「排除アート」の思い出
1週間ほど前、新宿区の「意地悪ベンチ」が話題になった。
賛否が分かれているのは、公園内にあるベンチです。背もたれはありませんし、座る面がアーチ状になっています。一風変わった形状のこちらのベンチが、SNSで注目を集めています。
Xから
「ホームレスが寝ないためでは?」
「『座るな』の意思表示がすごい」
ホームレスの人などが横になれないように、あえて居心地の悪いデザインにしているのではないかと批判の声が出ているのです。
ホームレスの人への支援活動をしている団体、自立生活サポートセンター・もやいは「このようなベンチを設置することが、ホームレスの人への排除的メッセージになったり、圧力になることを懸念しています」
(3月28日 テレ朝ニュース)
岩波書店のXアカウントも反応していた。
新宿区の「排除ベンチ」が話題です。排除ベンチの問題点については、本書で詳しく論じています。 五十嵐太郎『誰のための排除アート?』☞ https://iwnm.jp/271064
この「排除アート」について、私にも思い出があるのだが、なかなか書きにくい話だな、と思った。
いろいろ反感や反発を呼びそうで・・。
でも、話題のほとぼりも冷めたようなので、やはり書いておこうと思う。
30年前の「臭い」
「排除アート」という言葉は比較的新しいと思うが、その典型としてよく紹介される新宿西口地下のこれ(↓)が出来たときのことは、よく覚えている。
私の認識では、この「排除アート」が出来たのは1990年代の後半で、1995年から96年にかけての、いわゆる「新宿段ボール村」の出現がきっかけだった。
バブル崩壊で急増したホームレスたちが、雨風をしのげる新宿駅西口地下に集まっていた。その数は200とも300とも言われた。
駅地下を住みかとしたホームレス&支援者たちと、それを排除しようとする石原慎太郎知事率いる東京都とのあいだで、1年以上「闘争」していた。
私は当時、サラリーマンで、東京都下から新宿まで私鉄で来て、新宿西口地下をとおり、地下鉄千代田線に乗り換えて、大手町のほうに通勤していた。
ちょうどオウム真理教の地下鉄サリン事件の頃である。千代田線も被害にあったから、通勤時間がずれていたら私も危なかった。
そのように、私は毎日、新宿駅西口をとおっていたから、毎日、ホームレスの集団と遭遇していた。
とくに、千代田線に向かう商店街の入り口付近に、ホームレスが密集していたから、そのあたりでは、ほとんどホームレスの段ボール住居のなかを歩くような感じだった。
30年前は、携帯やPHSが普及し始めた時代。もちろんスマホはなく、私は携帯も持っていなかった。やっとウィンドウズ95で人びとがPCを触り出したころである。もしスマホがあれば、あの異様な光景を写真に撮っていたのだが。
そこで一番に思い出すのはーーここが書きにくいところだがーーその臭いである。
ホームレスが200人規模で集まった、その一帯の悪臭は、とんでもなくひどかった!
あの臭いだけは、いまも鼻の奥底に残っている・・
われわれはただの通行人で、通過するだけだから、まだいい。
しかし、そこは商店街の入り口で、飲み物、食べ物を扱うお店に面していた。
とても商売にならなかったと思う。
だが、世間にはホームレスたちへの同情論があり、お店も何も言えなかったのではないか。
困惑した顔で、店の外のホームレスたちを眺めている店員の顔を、いまもなんとなく憶えている。そのころ、毎日のように、その顔と会っていたから。
ホームレスの人たちへの同情は、私にもあるが、あの場では正直なところ、お店の人たちへの同情のほうが強く、怒りを感じていた。
*
そのホームレスたちが排除されて、そのあとに、二度とホームレスをそこに居留させないように、有名な「排除アート」ができた。
その排除アートの残酷な形状にも、私はショックを受けた。
しかし、私の脳裏では、排除アートの残酷さと、あの集団ホームレスの悪臭とが、あるバランスをとったのも事実である。
*
これは、私にとって、居心地の悪い記憶ではあるが、教訓になった。
メディアは「弱者」を類型化しがちだ。
いや、メディアだけでなく、われわれは一般に「弱者」を固定観念で考える。
孤独なホームレスの姿を見れば、それは紛れもなく「弱者」であり、同情心を呼び起こす。
しかし、それが200人、300人集まれば、別の何かになる。
その異様な情景を、メディアが伝えることはほとんどない。
まして、あの「臭い」は伝えられない。
それを日常的に経験する人びとの思いも。
抽象的な「弱者への同情心」が吹っ飛ぶような現場がある。
それは、ホームレス問題にかかわらず、移民問題その他にもあるだろう。
余談:「新宿西口」ルポ
私は最近、たまたま新宿を久しぶりに訪れた。
「排除ベンチ」が話題になる2週間ほど前だ。
「排除」といえば、例の「トー横」の人々も排除されていたね。
新宿は、白人とアジア人のインバウンドにあふれていた。
そんななかにも、ホームレスの人たちはいた。
西口も懐かしく歩いた。
話には聞いていたが、小田急百貨店ビルがない光景が、まず変!
西口地下に降りて、思い出の千代田線商店街も歩いたが、ここにはホームレスの姿はなかった。
お店はずいぶん変わったが、あのとき「被害」にあったお店はまだ営業していて、よかったと思った。
「排除アート」も姿を消していた。あのあたり一帯が工事中で、白い壁におおわれていた。
動く歩道に乗って都庁のほうにいくと、都庁の職員入口のあたりにホームレスが複数いた。
都庁や都知事へのあてつけのようになっていて、ここが彼らの「正しい位置」だと感じる。お店なんかの邪魔にならないからね。
迷惑をかけるとすれば、都庁職員にかけるべきだ。まあ責任があるだろうから。ホームレスの横をとおって、職員が都庁に吸い込まれていた。
私は都庁が嫌いだ。あの威圧的な姿が。
1970年代の、都庁ができる前の新宿から知っているが、都庁のあの昆虫の巣のような、気色悪い建物を最初に見たショックが忘れられず、いまも慣れない。
なんであんな建物にしたのかね。
私に言わせれば、これがいちばん「排除アート」っぽい。
それから、新宿中央公園に行った。
ずいぶんとこぎれいになっていたので驚いた。
あの「のぞきのメッカ」が、近隣のマダムが子犬を連れて散歩するようなこじゃれた公園に変身していた。
ここにもホームレスはいたが、一般市民とうまく棲み分けているようだった。
ここならトイレもあるし、体を洗うこともできる。
以前、この新宿中央公園を住みかにするホームレスのYouTube番組を見て、その感想を記事にしたことがある。自由で、居心地がよさそうだった。
30年前の、あのときの情景から考えると、平和になったなあ、と思った。
<参考>
新宿中央公園のホームレスの話↓