【日本保守党6】日本保守党と「大卒リベラル」の没落
(タイトル画像はYouTube「飯山陽のいかりちゃんねる」から 敬称略)
「学歴問題」「フジサンケイ」に延焼
日本保守党界隈で起こっている、池内恵・東大教授と、飯山陽・麗澤大客員教授のバトルは、あいかわらず面白いが、面白すぎてちょっと疲れてきた。
簡単に言えば、同じイスラム思想、中東政治学の畑で、日本保守党を批判する池内と、日本保守党シンパの飯山のたたかい。
(これまでのバトルの経緯は、下の参考記事を参照ください)
現時点で私が審判するなら、飯山有利だ。長打で確実に得点する飯山と、手数のわりに得点に結びつかない池内、という印象。
飯山は25日に、以下のYouTube動画を公開した。
【嫉妬?】飯山陽党爆誕?!日本保守党は学歴コンプレックス?!(YouTube 11月25日11:31)
飯山はこの動画で、池内が日本保守党員について述べた、以下のポストを巧妙に題材にしている。
あれはまあ、昔の「拝み屋さん」だね。政党の本体の方は、幸福の科学のひと世代後の後継でしょう。学歴コンプレックスが核になっている。
飯山は、池内の言を、「博士号をもたない池内のコンプレックスの投影」と逆襲している。
なにより、池内の「東大教授」という肩書や、「父が池内紀・元東大教授、叔父が池内了・名大名誉教授」というエリート一家なのを逆手にとり、「池内は学歴をかさに庶民をバカにしている」と印象づけて、庶民感覚に訴えているのがうまい。
この動画は、公開後半日で、17万の視聴回数をかせいでいる。
池内も「まずい」と思ったか、飯山の動画公開のあと、以下のように言い訳めいたポストをしている。
私の書いた文面のどこを見ても大学のレベルの話など書いてありませんよ…学歴コンプレックスで大学というとレベル話をしていると思ってしまうのでは。(11月25日22:05)
いっぽう、池内は池内で、飯山の「特権」を突いて、反撃している。
飯山の夫が、フジテレビの社員(カイロ支局長)で、飯山はそのコネで、フジのカイロ支局員の職を得ていた、という指摘だ。
だから、飯山のバックに、「フジサンケイグループ」の組織的意図がある、と言いたいようだ。
みんな忘れてたけどそうだよね…なんで連日連夜、異様な声色と形相で人様を罵倒している人を麗澤大学は客員教授にしているの?あと、フジテレビと産経新聞。社員の家族を独立した論客のように扱って同業他社を叩かせているのはおかしいでしょう。もう黙らずにどんどん言いましょう。(11月25日0:38)
フジテレビのカイロ支局長の奥さんがカイロ支局員になったら、それは客観的に見て高い確率でコネ採用でしょう。自分がやってきたことを他人もやっていると思うから、他人の人事がコネだと言い出す。自分のキャリアの経緯は隠す。フジテレビはどう説明するのだろうか。(25日3:19)
では当該ユーチューバーはフジテレビへのコネ入社だったと認めるのですね?では公益性の高いメディア産業として国家から優遇されてきたフジテレビが、社員の配偶者にFNNオンラインや産経新聞や扶桑社で、自社もお世話になっている専門家を罵倒し名誉を毀損する出版物を出させていることも認めますね?(25日18:52)
これは、飯山にたいして、かなりの有効打になったとみられる。
飯山は上の「25日0:38」のポストに直接反論しているほか、25日のYouTube動画も、それにたいする意趣返しかもしれない。
だが、「有名学者一家」と、「夫がフジテレビ」では、エリート性でだいぶ差があるというのが世間の印象だろう。
また、場外では、池内の援軍のはずの篠田英朗・東外大教授がヘマをして池内の足を引っ張っている。篠田については、飯山の援軍の島田洋一・福井県立大名誉教授が、篠田の憲法論にさかのぼって批判を始めている。それについては、気が向いたら別に取り上げたい。
新旧価値観のたたかい
池内のXでのポストと、それに賛同する人びとの発言を見ていると、どうしても、旧来の古い価値観にもとづいている印象になる。
たとえば、
「HANADA」「WILL」より、岩波の「世界」が偉い
とか、
「フジサンケイ」より、「朝日・毎日」が偉い
とか、
「右翼」より、「左翼」が偉い(頭がいい)
とか。
はっきりとは言わないにせよ、そういう、これまで既成メディアで覇権をにぎってきた、「大卒リベラル」の牢固たる価値観を感じてしまう。
池内は決して現在の「岩波・朝日」文化の代表者ではなく、むしろそれに対する反逆者であったはずなのに、やはりそう感じてしまう。反左翼ではあっても、「反リベラル」ではない。リベラルへの批判性がなく、そこが弱点になっている。
そして世間は、その裏に、
学歴が高い方が偉い、偏差値が高い方が偉い、東大が偉い
というエリート意識をやっぱり感じてしまうだろう。
だから、池内は、こうした価値観をもつ世代や層には味方を得るが、それを超えて支持を広げておらず、むしろ反感を買っているのではないか。
いっぽう、飯山は、より広い層にアピールできている気がする。
