「ヨシヨシ化」の果て お気持ちに寄り添う甘やかし社会
「ヨシヨシ化」とは何か
「ヨシヨシ化」は、白饅頭(別名・御田寺 圭)さんの造語らしい。
白饅頭さんのXで「ヨシヨシ化」という言葉を見たとき、
「これはいい表現だ! この白饅頭はウマい! 才能ある! このヨシヨシ化という言葉は流行る! ヨシ! 書籍化決定だ!」
と思った。
元編集者の直感である。
ただ、Xから誘導された、白饅頭さんのnote記事は、有料なので、貧乏人の私は読めなかった。
白饅頭「ヨシヨシ化する世界の果てに」(note 10月15日)
だから、「ヨシヨシ化」が正確にどういう意味か、知らずに過ごした。
数日間、「ヨシヨシ化」の意味をいろいろ想像して楽しんでいた。
その後、ありがたいことに、プレジデントオンラインで、ご本人による「ヨシヨシ化」の無料記事が出た。
それを読むと、「ヨシヨシ化」の意味は、私の想像と重なってはいたが、同じではなかった。
白饅頭(御田寺 圭)さんは、東京新聞の望月衣塑子的な女にたいする、インテリ高齢男の「見下しまじりの甘やかし」のことを主に言っている。
とりわけ文化人や知識人などに位置するインテリ系の男性には、客観的にはどう好意的に解釈してもヒステリックに盾突いているだけに見える人物をさえ、やれ聡明だの利発だの男まさりだのとおだてて「かわいがる」のを是とする風潮があった(あった、というか現在進行形であるのだが)。ようするに、吠えかかる仔犬を「ヨシヨシ、そんなに吠えて可愛い奴よのお」と余裕しゃくしゃくにあやすような、そういうしぐさである。
「ヨシヨシ」しぐさをすることが「女性に対しても寛容で、女性だからといって話を聞かないような頑迷な保守的態度からは訣別した、次世代のリベラルでスマートな男性のあるべき姿である」といった評価でもって持て囃されていた。そして彼らはその当時の時代精神を今日もそのまま温存して実践するお年寄りとして世間の各所に君臨している。
「聡明な女性だから叩かれるんだよ」男女平等を装って実は見下している…"ヨシヨシ爺さん"の罪深さ(御田寺 圭 プレジデントオンライン10月20日)
なるほど、こういう「ヨシヨシ爺さん」は、たしかにマスコミの役員に多かった。望月衣塑子が甘やかされている現場が目に浮かぶ。
それでなくても、今の時代は、職場の怠慢な女社員を上司が叱ると、
「仕事しろとか上司が怒鳴る! パワハラです!」
と役員に内部通報する。
すると、ヨシヨシ役員は、
「おお、仕事しろとか言って悪かった、ヨシヨシ」
と告発された「上司」のクビを喜んで飛ばす。
オモテでは「暴言」を取り締まり、裏では「讒謗(ざんぼう)」「讒言(ざんげん)」やり放題の時代だ。
まあ役員としては、ほかのマスコミにたれこまれ、「あの会社は人権侵害のブラックだあ」とか言われたら、面倒だしね。
そんなことだから、コトナカレの管理職ばかりになり、モラールは崩壊し、現場は左翼活動家のやりたい放題になる。
(いくらボクが「偏向なしでやりましょうよ」と言っても、「現場の左翼さまの言うとおりにしろ」「とにかく安倍晋三を叩けばいいんだ」「ジャニーズと創価をほめればいいんだ」みたいに上から言われる。「そんなことしてたら、いつか山がつく名前の男に安倍さん殺され、ジャニー喜多川が少年レイプし放題ですよ」といくらボクが言っても聞いてくれなかったんだ・・)
ということはこれまで何度も書いてきた。
日本は総「ヨシヨシ化」している
だから、白饅頭さん的な意味での「ヨシヨシ化」は、たいへんよくわかる。
だけど、不満がある。
せっかく「ヨシヨシ化」という言葉を使うなら、「爺さん」に限定せず、もっと広い意味で使いたい。
私が編集者だったら、そう提案する。
「余裕しゃくしゃくの爺さん」だけではない。人びとは事実上、お互いにヨシヨシするのを強いられている。
今は、社会全体が「ヨシヨシ化」している。
みんながヨシヨシを求め、ヨシヨシとあやされて当然と思っている。
ヨシヨシ化社会の時代である。と打ち出したい。これは売れまっせ。
「ヨシヨシ化」という言葉を聞いて、
「たぶん、こんなことが言われているのだろう」
と私が想像した内容を、以下に書き連ねる。
「ヨシヨシ化」という言葉を借りた、私の思考の暴走だ。
以下は暴言なので、閲覧は自己責任でお願いします。
【暴言1】
とにかく、
若い奴らは甘えてるんだ!
