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「最初に作った人」が偉い
最近ハマっていることがあって、それは世界史の学び直しである。とはいっても、そこまでガッツリと受験勉強のやり直し的な感じではなく、のんびり自分のペースで進めようという、いわゆる「大人の学び直し」である。
きっかけは漫画版『風の谷のナウシカ』を読んだこと。
『風の谷のナウシカ』では、文明が滅びた後の世界を描いている。エンジンを作り出す技術は失われ、その世界ではエンジンを発掘して再利用しているのだ。失われて初めて気がつくありがたさはあるというもので、大規模の戦争か災害かでこの世の中のエンジン開発者たちや知識人がいなくなれば、僕らだってエンジンを使うことしかできなくなってしまう。
そう考えると、やはりなんでも「最初に作った人」というのは、大変偉い人たちだなあと、感心してしまう。
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そんなきっかけがあるものだから、今回の世界史の学び直しも、単に世界史の知識を入れ直したいというものではない。僕が気になるのは「誰が」「どのようにして」そのものをこの世界に生み出したかということである。まあ詳細まで分からずとも、あるものが一番最初に発明された時代を順番にみていけばおもしろいではないかと、そんな軽いノリである。
例えば、一番最初の文明であるシュメル文明は、なかなか興味深い。
彼らはこの世界の愛書の文明ということもあり、たくさんのものを発明した。その中でも「棃」という畑を耕すことを覚えたのは、なかなかに素晴らしいことだ。この発明によって農業の効率がはるかに向上して、一気に人間の生活水準が上がったという。僕がだいぶ昔に生まれたとして、はたしてその「棃」とやらを生み出す発想ができたかと問われると、どうであろうか。昔の人は、やはりすごい。
文字もシュメル文明が発明したとされる。初めは記録用として絵文字のようなものが開発されたらしいが、そもそも粘土版にそんな絵文字を開発して、そんでもって粘土板を焼いて保存しようなぞ、よくも思いついたものだ。
そんな「発明」の視点に立って世界史を覗き込めば、また受験期とは違った見え方がして世界史がおもしろい。世界は常に誰かの
「改善しよう」「よくしよう」「問題を解決しよう」
というような善良かつ前向きな気持ちで動いているのだなと、改めて感じられる。
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僕らも生きている間に何かを発明することができるだろうか。
世界を動かすまでいかないとしても、僕らの発想一つで身近な人が助けられたり、感謝されることがあるかもしれない。それも世界を変えてきた発明をする際と、ほぼ同じような気持ちから生まれるものなのではないだろうか。
そんなヒントが世界史にも隠されているのかもしれないと思いながら、僕は本や資料集のページをめくる。ひとつひとつがおもしろすぎて、なかなか進まないのが難点ではあるが… はやくエンジンの開発を説明する時代にまでいきたいものである。
2023.07.19
書きかけの手帖