の友であり敵でもある存在、それはテクノロジーが生む行動嗜癖なんじゃないかとマジで思う。
イイネがくれるドーパミン。
スワイプすれば何か新しいことが出てくるシステム。
それらを無意識に求めて、日に何度もSNSをチェックしてる…現代人。
▪️【広義のSNS】なら人により無害な気もしてる
例えば、SNSとされてるLINEは、使い方によってはたしかにSNS。
しかしながら実際のところは連絡帳としてしか機能してない人の方が多いと思う。
(グループLINEとかは若干面倒な事があったりなかったりだけども)
noteもSNSだけど、これはほぼブログと同じ気がしている。
スキはつまりイイねだけども、私にとってはただ己の書きたい事を書き、世の中にもっと広まると嬉しいと思う事を純粋に発信し、他者の言いたい事に耳を傾けてみる時間。
誰かの誹謗中傷や嘲笑の声、被害妄想的な怒りなんかでタイムラインが汚染されていることもない。
つまりここは、建設的で穏やかで愛のある空間なのだ。
(ノーターの皆様!!愛してるよ!!!!)
リアルの充実度やら、その他諸々の社会的比較だとかに晒される事はあんまりない。
自己顕示欲については、まぁあるっちゃあるけどね。笑
ま、人によるんでしょう。笑
(いや、だからそれは言うな)
youtubeには強烈な時間泥棒システムは存在するものの、自分で発信してる人は少数派だし、情報収集ツールとして使う分には特に問題ない。テレビと一緒な気がしてます。
(いつまでもダラ見する話は今に始まったことじゃない)
▪️テクノロジーが生んだ『行動嗜癖』とスクリーンタイム
ねぇねぇ、今日のかきつばた、ちょっと真面目じゃん?
いやー、だってびっくりなんよ。
SNS辞めて、スマホの使い過ぎに辟易してスマホを遠ざけたら、1日の使用時間が1時間を切るようになったんよ!!
その内訳も結構仕事で使ったのがほとんどの日も多くて。(かきつばたはフリーランスなんです)
恥を忍んで言うけど、それまでは孤独感に苛まれながら1日4時間とか余裕で使ってた。
3時間の差、半端ないでしょ。
劇的ビフォーアフター!!!!!
まじで、人生変わった。
一体何してスマホ見続けてたんだろうね。完全に「スマホをいじりたいという行動嗜癖」なんだよねコレは。
行動嗜癖についてもちゃんと論じていきたいけど、専門家の人たちが色々本書いてるから興味ある方はそういうの読んで頂けるといい気がする。
私はこの本読んだよ。
で、3時間の時間ができるようになって変わった事を次に述べますね〜。
なんせ1日のうちの3時間。
マジでデカ過ぎる。
▪️1日3時間が浮くようになって変わったワタシ、箇条書き
変化が多過ぎるから箇条書きで行く。
●読書をするようになった
●noteを書く時間を「無駄にスマホいじりする時間」の認識から「趣味の時間」の意識や楽しみに変えられた
●掃除の頻度が上がり家が綺麗になった
●ランニングに行く回数が増えた
●生活に追われる感覚や、夕飯を作るのが遅い事を家族に無言で責められてそうな感覚が減った→やるべき事を優先的に余裕を持ってこなせている感覚の産物
●「やるべき事をきちんとやる人間だ」という自己認識になりセルフイメージが向上した
●鏡で自分の体型をチェックする事が増えた→アイスを食べるのを控えるようになった→筋トレランニング等でスタイルが少し良くなった!
●寝るのが早くなった(食欲コントロールにも影響あり)
●友人の存在が近過ぎた事に気付いた→繋がり孤独の正体
●メンタルが揺らいだ時に弱音を簡単に吐いていた場所がなくなり、人から見える私の姿に圧倒的な変化が起きているであろう事を確信した→悪い波動に集まる人が減っていく気がする
特に最後のふたつ。
これはInstagramというリア充系のSNSを辞めたからこそ得られたもの。
傷ついたとき、孤独なとき、、、
一人でやり過ごすのがとにかく上手くなった。
ひとりで内向きだけど、孤独と友達になり、飼い慣らせるようになってきた自分を肯定する自分がいる。
『心の強い人とは落ち込まない人ではなく、弱っている時に一人でうまくやり過ごせる人のことだ』という名言を心の支えにしているうち、
あれだけ依存して疲弊し切っていた私でも、インスタのアカウントを復活させたいとは1ミリも思わなくなった。
▪️SNSを辞めて、私は自分の人生を取り戻した
SNSには、体温がない。
リアルタイムの双方向のコミュニケーションではないから。
ただ投げたいボールを投げ、時に思ってもいなかったデッドボールを受ける。
もちろん大多数はそこまでじゃないわけだけど、ただ勝手にボールが行き交っているだけ。そこに、本当のコミニュケーションは存在していないと私は考える。
それこそが、孤独が加速したり、思ってもいない執着が生じたり(ネットストーカー的なやつとかね)、リアルでの付き合いが下手になっていく原因なのではなかろうか。
…長くなってきたから今日はこの辺にしとく。笑
もっともっと書きたい事がいっぱいある。
noteもSNSだという矛盾もあるけれど、キラキラな生活を互いに見せびらかしたり、誰かの陰口を言ったり、無駄に広告や動画が流れ続けたり…
幸いそういう場所ではないからね!(^。^)
私は楽しく続けていきたい。
(投げたいボールを投げてるってのはまぁそうなんだけど。言葉を尽くせるから良い)
人との距離が近過ぎたり、かえって孤独になったり、そういう「20年前には無かった苦悩」に苛まれてる事にも無自覚になっていた私。
テクノロジー自体は悪ではない。
けれど、仕組まれたドーパミンシステムには抗っていきたい。
今の私が、私は好きだ。