と最近、言いたくなるですよ。
私が若いとき、
「最近の若者は権利をはきちがえている」
とか年寄りに説教されると、
「早く死ねや」
と思ったものだが、私もそういう年寄りになるとは、人生何が起こるかわからない。
コミュ障とか、なんとか障害といえば、社会から引きこもっていいように考えている。
なんとか障害とか、なんとかハラスメントとか、そういう言葉をつくるから、若い奴が甘えるんだ。
むかしはそんな言葉はなかったから、甘えもなかった。
むかしは、身体に物理的な原因がなければ、病気かどうか疑わしいとされたんだ。それが、1990年代から流行った「なんとか障害 disorder」はほぼ自己申告で病気になる。不安神経症が不安障害とかになった。いわば「お気持ち次第」の病気、これも「お気持ち第一」の流れだ。
毒親とか、親の育て方が問題になることもなかった。いまは子供でもトラウマなんてドイツ語を知ってる。子供の被害者意識ばかり育てる、そういう考え方も、アダルトチルドレンとか言われはじめた1980年代以降、ここ最近の現象だ。
わたしのほとんどの不幸について、誰かのせいだと社会の権威者たちが認めてくれる。
社会で、人とまじわるのが好きで好きでたまらない、とかいう人間がいるのか。
なかにはいるかもしれないが、だいたい他人と会うのは、わずらわしくてイヤに決まっている。
人間関係に苦労しない人はいない。それでいえば、みんな「コミュ障」だ。
おれはミソジニー(女嫌い)どころではない、ミザントロープ(人間嫌い)だ。
人と会うのが大嫌いで、家族とすら話をしたくなかったから、ほんとは引きこもりたかった。
だが、当時は「コミュ障」とか「引きこもり」という言葉がなかったから、仕方なく社会に出て働いたのだ。
編集者や新聞記者をやったから、毎日のように人と会わざるを得ず、イヤでイヤで仕方なかった。
だけど、イヤなことをするからカネがもらえるんだと自分を納得させ、40年近く続けたんだ。最後まで、慣れるということはなかったよ。
その間で貯めたカネで、ようやく老後、引きこもることができている。
一日中、ちんちんいじってても、何も言われない!
それに飽きたら、朝から酒を飲み、ゲームにネットフリックス、これぞ最高の人生だ。
社会保険料も払い終わっている。あとは死ぬだけ。こんな気楽なことはない。
しかし、ここまで来るのに、職場で左翼にいじめられながら、40年間の奴隷働きが必要だった。
それなのに、最近の若い奴は、働きもせずに、いじめられもせずに、最初から引きこもったりするらしいじゃないか。なにが「コミュ障」だ。
これも「ヨシヨシ化」の弊害だ。甘いんだよ。
【暴言2】
セクハラ、パワハラなんて言葉ができたから、会社がつまらなくなった。
むかしの会社は、セクハラ、パワハラし放題、タバコも吸い放題、残業時間は酒を飲むやつも多かった。みんなで酒盛りして、これで温泉でもあれば熱海の旅館さながらだった。楽しかったぞお。
高度成長期の会社は、調度品も一般家庭より豪華だった。大企業になれば、革張りのソファとか、カラーテレビとか、水洗トイレとかあって、もう家に帰りたくなくなった。会社に泊まるやつも多かったんだ。
それがいまや、残業するな、早く家に帰れ、と管理職に追い出される。
セクハラもパワハラもできないなら、出世する意味なんかないじゃないか。給料はそれほどちがわず、ストレスだけがふえるんだから。
そんなことでは、会社がつまらなくなり、だれも出世したがらず、仕事のやる気がでず、経済パフォーマンスが悪くなるのは当たり前。そりゃGDPでドイツに抜かれる。
「ハラスメント」狩りを野放図にはびこらせたのも「ヨシヨシ化」の結果だ。
【暴言3】
同和教育で「差別が悪い」ということになり、その「差別」は、「差別されたと私が感じたら差別」みたいに定義された。
LGBTでも何でもそう。「私のお気持ち」次第だ。「あなたがどう思おうと、私が女と思えば女」と男が言う。
「お気持ち」が一番大事!