池内はXを主戦場としているが、飯山はYouTubeを主戦場としている。
以前に指摘したように、YouTubeは、学歴フリーで、むしろ高卒者が成功している世界だ。
テレビ局や新聞社には有名大卒しか入れないが、そのエリートたちがつくるコンテンツに飽き足らない人たちが、YouTubeに集っている。
だから、飯山の言は、YouTubeでより生きるし、より刺さる。
飯山は、YouTubeを選ぶことで、新旧価値観の相違を浮き彫りにし、その差異をうまく戦力にしている。
アニメも漫画も搾取される
この池内・飯山戦争は、日本の別のところで起こっている、もう一つの戦争を思い出させる。
その戦争に正式な名前はないが、以下のようなポストが浮き彫りにしている「文化戦争」だ。
アニメや漫画ラノベ原作作品を馬鹿にしてるくせに、日本版CNC設立とかほざいて、アニメの利益の上前をはねることばかり考えてる邦画界は、とっくに取り残されてるし。滅んでいいよ。
これはなかなか手厳しいご意見。でもご指摘のとおり、社会派映画やアートシネマをことさら格調の高いものとして称揚し、他方でアニメ・漫画原作や、大ヒット話題作は批評のアウトサイドへと追いやった岩波文化人の様な権威主義が、観客を白けさせたのではないかと私は思う。
日本レコード大賞、大賞候補からYOASOBI「アイドル」除外で物議…「大人の事情」浮き彫りで権威失墜に拍車 https://cyzo.com/2023/11/post_359656_entry.html… 映画業界にしろ音楽業界にしろ、とりあえずアニメを格下扱いして高尚ぶっててマジで糞。
映画界も、音楽界も、そして出版界も、漫画やアニメやおたくで食っているのに、それには名誉も権威も与えない。
それどころか、漫画やアニメの稼ぎに寄生して、その「血液」をチューチューしようとする「大卒リベラル」たちのクソぶりに、みんな気づきはじめている。
要するに、レガシーメディアに群生する文系大卒者のリベラル文化は、生産性が低く、稼げていない。
だから、生産性が高い方面にちょっかいを出し、あるときは脅し、あるときは甘え、最終的にはその方面でも権力を得ようとしている。
人びとは、かつて少年ジャンプが、「漫画界の工業高校」と言われたのを覚えているだろうか。「ハレンチ学園」などで売った後発漫画誌は、漫画偏差値的にも差別されていた。
当時バカにしていた中には、オレも入る。ほんとすまんかった。
人びとは「大卒リベラル」にうんざりしている
それはともかく。
これは、以前「アメリカにもあるColabo問題」でも指摘したことだ。
パチンコが稼げるとみると、警察が業界に天下って利権にしたように、漫画・アニメが稼げるとみると、既成文化の権力者ーーとりわけスキルのない文系の大卒リベラルたちが、それを利権にしようとする。
カタカナ語や横文字でいわれる思想用語は、だいたい彼らの利権領域を指す。
リベラリズム
フェミニズム
LGBT
SDGs
こういう言葉は、要するに「大卒リベラルにしか価値がわからない社会指標」であり、「だから、あなたの商売に、大卒リベラルを一枚かませなさい」という脅し文句、大卒リベラルのシノギの道具だ。
あと、「読書はすばらしい」とかいうのも、たいがい「大卒リベラル」だ。自分の得意な土俵で勝負したいがためであり、彼らは決して「体育の時間がすばらしい」とは言わない。
最近、こんなポストを見た。
これ前も言ったんだけど、「運動の苦手な子に体育を強制しないで、自己肯定感を下げないで」って言ってるインテリたち、勉強の苦手な子たちが勉強を強制されてるってことは完全に眼中に入っていないんですよね。
文化や価値観は、メディアの覇権を握った「大卒リベラル」に都合がいいように操作される。
世界中の人たちが、彼らのシノギのために、文化が検閲され、社会や人生がつまらなくなっていることに怒っている。
それにくわえて日本では、創価学会に何も言えないとか、左翼活動家に好き放題させている、といったリベラル報道への不満が重なる。
話が大いにそれてしまったが、日本保守党や飯山陽は、こうした「リベラル」への反発を追い風として使い、浮力に変えている。この「風」は、ご承知のとおり、いまや世界中で吹き始めている。
実際、この機会に、日本でも改めて考えるべきだと思う。
「大卒リベラル」たちは、何かいいことを社会にしてくれたのか。
大卒リベラルたちが日本の平和を守ったか? いいや、日本の平和を守ったのはアメリカの核だ。
大卒リベラルたちが日本を豊かにしたか? いいや、日本を豊かにしたのは、リベラルたちがつねづね非難する、資本家たちの強欲だ。
「大卒リベラル」たちが社会の寄生者だったのは、いまに始まったことではないのだろう。
それなのに、長らく、「自分たちがこの社会をつくり、守っている」という顔をしてきた。
その嘘がバレてきたということだと思う。
日本保守党の台頭や、池内・飯山戦争の成り行きを見ながら、そんなことを考えた。
ていうか、俺もそろそろ、リベラルをやめなきゃ。
<この記事の続報>
<参考 池内・飯山戦争のいきさつ>