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【発表!】川崎市麻生区「3大がっかり」ロケーション
1 弘法松公園
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2月25日のnoteで取り上げました。
かつては麻生区の代表的観光名所でありました。
「弘法松」には、以下のような由来があります。
弘法大師が諸国を行脚していた折に、この地にお寺を建てようとしました。しかし、見渡したところ山々の谷は九十九谷で百谷に一つ足りませんでした。そこで弘法大師は、なぜか寺をあきらめ、そこに一本の松を植えました。それがのちに大きくなり、弘法松といわれるようになりました。
この地はかつての都築郡と橘樹郡の境界にあたる峠であり、津久井街道を行きかう旅人に、この巨松はよき道標でもありました。
その松も昭和三十一年の火難のため衰退し、その後枯死してしまいました。
(弘法松公園ホームページより)
肝心の「弘法松」がない、というガッカリ。
それももちろん大きいのですが、それだけではありません。
肝心の松がない、という点は、例えば「鶴亀松公園」も同じです。鶴松、亀松が名物だったのに、今はない。
「弘法松公園」の場合は、弘法大師の信用というか、霊験にケチをつけてる点が大きい。
そもそもは弘法大師のありがたさを表す、弘法伝説の1つだったはずですが、その松が枯死してしまったというのでは、弘法もたいしたことないな、という評価にしかならない。弘法様にもガッカリだ。
楽しみに公園に来た親子の会話を想像してみてください。
子「弘法大師って、偉かったの?」
父「そりゃあもうすごい人だったんだよ。頭がよくて、超能力者で、空を飛んだそうだよ。1200年前の人だけど、高野山の奥の院というところで、まだ生きているとも言われてるんだ」
子「ふーん、そんなすごい人が植えた松なのに、なんで枯れちゃったの?」
父「・・・デニーズ、行こか」
という会話になるでしょう。(公園の近くにデニーズがある)
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しかも、弘法大師がここに松を植えたという話が、よくわからない。「百谷」に1つ欠けているから寺を作らなかった、という意味がわからないし、寺を作らない代わりに松を植えた意味もわからない。
子「なんで弘法様は寺を建てないで松を植えたの?」
父「・・・とにかくデニーズ行こ。パフェでも空海、なんちって」
私が担当編集者なら、「作者」に文句を言って書き直してもらうでしょう。
ここが「都築郡と橘樹郡の境界にあたる峠だった」という点が、郷土史的には興味深いのですが、そういう興味が湧かない場合は、なんの印象も残さないのでは。
また、「九十九谷」の逸話は、このあたりの丘陵のかつての様子を、よく表していると思います。
戦後、片平に住んだ文芸評論家の河上徹太郎は、「都筑郡柿生村」という旧地名を愛した人でしたが、「都筑ヶ丘の風物」というエッセーにこう書いています。
実際百米(メートル)内外の高さの丘がこんなに無数に重なり合って渦を巻いた地形は珍しい。小高い所から見ると、それは雲海のようであり、又、人間の脳味噌の解剖図のようでもある。(講談社文芸文庫『都筑ヶ丘より』p64)
このエッセーが書かれた1954年(昭和29年)は、まだこのあたりが開発される前でした。弘法松も健在の頃です。
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小高い所から見た「人間の脳味噌のよう」な地形、谷が襞のように無数に刻まれた地形が、まさに弘法大師が見た「九十九谷」だったのでしょう。
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ここから眺めて、「なるほど、九十九谷ある」と思えた時代には、弘法松の逸話がまだ説得力を持ったのだと思います。というか、このあたりの特徴的な地形と弘法伝説を結びつけるための話だったのでしょう。(川崎といえば川崎大師だから、ここらにも伝説があってほしかった)
その「九十九谷」の地形は、いまや見る影もありません。そして弘法松が消失して、もう60年たっています。
見晴らしがよく、比較的広く、公園としてはいい公園なだけに、新しい売り出し方を考えてほしいところです。
(「九十九谷」の地形がもとだから、坂が多く、人びとがよく足を使う。そのため、人びとの健康寿命が伸びて、長寿日本1の地域になった。そこに、いまだ「弘法松」の霊験が現れているーーみたいな話はどうかな)
付論 「弘法松伝説」の真相考察
(「3大がっかり」の残りを先に知りたい人は飛ばしてください)
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上の記述と一部重なりますが、私の「弘法松伝説」の新解釈を書いておきます。
この弘法松伝説は、ずっと誤って解釈されてきたのではないでしょうか。
そもそもは、「松」が主役の話ではなかった可能性があります。
川崎大師にあるような伝説が、この地にも欲しい、というのが発端でしょう。
一方で、この見晴らしのいい場所を「名所」化したいとも思っていた。