最高裁もそうだと言う。
「社会は、お前の気持ちなどと関係なく動いている」
「だから、我慢して社会に合わせてがんばれ」
とむかしは教育されたのに、いまは、
「社会は、お前のお気持ちに合わせて当然。ヨシヨシ」
「なに、社会が、お前のお気持ちを傷つけた? ヨシヨシ」
「お気持ちに合わせないなんて、けしからん。つるし上げよう。左翼マスコミにたれこもう。最高裁に訴えよう」
という世の中になった。
だから、世の中、甘ったればかりになった。
ちなみに、メディアで「お気持ち」という言葉は、むかしは皇族にしか使わなかった。
「お気持ち」で謝罪させるメディア
最近は「お気持ちを傷つけて申し訳ない」とだれかが謝罪してるニュースばかりだ。
おとといは、不登校児の親のお気持ちを傷つけたとして、滋賀の東近江市長が謝罪。
きのうは、料理が貧乏くさいといって四国人のお気持ちを傷つけたとして、秋田県知事が謝罪。
左翼の毎日系メディアが大喜びで伝えていた。
「私の言葉で傷ついたなら申し訳ない」不登校めぐる発言物議…東近江市長が初めて謝罪(MBS NEWS 10月24日)
「貧乏くさい」「うまくない」 秋田県知事が“四国地方”の料理をけなす発言 会見で謝罪「不快な思いをさせた」(TBS NEWS DIG 10月25日)
べつに「被害者」がいるわけではない。たいがいは想像上のだれかの「お気持ち」を根拠に、左翼メディアが言論の自由を取り締まる。
それを見ている庶民は、なんだかわからないが、偉い肩書の人が頭を下げるから、「ざまあみろ」と快い。
これも、万一だれかのお気持ちが傷つく前の、予防拘禁としての言論弾圧、「ヨシヨシ化」の一環だ。
「ヨシヨシ化」万歳(私が生きている間は)
まあ、真面目に言えば、「ヨシヨシ化」で、他人様のお気持ちに配慮して、世の中に「優しさ」があふれるのは、いいことだけどね。
私は、人に優しくするのはたいして好きではないが、人から優しくされるのは大好きだ。ヨシヨシしたくないが、ヨシヨシされたい。(私は他人様のお気持ちがわからないアスペとかいう障害だと思うんですよ)
最近の若者は優しい。私のような年寄りにも、たいがい優しくしてくれる。
オレが若い時は、年寄りを虐待してたからね。ジジイ死ね、ババア死ね、と。まあ、むかしの年寄りは早く死んでくれた。
優しいのはありがたい。
暴力、暴言、不同意性交がない世界の方がいい。
リベラルと左翼は、そういう方向に世界を誘導してきたわけで、その恩恵を私も受けていると思う。
私は息を吐くように悪口を吐かないと生きていけない障害なので、私の悪口の自由が制限されるのは迷惑だが、このnoteで毎朝吐き出させてもらえれば、今のところはナントカなる。
私が生きているあいだは、そのままどんどんヨシヨシ化してほしい。
でも、長期的には、「優しい世界」は滅びると思う。
世界は優しい人たちばかりではない。優しくない国に攻め込まれたら終わりだ。
優しさにつけ込み「優しさ」から搾取する人たちがいる。生活保護、アファーマティブアクション、難民救済。「優しい」制度があれば、必ずそれを悪用する奴が出てくる。
でも、そんなのは、人類史全体からはささいなことだ。
一番重要なこと。結局、優しいだけでは、人類はサバイバルできない、と思うんですね。
むかしは文化庁長官が「男は強姦する体力がないとダメだ」と言ってたんだぜ。
いまは「もてない男はオナニーしてろ」と上野千鶴子に言われて男がシュンとなる。子供がふえるわけがない。
野性を失った社会では、投資の動機となるケインズのいうアニマルスピリッツもしぼんでいく。
「生産」や「生存」を真剣に考えなくていいなら、優しい世界がいいに決まっている。のんびりした社会の、のんびりした時代だから、それが許されている。
だけど、われわれはまだ保育器のなかにいるわけでなく、一皮むけばワイルドな環境のなかにいる。
アマチュア人類学者として言わせていただければ、猿人からホモサピエンスに進化する700万年の過程で、1年間でも「優しい時代」があったら、われわれはいまここに存在しなかったと思いますよ。
まだ発見されない種も含めて、何百種も人類の仲間がいたはずだけど、ホモサピエンスにつながる種だけが生き残ったのは、われわれがいちばん優しかったからではないはずだ。
人類史でも「社会性」や「協調性」を強調する「優しい」解釈が流行っているけど、ネアンデルタール人やデニソワ人の跡がわれわれのゲノムに残っているのは、ホモサピエンスが彼らに優しくしたからだろうか。「優しさ」より、「強姦する体力」が関連していると考える方が自然だと思う・・
でも、まあ、将来のことは、だれにもわからない。
ヨシヨシ化で、どうなるか。結果が出るのが私の死後なら、どうなってもかまわない。
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