【演劇】リタの教育(ポウジュ公演)を観て
2025年1月13日(月・祝)、シアター風姿花伝にて鑑賞したポウジュ第1回公演『リタの教育』の記録を残します。(『オレアナ』も同時上演されました。)
『リタの教育』は、イギリスの劇作家、ウィリー・ラッセル(1947〜)の作品です。
■あらすじ
■感想
湯川ひなさんと大石継太さんの二人芝居でした。上演時間は、2時間35分(休憩15分含む)でした。以下、感想です。
(1)他の作品との比較(!?)
リタは「労働者階級」です。イギリスは階級社会と言われますが、舞台上の世界にも反映されていました。
自由奔放なリタに、フランクが文芸批評のレポートを課するなど、フランクはリタに「教育」の場を提供していきます。こうした「教える側の年長の男性」と「教わる(学ぶ、成長していく)女性」という構図は、『マイ・フェア・レディ』や『ピグマリオン』、はたまた『源氏物語』などにもみられます。この構図がよいかどうかは別にして、他作品との比較などが出来れば、面白いでしょう。ただ、私は比較出来るまでには各作品を十分に鑑賞しきれていないので、この場では控えます。
1点記載すると、今回の『リタの教育』で、フランクは、詩人になり損なった大学教授で、酒に溺れています。完璧な人間ではありません。「悲壮感」という言葉も使われていました。
私は、作品の前半から少し感傷的な気持ちになり、後半やラストに向けて2人の関係が「悲劇的」になるのか「喜劇的」になるのか、考えながら鑑賞しました。「ほろ苦い」感じがする作品でした。
(2)「教育」について
フランクがリタに、文芸批評の指導をしますが、彼のアドバイスの中で、私自身、身につまされる部分が何点かありました。
例えば、リタの最初のレポートについて、「あらすじをなぞるだけでは、駄目だ。」といったようなことを言っていました。自分で考え、発見し、自分の言葉で書いていく。難しいところです。(こうして、noteに記事を書く中でも、考えさせられる面があります。)
他方、古典や権威のある人の言葉を引用するなど、「教育」とは、1つの型に嵌めることなのか、考えさせられる部分もありました。間をとって、お互いの共通認識やこれまでの文脈を踏まえた上で、議論というものは成り立つのか考えたりもしました。
私は、「教育学」や「教育の過程論」に詳しくはないのですが、いつか自分が受けてきた「教育」というものについて、考えてみたいと思います。「教育」の目的などを考えるのも面白そうです。(劇中でも、「そんなことのために、学んできたのか!違うんじゃないか。」といったニュアンスのくだりもありました。)
(3)2人の会話を通して
フランクとリタの会話中に、チェーホフや、アメリカの詩人の名前が出て来たり、韻を踏むことについての用語が出て来たりしました。私は、詩の分野に詳しくないこともあり、チェーホフぐらいしか覚えていなくて残念です!
どういった作品や作者が劇中に出てくるのか、知ることが出来れば、もっと作品を面白く観ることが出来るように思います。出来れば、一川華さんの新訳で戯曲を読んでみたいのですが、これまでの訳の本が図書館に置いてあるようなので、そちらを借りて読んでみたいと思います。(『オレアナ』も図書館にあるようでした。)
文学作品について楽しく会話する2人の姿から、私の心も晴れ晴れし、世界が少し広がるような感じがしました。新しく知ることは楽しいです。
(4)最後に
冒頭の画像は、「お酒」で検索し、海原 なぎ🌕魔女の大釡さんの作品を使用させて頂きました。ありがとうございました!
■公演概要
作:『オレアナ』デヴィッド・マメット、
『リタの教育』ウィリー・ラッセル翻訳:一川華
演出:稲葉賀恵
出演:湯川ひな、大石継太
公演日 :2025/1/11(土)~1/19(日)
会場 :東京・シアター風姿花伝
『オレアナ』の感想記事も添付します(↓)。
本日は、以上です。