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【追悼】唐沢俊一 快楽亭ブラックの命を救ってくれた人

唐沢俊一さんが亡くなった。

サブカルチャーやカルト文化の評論家として知られるコラムニスト、唐沢俊一さんが24日、心臓発作のため死去した。66歳。
(産経新聞 9/30)


弟の唐沢なをきさんがXで報告した。

その文面がショッキングだった。


9月24日、唐沢俊一が心臓発作により自宅で亡くなりました。本日荼毘に付しまして葬儀は行いません。彼は俺に対して嘘、暴言、罵倒を繰り返してきて20年以上絶縁状態でした。晩年は金の無心も酷かったです。冷たく聞こえるかもしれませんがこの話はもうしたくないのでお悔やみの言葉はご遠慮願います。


実の弟がこのような言い方だったからか、亡くなった直後というのに、SNSで唐沢俊一さんは、けっこう悪口を言われている。

そんなに評判の悪い人だったのか、と驚いた。



私が唐沢さんで一番覚えているのは、2005年に、TBSで快楽亭ブラックが心臓発作で倒れた時、その場に居合わせて、命を助けた話だ。

当時、唐沢さんは、TBSラジオで「ブジオ!」というバラエティ番組のパーソナリティをやっていた。快楽亭はそこにゲストで来ていた。

「日記」に、その時のことを以下のようにつづっている。文中の「小林アナ」は、小林麻耶アナウンサーである。


快楽亭ブラック


一瞬、なにごとか、理解できなかった。あわてて調整室へ行くと、窓際の隅で快楽亭がうずくまるようにしている。声をかけたが、返事も出来ない状態でこっちを見た。最初、泣いているのかと思ったほど、顔が濡れている。すぐ、それが涙でなく汗だとわかり、わかったとたん、あ、これは心臓か? と思った。以前、芸能プロ時代末期に心臓発作で急死したTという男が、前日会ったとき、鼻の頭や額にびっしりと汗をかいていたのを思い出したからである。(中略)

小林アナがやってきて、すぐ快楽亭の脇に駆け寄り、
「大丈夫ですか?」
と声をかけ、ティッシュで額の汗を拭いてあげている。
「救急車を呼んだ方がいいです」
という声も、最初に小林さんから出たと記憶する。すぐ、Iディレクターが電話をかけた。

私はただ、呆然としていたが、すぐ我にかえって、急いで携帯で談之助に連絡、一報を入れた。(中略)

その時点ではまだ行き先が決まってなかったが、乃木坂の心臓血管研究所病院が空いているとわかる。名前からして専門病院であり、これは運がいい、とホッとする。赤坂という都心で、周囲に病院がすぐあるというのも心強い。

これでさっき言ったような天涯孤独の状態で、家で一人でいるときに倒れたら、と思うと、快楽亭、案外運が強いぞと思えてきた。

(唐沢俊一ホームページ 日記 2005年10月21日)



当時、唐沢さんは40代半ば。

快楽亭ブラックは50代半ばだった。

私は快楽亭ブラックのファンなので、私と同じくブラックのファンで、その命を救ってくれた唐沢さんに、感謝したものだ。


その20年後、まさか唐沢さんは、自分が自宅で「孤独死」するとは思わなかっただろう。

快楽亭ブラックは70代で、今も元気に高座をつとめている。

ブラック師匠の追悼の言葉が聞きたい。



唐沢さんは、死の数日前から、Xで体の不調を訴えていた。


体調不良で寝付けず、寝酒をちょっとだけ過ごす。体調面の不快も精神面の不平不満も雲散霧消。アルコールのご利益、偉大なるかな。薬ではこうは行かぬ。(9月21日)


まったくの話、こう体調が悪いと冷えたワイン持って風呂に入りたくなりますな。死ねるか、いい心持ちになるか、どっちにしても(笑)。(9月22日)


不調を、酒でごまかしていたのか。

もし、この時点で病院に行っていたら、死は免れたのではないか。

それが残念でならない。



志水一夫、山本弘、唐沢俊一と、「と学会」の主要メンバーが、みな若いのに鬼籍に入ってしまった。

ご冥福をお祈りします。


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