ここから見渡せる地形は、河上が上の文章で「こんな地形は珍しい」と言っているように、わかりやすい特徴がありました。
だから、この場所に、次のような由緒を作った。
昔、ここに弘法大師が来て、谷が無数に走るような丘陵の光景に驚嘆した。
その光景を見事であると祝福し、記念にこの場所に松を植えた。
松は、もとからあったのか、この話のために植えたのかはわかりません。(橘樹郡と都筑郡の境界を示す実用的目的によって、以前から植えられていた、と考えるのが自然だと思う)
いずれにせよ、オリジナルはそんなシンプルな話だったのではないでしょうか。
そこから派生して、「谷が多い」を強調して「九十九谷」と言ったり(九十九=つくもは、数が多いたとえとして使われたのでしょう)、「本当は寺を作るつもりだった(あるいは寺があった)」といった話が加わったり、「尾ひれ」や「もったい」を後から付け加えるうちに、話が変わってきて「松」が主役の話のようになった。
しかし、「弘法大師が植えた松だから」と、松の「有り難み」を話の中心にすると、なぜ寺の代わりに、とか、話のつじつまがおかしくなる。
最終的に、弘法松伝説を説明するホームページ自体が「弘法大師は、なぜか寺をあきらめ、そこに一本の松を植えました」と、「なぜか」と言ってしまうほど、意味不明の話になった。
松が消失したあとは、上述のごとく弘法大師の評判まで落としている。
本来は、「松」ではなく、「九十九谷」の奇観が主役で、弘法大師がその光景を祝福したーーつまり、この地を寿ぎ、松を植えることでその風景を完成させた、という趣旨の伝説ではなかったかと思うのです。その方が話として筋がとおる。
だが、いずれにせよ、その「九十九谷」の光景は、開発によって永遠に失われました。
だから、仮に松が残っていたとしても、「九十九谷」の奇観がないと、この話は意味をなさないのです。
市も教育委員会も、松の消失には触れても、「九十九谷」の景観の消失にあえて詳しく触れないのは、大人の事情というか、忖度が働いたからでしょう。
仕方なく現在の弘法松公園は、「遠くの山(富士山とか)が見える」といった見晴らしを売り物にしているようですが、見晴らすべき「九十九谷」がないと、弘法松伝説との整合性がありません。「九十九谷」があっての「松」であり、それがなくなれば松の意味がないのですから。
私を含めて、現在多くの人が麻生区に住んでいるのは、開発のおかげです。だから仕方がないとはいえ、「九十九谷」がなくなったこと、それが実は、弘法松公園の「がっかり」の大元だと思うわけですね。
2 片平中町遺跡公園
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6月18日のnoteで取り上げたばかり。
せっかくの遺跡なのに、荒れ放題。案内板も汚くて読めない!
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この公園は、麻生区と町田市の境界近くにある。
辺境ギリギリにあるような公園は、管理がおざなりになりがちです。
今度取り上げようかと思っている恩廻公園とかも同じです。
なにか、責任の所在が曖昧になるのでしょうか。
子「遺跡があるって言ってたのに、どこにあるの?」
父「・・・息子よ、お前が聞いたのは幻だ」
3 王禅寺見晴し公園
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2月15日のnoteで取り上げました。
ここはとにかく、狭いんだよ!
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けっこう歩かされて、疲れ切っていても、安らぐところがない。
その日、天気がよくて、見晴らしがよければまだいいけれど、曇っていたりしたら、もう何の売り物もない。
それに、その見晴らしも、実際は、弘法松公園から見える景色とそんな変わらない。
遊具もないから、ベンチに先客がいたら、座ることもできず、もう帰るしかない。
子「お父さん、疲れたよ、つまんないよ、早く帰ろうよ」
父「わかった、わかった。泣くな、息子よ。デニーズがあるよ(よかった、ここも近くにデニーズがある)」
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<総評>
これらの公園は、気軽に利用するには決して悪い公園ではありません。
「弘法松」「遺跡」「見晴らし」といった、観光名所として期待させる言葉が入っているのが悪いのです。
実態とのギャップを小さくするため、
「弘法松<なんちゃって>公園」
「片平中町遺跡<荒れ放題>公園」
「王禅寺見晴らし<極狭>公園」
と改名すればいいと思います。
今回の選定は暫定です。
たまたま3つとも公園でしたが、公園に限るわけではありません。
随時、見直して、今後も最新の「麻生区3大がっかり」を発表してまいります。
提供:麻生区がっかり選定委員会
<参考>
川崎・横浜の地理と歴史を要約する
街登山のすすめ
麻生の公園完全制覇1 向原の森公園
麻生の公園完全制覇2 美山台公園
麻生の公園完全制覇3 むじなが池公園
麻生の公園完全制覇4 鶴亀松公園
河上徹太郎と柿生